第330話 僕の彼女


 亜梨明の家に着くと、彼女が温かい紅茶を用意してくれた。


 昼時が近かったため、本屋の近くにあるパン屋で買ったものを食べながら、爽太はいつ話を切り出そうかと、タイミングを伺う。


 緊張のせいか、あまり食欲は無かったものの、亜梨明がそんな自分の様子を察してか、絵描き歌の本を開きながら話しかけては、爽太の気持ちを和まそうとしてくれた。


 食べ終えて、袋などを片付けていると、何度も口を開いたり閉じたりする爽太に、「逢沢さんと、何かあったの?」と、亜梨明が聞いた。


「……うん」

 爽太がゆっくり俯くように頷くと、亜梨明は「そっか……」とだけ言って、袋をゴミ箱に捨て、彼の隣へと戻ってきた。


「…………」

「……それで?」

「えっ?」

「爽ちゃんが聞いてもらいたいことって……?」

 てっきり、このあと亜梨明の方から順に質問されるのかと思っていた爽太は、ちょっぴり拍子抜けした顔で亜梨明を見る。


「どうしたの?」

「えっと、その……亜梨明は、気にならないの?僕が逢沢さんと何があったか……」

 爽太が聞くと、亜梨明は「すごく……気になる」と言って、膝を抱えた。


「逢沢さんに、「好き」って言われたのかなとか、他の話なのかなとか……本当はすごく気になるし、知りたいけど……でも、爽ちゃんが聞かれて困るなら聞かない。――それに、もし何かあっても……爽ちゃんは私といてくれる……よね?」


 亜梨明はそう言って、爽太の目を見る――が、もどかしそうな顔になると、「うーん……」と唸り、「でもやっぱり……ちょぴっとだけ聞きたいなぁ……」と、人差し指と親指で小さな隙間を作った。


 爽太は、知りたい気持ちを抑えながら、自分の意思を尊重してくれる亜梨明に応えたいと思い、「うん、全部話すよ……」と、逢沢との出来事を語った。


「――話してくれてありがとう。大変だったんだね……」

 爽太から同窓会のことや、その後のことを聞いた亜梨明は、彼の心を労わるように言った。


「うん……。一番困ってるのは、メッセージがずっと送られてくることで……でも、ブロックするのは……やり過ぎかなと思って迷ってる」

「そっか……」


 いっそ、してしまった方が楽なのはわかっている。


 中途半端に友としての感情を残すから、今日のように直接押しかけられたりするのだということも――。


 交際を断り続けるだけでは、逢沢の未練を断ち切ってやれない。


「ごめん……自分で招いたことだって、わかってるんだけど……。悪気は無いとはいえ、逢沢さんをその気にさせるようなことをしたのは、きっと僕だから……」

「確かに……爽ちゃんは、人を褒めるの上手だもんね」

 亜梨明が少しからかうように言うと、「バカ正直なだけだよ……」と爽太は困った顔で笑った。


「僕、直希に出会うまで友達がいなかったから……。直希みたいに、たくさん友達が欲しかったんだ……。それで、人のいい所を見つけて伝えたら、相手が喜んでくれるのが嬉しくて、そればかり考えてた。その後のことなんて、全く想像してなくて……男の子とか女の子とか関係無く、誰にでも『良い』と思ったことを全部伝えるようにした。その結果が、こうなって……逢沢さんも、僕に振り回された被害者だ……」


 強く突き放せないのは、その罪悪感からなのかもしれない。


 それならば、どうやって諦めてもらうのか……。


 爽太が俯いたままだんまりになっていると、「やっちゃったことは、もう無かったことにできないと思う……」と、亜梨明が言った。


「でもだからって、爽ちゃんが苦しみ続けるのは嫌……。けれど、ずっと爽ちゃんのことが大好きだった逢沢さんだけを責めて、傷付けるのも……違う、気が……」

「…………」

「――あ、ごめんね!別に、逢沢さんの味方になるつもりじゃなくて!!」

 亜梨明は慌てて訂正しようとするが、爽太が顔を上げて亜梨明を見たのは、別の理由だった。


「もちろん、逢沢さんがしつこく爽ちゃんに連絡することは、良くないことだと思うし、やめて欲しいけど――でも、なんだろう……私も爽ちゃんのことが好きだから、『辛いだけの失恋』は……他人事ひとごとに思えないんだ……」


 亜梨明はそう言うと、へらりとした笑顔を見せ、爽太と逢沢――二人が納得できる解決方法が無いかと考え始める。


「…………」

 爽太は、自分だけでなく、恋敵であるはずの逢沢にも寄り添おうとする亜梨明の純真さに心打たれ、これまで以上の気持ちで亜梨明を尊敬し、胸の奥を熱くさせた。


「お、怒ってる……?」

 爽太の顔や目が赤くなっていくのを見て、亜梨明がおずおずとしながら聞く。


「ううん、その逆……」

「ぎゃく?」

「感動してる……」

「えぇっ?」

 思っても無かった返事が返ってきて、亜梨明が怪訝そうに声を上げた。


「ありがとう……。亜梨明が……僕の彼女でよかった!」

「へっ?」

「僕のそばにいてくれるのが、亜梨明でよかった!」

「なんか、よくわかんないけど……爽ちゃんが元気になれたならいっか!」

 亜梨明は、爽太がどうしてそんなことを言ってくれたのか、理解できていないようだが、爽太は彼女がパートナーでいてくれることが嬉しく、そして誇らしい気持ちで満たされていた。


 *


 それからも、爽太の元には逢沢から、『会って話がしたい』『諦められないの』『どうして相楽さんじゃなきゃダメなの!?』と、彼に固執する内容が届き続けたが、爽太は全て無視を貫き通し、逢沢のトーク画面を開くことは無かった。


 こちらが動きを見せれば、逢沢は余計に自分と接触しようとしてくるだろうし、長期戦になってでも、逢沢を必要以上に傷付けず、関心が無いことを示すには、これが一番良いと思ったからだ。


 しかし、この判断が逆に、爽太が思いもよらない行動を、逢沢にとらせてしまうことに繋がるのだった。


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