第348話 思い出話(5)


 休み時間が終了し、授業が始まった。


 緑依風は、授業中も給食の時間もその後も、ずっとあの発言を後悔していた。


 出会った時はそれほど身長差は無かったと思う。


 しかし、幼稚園に入ってから緑依風の身長が急激に伸び始め、風麻はいつもそんな緑依風を羨ましがっていたし、他の友達と比べても背が低いことを気にしていると知っていた。


 風麻のことが好きだとバレたくないのに、『好きなわけがない』『ありえない』と言われたら、ものすごく嫌な気持ちになった。


 後でちゃんと謝ろう。

 でもきっと、すごく怒っているかもしれない。


 もしかしたら、友達をやめたいと思われてるかもしれない。


 いつもなら、放課後になって風麻と一緒に帰る時間が待ち遠しかったのに、今日はどんな顔をすればいいのかわからず、教室を出ていくのが怖かった。


 しかし――。


「あ、やっと終わったか。んじゃ、帰るぞ!」

 風麻は拍子抜けするぐらい普段通りの様子で、緑依風に声を掛けた。


 学校を出て、昨日と同じように緑依風の隣を歩く風麻。


 緑依風の方は、休み時間の件をどのタイミングで謝ろうかと考えているのに、彼からは何も無い。


「帰ったらランドセル置いてすぐ行くから、先にテレビにゲーム繋いどいて」

「…………」

「ねぇ、聞いてる?」

「なんで……?」

「ん?」

 緑依風が足を止めると、風麻もピタッと立ち止まる。


「……怒ってないの?」

「え?」

 風麻は「何が?」と言いたげな表情で、下を向く緑依風を見つめた。


「……っ、さっき私……風麻くんに嫌なこと言って、ごめん……!」

 緑依風が更に深く俯いて謝ると、風麻は「あ~、それかぁ……」と頬を掻きながら、短いため息をついた。


「まぁ、ちょっとイラっとしたけど……でも、本気じゃないでしょ?」

 風麻の問いかけに、緑依風がこくんと頷く。


「あれ聞いたら、ヨネちゃん達も緑依風は俺のこと好きじゃないって、思っただろうし……それに――」

「わ、私本当は風麻くんのこと嫌いじゃないっ、好きだよ……!」

「へっ?」

「あっ……!」

 緑依風はハッと息を呑み、慌てて口を押さえる。


 これでは愛の告白じゃないかと、しどろもどろになりながら誤魔化そうとするが、風麻は何もわかっていないらしく、キョトンとした顔で「知ってるよ?」と言った。


「えっ……?」

「だって友達だし、仲良いし。ぼく……あ、俺も緑依風ちゃんのこと好きだし」

「……そ、そうだね」

「でも、学校で仲良くしてるとすぐにからかわれるのも嫌だしなぁ……あ、いいこと思いついた!」

 風麻はそう言って、緑依風にとある提案を告げる。


「学校とか友達がいる前ではさ、今日みたいに俺のことちょっと悪く言えば良くない?」

「えっ、嫌だよそんなの……っていうか、全然いいことじゃない……」

「もちろん演技だよ、え、ん、ぎ!本気のはダメ!」

「?」

 どうやら風麻は、先程のように仲が良い関係を弄られないよう、二人でいる時以外は、仲が悪い振りをしようと思ったらしい。


「それからさ、俺にもう『くん』なんてつけなくていいよ。今日から呼び捨て。あと、緑依風は喋り方ももう少し強そうにした方がいいと思う」

「どうして?」

 緑依風が首を傾げると、「その方がいじめられなさそうだから」と、風麻は言った。


「い、いじめ……?」

「僕もさ……あ、『僕』じゃない、『俺』っ!俺もさ……周りに馬鹿にされないように、最近ちょっとずつ新しい喋り方を練習してるんだ」

 どうやら彼が急に荒っぽい口調になったのは、そういう理由からのようだ。


「緑依風ちゃ……緑依風はさ、おとなしくて優しいから、意地悪なやつにまた狙われちゃうかもしれない。だから、そういう人にはちょっと偉そうにしてみたり、言い返してみたら?そしたら緑依風も、強くなった気になれるよ」

「……強く、か」


 緑依風は、彼のアドバイスに少々戸惑いつつも、少しずつそれを実行してみることにした。


 気弱な性格を隠すことは、確かに自分を守るために必要だったし、悪意を込めてからかう連中に毅然とした態度で言い返し、相手がタジタジになれば、言われっぱなしだった頃よりも気分がスカッとした。


 風麻との仲が悪い振りは、最初こそ二人っきりになると「さっきのは演技だよ」と、互いに本気じゃないアピールをしていたのだが、年月が過ぎていくと、わざわざ報告することも無くなり、だんだん本気で言っているのか、演技なのかわからなくなっていった。


 それでも、緑依風が風麻をずっと好きでいられたのは、二人きりの時や、気の許せる友達同士の前では、彼が昔と変わっていないとわかるからだった。


 学校ではやんちゃ坊主な風麻が、家に帰ると面倒見の良い優しいお兄ちゃんの顔をしている。


 自分の弟だけでなく、緑依風の妹達にも実の兄のように接してくれて、そんな彼への気持ちは、冷めるどころか年々熱く大きなものへとなり、想いが通じ合った今でさえ、増え続けるのであった。


 *


「――そっか、ただの照れ隠しだけじゃなくて、そういう理由があったんだね」

「今思えば、もう少しマシな方法もあったと思うんだけど、でも風麻が私を心配して考えてくれたってことは、嬉しかったかな」

 全てを語り終えた緑依風は、残り少ないアイスコーヒーを飲み切り、爽太は途中でもらった水で喉を潤す。


「ところでどう?日下が知りたかった風麻のことは知れた?」

「うん。風麻がどんな子なのか、思った以上にたくさん知ることが出来た!」

 爽太は満足そうな笑顔で頷き、軽く姿勢を崩す。


「やっぱり、すごくかっこよくていいやつだって!」

 爽太が褒めると、緑依風は「ふふっ」と声を漏らし、「でしょ?」とちょっぴり自慢げな表情で言った。


 *


 店を出る前に、緑依風は風麻が好きなドーナツを購入し、爽太と共に夏城へと戻る。


 途中の分かれ道まで一緒に歩いていると、「そういえば……」と爽太が何かを思い出した。


「今日会ったばかりの松山さん、顔がすごく怖かった」

「失礼だな~。考え事してたんだよ……」

「それにしたって、かなり険しかった」

「…………」

「……大丈夫だよ」

 足を止め、暗い表情で俯く緑依風に、爽太がふわっと優しい声で言った。


「松山さんには風麻がいる。僕や亜梨明達もいる。解決はできないかもしれないけど、松山さんの悩みに寄り添える人はたくさんいるよ」

「…………!」

 緑依風が顔を上げると、爽太は彼女を勇気づけるようにニコッと微笑みかける。


「……私の悩み、知ってるんだ?」

「まぁね……」

 爽太が肯定すると、緑依風は「は~っ、全くもう……どこまで知られてんだか」とため息をついて苦笑いした。


「お~い、緑依風、爽太~!」

「あ、風麻だ」

 二人で声のする方へ振り向くと、風麻が駆け足でやって来た。


「なんで二人でいんの?」

 風麻が怪しむような視線で、緑依風と爽太が一緒にいる訳を聞く。


「冬丘の本屋でばったりとね。はい、これお土産」

「ふぉっ!ドーナツ!!」

 緑依風から紙袋を渡された風麻は、早速中身を確認する。


「……じゃ、また月曜に!」

「うん、またね」

「お~っ、じゃあな~」


 爽太と別れてしばらくすると、「あいつと何話してたんだ?」と、風麻が聞いた。


「えっ?」

「楽しそうに見えた」

「そう?」

 どうやら風麻は、ヤキモチを妬いているようだ。


「風麻の昔のこと教えてくれって言われたから、色々教えてあげてただけだよ」

「色々って、おい……何か変なこと教えてねぇだろうな?」

 風麻がジロリと睨み、緑依風に問うと、彼女はほんのちょっと仕返しする気持ちで、「さぁ?」と澄まし顔で言う。


「風麻がスカート履いてみたいって言って、私の幼稚園の制服着て遊んでた話はしてないよ」

「おまっ……!それはもう忘れろって何度も言っただろ!」

 風麻が黒歴史を思い出し、顔を赤らめて叫ぶと、緑依風は「あははっ」と笑って、彼から逃げるように走り出す。


「あ、コラっ!置いてくなよ……!」

 まるで小さい頃に戻ったかのように、追いかけっこを始める緑依風と風麻。


 二人で風を切って住宅街を走り続けると、冷たい空気の中に、ほんのりと甘い花の香りが感じられる。


 春はすぐそこ。


 そして、緑依風の運命を決める時もまた、ゆっくりと彼女に近付いているのだった。


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