第350話 マリオネット(後編)


 緑依風が一階に下りると、葉子が用意してくれたパスタと飲み物がテーブルに並べられていた。


「春ヶ﨑高のパンフ、見た?」

「まだ見てない。ご飯食べたら見る……」

「有村さんとこのお兄ちゃんが、春ヶ﨑なんですって。それで、この間お母さんが店に来た時に、パンフをもらえないか頼んだら持って来てくれたの。もうすぐ新年度用のも配布されるみたいだけど、雰囲気だけなら今年のでもいいかなって」


 進学の話をする時は饒舌になる葉子。


 ちなみに、有村というのは千草の友人の苗字で、春ヶ﨑に通う有村兄は緑依風より二つ年上。


 現在は、春ヶ﨑高校の一年生らしい。


「授業内容も先生の質もよくて、お兄ちゃん毎日楽しそうに通ってるそうよ。校舎も改装されてから十年ちょっとだから綺麗だし、有村さんもオススメだって言ってたわ」


 確かに、春ヶ﨑高校には他の学校と比べても魅力的な所はたくさんある。


 綺麗な校舎、可愛い制服。

 二年生の時点でも、この要素だけで通いたいと思う女子生徒の声はよく耳にしているが、県内でも有数の進学校故に、授業時間が長かったり、進度が速くてハードだという話も多々耳にする。


 爽太のように、勉強が好きな人ならば、それすら楽しんで学校生活を謳歌できるだろう。


 だが、緑依風はそんな話を聞いて余計に行きたいと思えなくなってしまった。


 緑依風の予定では、高校卒業後は大学に進まず、製菓系の専門学校へ進学したいと思っているからだ。


 そして、父に正式に弟子入りをして、いずれは木の葉の跡継ぎとなる。


 難関大学への進学率なんて、自分の人生計画の中では無関係。

 道は一本と決めている。


「お、おかあさん……っ、あのね……っ!」


 言わなければ。

 自分の意思を正直に――。


 緑依風がそう決心して、震える声で告げようとした時だった。


「――あ、そうそう。期末テストが終わったら、もう店の手伝いは禁止ね。お菓子作りもやめてちょうだい」

「えっ――?」

 緑依風が顔を上げ、目を見張りながら葉子を見ると、葉子は呆れたように、「当然でしょう?」と言った。


「受験までもう一年も無いのよ。遊びはやめて勉強に専念しないと、春ヶ﨑に行けるわけないじゃない」

「あそびじゃない……っ!私にとって、お菓子を作るのとお店の手伝いは将来の――っ!」

「いい加減、現実を見なさい!」

 葉子が声を張り上げると、緑依風はビクッと肩を震わせ、何も言えなくなってしまう。


「世の中にはもっと楽でたくさん稼げる仕事があるのに、どうしてわざわざ重労働で不規則な仕事を選ぼうとするの?……私はね、緑依風にそんな苦労をして欲しくない」

「…………っ」

「今はまだ、本当の大変さを知らないから店を継ぎたいなんて思えるのよ。そのうち理想と現実の差にがっかりして、後悔することになる……。堅実な道に進んだ方が、店を継ぐよりも絶対幸せになれるわ」

「…………」


 幸せ?どうしてそう言い切れるの?


 そう返したいのに、喉元まで上がった言葉が声にならずに消えていく。


「(悔しい……)」

 恐怖が勝って、母に反論することができない。


 もし返せば、母はその何倍も強い言葉で自分を制してくるだろう。


「ごちそうさま……」

 緑依風はそれだけを言って、使った食器を流し台に置き、二階の自室へ戻る。


 明日のテストに向けて勉強をしようと机に向かうと、先程端に避けたパンフレットが目に映った。


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