第358話 崩壊(後編)
六人は、以前相楽姉妹が子猫を見つけた公園まで移動し、緑依風はそこで昨日の夜、両親に進路について打ち明けたこと。
それが発端となり、母が妹達を連れて家を出て行ってしまったことを話した。
「――だから、お母さん達は今、海生の家にいると思う……」
緑依風が涙ぐみながら話し終えると、風麻が「すまねぇっ!」と、風麻が後悔した表情で謝った。
「俺が……おばさんに本音をぶつけろなんて、余計なこと言ったからっ……!」
「ううん、風麻のせいじゃない……。私も、いずれは言わなきゃって思ってたし……。それに、正直お母さんの言いなりは……本当はもう、とっくに限界だったの……」
風麻に促されずとも、きっと遅かれ早かれこうなっていた。
それがたまたま、昨日だっただけだ。
「それで、緑依風ちゃんのお父さんは……?」
「お父さんは、しばらくそっとしておこうって……。お母さんが今どうしてるか気になって、海生にメッセージ送ってみたけど、お母さん海生達には何も言ってないみたいで……」
緑依風はそう言いながらスマホを取り出し、海生や立花からメッセージが入っていないかチェックしたが、情報は何も届いていなかった。
*
ひとまず、今日のところは解散となり、皆自分の家へ帰ることになった。
悲しい気持ちは晴れないが、亜梨明や爽太、奏音、星華が優しい言葉を掛けて励ましてくれたことで、緑依風は頼れる友達に恵まれたことを嬉しく思った。
風麻も、北斗が帰るまで緑依風が一人ぼっちにならないよう「今日、晩御飯うちに食べに来いよ。母さんには事情説明しておく」と言って、家に招いてくれた。
「……じゃあ、あとでな」
「うん……」
緑依風と風麻が、お互いの家の前でそう言い合うと、「ふざけないでっ!!」と、緑依風の家の中から女の人の金切り声が聞こえて来た。
「いまの、おばさんの声……?」
「…………!」
「あ、緑依風……!」
胸騒ぎがした緑依風は、風麻の制止も聞かずに家の中へと飛び込み、リビングで激しく言い争う両親を目の辺りにする。
「もう嫌よっ!もう疲れたっ……!あの店で働くのも……あなたと生活するのも……!私の人生、あなたのせいで狂わされた!!」
「だからって、仕事に来なくなるのは困るっ!店の子達だって、副店長である葉子が急に辞めるなんて知ったら不安になるだろう!?」
「そんなの知らないわよっ!どうせもう、あなたとは離婚するんだから!」
「離婚……っ!?」
緑依風が思わず声を上げると、彼女の存在に気付いた北斗と葉子が同時に振り向く。
「……そうよ。私はもう、お父さんと一緒にいたくない。緑依風、あなたともね」
「えっ……?」
緑依風はショックのあまり、言葉を失う。
「葉子……さっきも言ったが、俺は離婚なんてする気はないし、子供達のことも考えてくれ!親が離婚なんてしたら、三人とも悲しい思いを――……」
「今までお菓子のことしか考えてなかったあなたが、「子供達のことを考えろ」なんて、言えた口かしら?」
「……っ」
痛い所を突かれて、北斗は気まずそうに口を閉ざす。
「千草と優菜は私が育てる。……これ以上私の子に、あなたの考えを植えつけられるのはごめんだから。緑依風はあなたに任せるわ」
「お母さん……それって、どういうこと……?」
緑依風が今にも崩れそうな思いで問い詰めると、葉子はまるで汚らわしい物でも見るような目つきを向けて、「あら、よかったじゃない?」と言った。
「緑依風は、大好きなお父さんと暮らせるのよ?好きに生きたいんでしょう?だったらもう、お母さんは必要ないわね?これからはどうぞ、自由にケーキでもクッキーでも好きなだけ作って、お父さんのお店で立派なパティシエールになってちょうだい」
「違う……っ、そういう意味で言ったんじゃ……」
緑依風が涙をこぼしながら弁明しようとしても、葉子は一切聞く耳を持たず、左手の薬指にはめていた結婚指輪を抜き取り、テーブルに乗った離婚届の上にそれを置き、玄関へと向かう。
「お母さん待って……っ!お母さんっ!!」
緑依風が慌てて振り返り、家の外へと出ていく母を追いかける。
「待ってよお母さんっ!別れるなんて言わないでっ……!お願いだから仲直りしてよっ!!」
緑依風は靴も履かずに飛び出し、門扉を開く葉子にしがみ付く――が、葉子はそんな娘を無情にも力強く振りほどき、緑依風は固いアスファルトの上に倒れ込んでしまった。
「あっ……!」
「緑依風っ、大丈夫かっ……!?」
心配で、家の外から様子を伺っていた風麻が、転んでしまった緑依風に駆け寄る。
「おばさんっ……!」
風麻が葉子を呼んでも、彼女は氷のように冷たい表情のまま二人を見下ろし、手を貸すことはなかった。
「さよなら緑依風……」
葉子は別れの言葉のみを残し、この場を去って行った。
「そ、んな……っ」
風麻が愕然としていると、左横から擦り歩くような足音が聞こえる。
「おじさん……」
風麻と緑依風が振り向くと、北斗は悲し気な笑みを浮かべて近付いてきた。
「おっ……おとう、さん……っ」
緑依風がよろめきながら立ち上がり、北斗の両腕にすがりつく。
「…………」
北斗は、大きな手で緑依風の頭を優しく撫でると、グッと喉仏を上下に動かし、意を決したような顔つきになって、「緑依風……」と口を開いた。
「――パティシエールの道は、諦めなさい……」
「えっ……?」
緑依風から短い声が漏れる。
「この仕事はどうやら……家族を……不幸にするみたいだ……」
北斗は赤くなる目を娘に見られぬよう、少し斜め下を向いて言った。
「や……やだよ……わたしっ、お父さんみたいになりたいってずっと思ってたのに……諦めたくないよ……っ!」
緑依風が拒むと、北斗は首を横に振り、そっと緑依風から体を離す。
「お父さんみたいになっちゃダメだ……。それに、菓子職人の道を諦めれば……きっとお母さんは、緑依風のことだけでも許してくれるはずだ……」
「……っ」
「ごめん、そろそろ店に戻らないと……」
北斗はそう言って緑依風に背を向けると、消え入りそうな声でもう一度「ごめんな……っ」と謝り、原付バイクに乗って、木の葉へ戻っていった。
「おじさんっ、待って……!」
風麻が引き留めようとしても、北斗はどんどん二人から遠ざかっていく。
「緑依風……」
「うっ……ふ……うぅ……っ」
風麻が緑依風に向き直れば、彼女は両手で頭を覆いながらへたり込み、肩を震わせていた。
そして――。
「……っ、ぅ、うわあぁぁぁっ、わぁぁぁぁぁぁっ――!!!!」
地面に額をくっつけるようにして蹲り、悲痛な叫びを上げるのだった。
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