第334話 頼もしき彼女
土曜日。
男子バレー部の練習試合が、夏城中で行われると聞いた亜梨明は、緑依風と一緒に爽太と風麻の応援のため、体育館の二階で二人の勇姿を眺めていた。
非公式とはいえ、爽太が試合に出る姿を見るのが初めてだった亜梨明は、敵陣の攻撃をしっかりと両腕を伸ばして防ぎ、自軍に点をいれた爽太の姿に惚れ惚れしていた。
「すご~い!!緑依風ちゃんっ!今の見た!?」
「うん!ブロック一人しかいなかったのに、よく止められたよね!!」
「あ……」
亜梨明の中で、『ブロック』という言葉が、先日の出来事を蘇らせる。
逢沢の連絡をシャットアウトして以来、爽太は少しずついつもの様子に戻っていった。
彼がすっきりとした表情でいられるならそれでいい。
これは爽太と逢沢の問題で、亜梨明が横からとやかく言うべきことではない。
しかし、亜梨明は同じ人を好きになった逢沢に対して、どうしても感情移入してしまうのだ。
それに、爽太にも心配することがある――。
初詣の日、懐かしい友人と再会できた彼は、とても嬉しそうだったし、アルバムを見せながら思い出話を語ってくれる横顔も、楽しい六年間だったと伝わるものだった。
なのに、今回のトラブルによって、爽太の思い出は、今までと形が変わってしまったのではないか――。
亜梨明は、爽太が逢沢をブロックした時の表情を思い出し、彼が本心ではこの選択を後悔している気がしたが、元気を取り戻したばかりの爽太に逢沢の話をすることもできず、しばらくは見守ることにした。
*
練習試合は、夏城中の勝利で終わった。
爽太は、亜梨明や緑依風、風麻と共に、駅前のアイスクリームショップに立ち寄り、店内で食べながら試合の感想などを語り合った。
食べ終わった後は、亜梨明が爽太の家に遊びに来てくれた。
どうやら、この間購入した絵描き歌の本の曲が完成したようで、彼女は本に書いてある歌詞に、オリジナルのメロディーをつけ、歌いながら猫のイラストを描き始める。
「どう?上手になったでしょ~!」
「どれどれ……」
今までよりも猫らしい絵が描けたと思う亜梨明は、誇らしげな顔で爽太に絵を見せるが、目と鼻の位置が絶妙にバランスの悪い場所に描かれてるせいで、可愛いとは言いづらい。
「うーんと……うん、この前よりは上手!」
爽太がそう答えると、もっと大きな反応を期待していた亜梨明は、「それって、まだへたっぴってこと……?」と唇を尖らせる。
「だって、目の位置が左右にズレてるし、視点があちこち向いててちょっと怖いよ……」
「う……それは、歌いながら描いたからズレちゃっただけだもん!」
「でも、歌はすごくよかった!」
爽太が褒めると、亜梨明は「ホント!?」と喜ぶ。
「うん!可愛くて伸びやかで……聴いてて楽しいし、ちょっとクセになるかも!」
「えへへっ!自分が子供になった気分で考えてみたんだ!そしたら、ただ歌うためだけのメロディーじゃなくて、印象にも残りやすそうなものが浮かんで……」
「あ、よかったら下のピアノで弾いてみてよ!」
爽太が立ち上がり、一階に移動しようとした時だった。
テーブルに置いていた爽太のスマホから、電話の着信音が鳴り出した。
「森田からだ……ごめん、ちょっと出るね……もしもし?」
爽太が電話に出ると、「爽太、頼みがあるんだけど……」と、森田が申し訳なさそうに話を切り出す。
森田からの用件は、逢沢がこれまでのことを爽太に謝罪したいため、もう一度だけ会ってやってくれないかというものだった。
「俺達、この間逢沢が爽太の学校に行った後、あいつと話し合いをしたんだ……。逢沢が何したのかは全部聞いた……。爽太がめちゃくちゃ怒ったって話も聞いて、そりゃ当然だって思った……。でも、まなかが叱って、逢沢もようやく自分のしてきたことが良くないことだったって、ちゃんとわかってくれたんだ……。あいつ、反省してるし……俺とまなかもついてくし、これが最後でいいから、明日の昼逢沢に――」
森田が言いかけている途中だったが、爽太の気持ちは揺るがなかった。
「……謝らなくていいから、二度と関わるなって伝えて」
爽太の声は冷たくて、電話越しに聞いた森田も――爽太と同じ部屋にいる亜梨明も息を呑む。
「ごめん、森田……。森田にも迷惑かけてるし、こんな伝言頼んで申し訳ないけど……僕、逢沢さんのことを許す気になれないし、今はあの人の話もしたくないんだ……」
「でもっ――!」
「ごめん……」
「…………」
爽太の二度目の断りを受けると、森田はこれ以上頼んでも無理だと思い、「だよなぁ……」と、ため息混じりに言った。
「わかった、逢沢にはそう伝えとく……。嫌なこと思い出させてごめんな……」
「ううん、こっちこそ……。もう少し気持ちが落ち着いたら、直希と一緒に会いに行くから……」
爽太は電話を切ると、「ふぅ……」と暗い表情で息を吐き、心配そうに見つめる亜梨明に弱い笑みを向ける。
「逢沢さんが反省してるから、もう一度会ってやってくれってさ……」
爽太は亜梨明に電話の内容を説明すると、もう一度亜梨明の隣に座り直す。
「でも安心して……。逢沢さんにはもう会わないし、一切関わらないから……」
「会ってあげて……」
「え?」
爽太は、亜梨明の言葉に戸惑いの声を上げた。
「会って……逢沢さんに、ごめんなさいの言葉、言わせてあげて……」
爽太は動揺し、目を白黒させる。
「でもっ、僕はもう……逢沢さんに会いたくないんだ……」
会いたくない。
思い出すたびに腹立たしい感情が湧き上がって、心がどす黒く汚れていくような気分になる。
自分をしつこく求めて来たのはもちろん、亜梨明を軽視するような発言、そして接触したことが何より許せない。
謝られたところで、もう今までのような関係には戻れないし、会えばまた彼女は感情を昂らせ、何かと理由を付けて執着してくるだろう……。
あの日で、爽太と逢沢が築き上げた友情と思い出は、全て崩れ去ったのだ。
みんなと笑いあった日々が、逢沢が存在することで、輝かしいだけの記憶ではなくなった。
「……っ」
爽太が膝の上で握り拳を作ると、亜梨明はそんな彼の手に、自分の手をそっと重ねる。
「――あのね、逢沢さんの気持ち……私、すごくわかるんだ」
「えっ……?」
「私も、爽ちゃんに一回フラれてるから……」
亜梨明はそう言って、寂し気な笑みを浮かべた。
「爽ちゃんが大好きで、大好きで……そばにいられるだけで幸せだったのに、気持ちが通じ合わなかったら、近くにいることもできなくて……。遠くからでいいから……爽ちゃんのことを見ていたくて……余計に辛くなるだけってわかってても、虚しくなっても……爽ちゃんの存在を感じられることだけが、あの時の私の支えだった……。もしかしたら、私も逢沢さんみたいになってたかも」
「亜梨明……」
「だからなのかな……?逢沢さんはライバルなのに、敵って思えないの……」
亜梨明は逢沢への想いを語ると、「それにね」と、爽太を真っ直ぐ見つめる。
「爽ちゃんだって、本当はこんな解決の仕方……納得してないよね?」
図星を突かれ、爽太が目を丸くすると、「これでよかったなんて……本当は思ってないよね?」と、亜梨明が彼の心の奥底の気持ちに迫るように言った。
「ねぇ、爽ちゃん……。もし、爽ちゃんがホントの気持ちで『これでいい』って思うなら、私はもう何も言わない――。だけどもし、爽ちゃんがそう『思い込もう』としてるんだったら、やっぱりこれじゃあダメだよ……。悲しいよ……」
「…………」
「爽ちゃんと逢沢さんだけじゃない……。森田くん達とも……これから会うたびに、逢沢さんのことを言わないように……お互いに思い出さないようにするって……ギクシャクしちゃうんじゃないかな?」
亜梨明の言葉が、爽太がしまい込んだ感情一つ一つを呼び起こしていく。
「あんなお別れの仕方じゃ、嫌な気持ちがずっとかたまりみたいに残っちゃうよ……。だったら最後にもう一回会って……きちんとお別れしよう……?」
「…………」
爽太はすぐに答えを出さなかった。
だが、しばらくすると、迷うように視線を左右に動かし、亜梨明に尋ねる。
「もし……これが最後にならなくて……逢沢さんがまだ、言い寄ってきたら……?亜梨明にも……もっと酷いこと言ってきたりしたら……?」
爽太が最も不安に感じていることを聞くと、亜梨明はちょっぴり険しい顔になり、唸るような息を漏らす。
――が、それはほんの一瞬で、「その時は……」と、すぐに強気な表情に変わった。
「私が、逢沢さんと直接対決する!」
亜梨明はそう言って、握った手で胸の中心をトンッと叩いた。
「もし、逢沢さんがまだ爽ちゃんを諦めなかったり、爽ちゃんを渡せって言っても、絶対譲らないし、戦ってみせるよ!そりゃあ……力も弱いし、口ゲンカも弱いけど……でも、大丈夫っ!私、負けるつもりないから!かかってこい!って伝えて!」
「…………」
今までにない程、強くて逞しい亜梨明の様子に、爽太はぱちくりと瞬きを繰り返す。
「そうと決まれば、筋トレしなきゃだね!あと、難しい言葉で言われても言い返せるように……」
「ふっ……ふふっ……!」
「ん……?」
爽太が笑い出すと、亜梨明がキョトンとした顔で首を傾げる。
「えっ?なんで笑うの……?」
亜梨明が不思議に思って聞いても、爽太はしばらく泣き笑いのような――目元を僅かに濡らして、滲み出た涙を拭きながら笑い続けている。
「だって、亜梨明がかっこよすぎるから……」
「そ、そう……?」
「うん……。すごくかっこよくて、頼もしい……!」
爽太はこれまで、亜梨明のことをか弱い女の子だと思っていた。
中学で出会ったばかりの亜梨明は、病気を治すことに消極的で、生きることを諦めていて――そんな彼女を、自分が未来に引っ張って連れて行かなきゃいけない……そう思っていた。
だけど今は違う。
引っ張って連れて行くのではなく、険しい道も共に励まし合い、頼りたいと思える心強いパートナーだ。
爽太は深く息を吸い、体の内側に溜まっていた不安や苛立ちごと空気を吐き出すと、「わかった……」と言って、亜梨明に微かな笑みを向けた。
「明日、最後のお別れしてくる……!」
「うん!」
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