第327話 三学期


 冬休みが終了し、今日から三学期が始まる。


「行ってきます」

 雪がほんのりちらつく冷たい朝の空気に、爽太は小さく身を震わせると、マフラーに顔を埋めながら、亜梨明達との待ち合わせ場所へと向かった。


 到着すると、スマホで時間を確認する。


「そろそろかな……。あっ……」

 ホーム画面に、逢沢からのメッセージが表示され、爽太はすぐさまそれを消去した。


 あれからも、逢沢からのメッセージは一日に数十件程入ってくる。


 なので、アプリの通知音に苛立ち、怯えることだけでも無くそうと、今は逢沢からのメッセージが届いても、音が鳴らないように設定した。


 完全に通知オフ、もしくはブロックしようかとも思ったが、何を考えているかわからない逢沢の動向を多少なりは把握しておきたかったし、友達としての想いも僅かに残っていて、非情にはなりきれなかった。


 返事はしないし、既読も付けない。

 このまま諦めて、一緒に遊んだ友人の一人としての気持ちで留まって欲しい。


 憂鬱な気分が優れない時には、亜梨明との思い出の曲を心の中で歌った。

 幼い頃からしてきた、感情を落ち着かせる方法だ。


「(そういえば、最近はあまり聴かせてもらってないな……)」

 亜梨明が夏城に戻ってきたばかりの頃は、亜梨明の家で毎週勉強会をしていたので、息抜きにピアノを演奏する彼女に頼むこともあったが、授業の遅れを取り戻してからは、外でデートすることや、爽太の家で会話を楽しむことがメインになってきたので、機会が減っていた。


 今度、お願いしてみようかと思いながら、爽太が自分が下ってきた道とは反対側の坂道を見ると、「爽ちゃ~ん!!」と、爽太が振り向いたことに気付いた亜梨明が、元気よく手を振って走り出す。


「転ぶと危ないから、ゆっくりでいいよ~!!」

 爽太に言われても、亜梨明はそのまま小走りで駆けてきて、後ろにいる奏音は、しょうがないな~と言いたげな顔のまま、姉の後ろを追いかけた。


「おはよう、爽ちゃん!」

「おはよ、日下」

「おはよう!」

 爽太が相楽姉妹に挨拶を返せば、亜梨明の顔が嬉しそうに綻ぶ。


「今日から新学期だね~!私、ずっと楽しみだったんだ~!!」

「日下に会いたいから……でしょ。冬休み中も時々会ってたくせに……。昨日なんか「爽ちゃんに早く会いたい~っ!」って、床に転がってたもんね」

 奏音が、前日の亜梨明の様子を声真似して伝えると、「ちょっ!それ爽ちゃんの前で言わないでよ~!」と、亜梨明が恥ずかしそうに顔を赤らめる。


「ふふっ、でも僕も……亜梨明と同じこと思ってた!」

「ホント!?」

 亜梨明がぱあっと表情を輝かせると、爽太は「うん!」と頷き、奏音は「いちゃつくなら、二人だけの時にしてくんない……?」と、目を半開きにして冷めた視線を向けた。


「……あ、そういえば!爽ちゃんからの年賀状届いてたけど、シンプルすぎるよ~!!プリントアウトだけして、何にもメッセージ書いてないんだもん!!」

 亜梨明が爽太からもらった、味気無い年賀状を思い出して言うと、爽太は「だって、『明けましておめでとう』も、『今年もよろしく』もイラストと一緒に書いてあったし……」と返した。


「そ、そうだけどぉ~……」

「こっちも聞きたいことがあるんだけど、亜梨明が描いたあの絵は何の動物?今年の干支じゃないよね?」

「えぇ~っ!見てわからなかったの!?フィーネとジャックだよ!!」

 亜梨明が驚いた顔で言うと、爽太はそれ以上にびっくりして、「あれフィーネとジャックなのっ!?」と、声を裏返した。


「ホラ、やっぱりわからなかった」

 奏音がクッ……と、笑いを堪えながら言うと、「わかるもんっ!」と亜梨明が髪を振り乱して妹の方を向く。


「だって、ジャックの毛色はグレーだから、ちゃんとグレーのペンで描いたんだよ!」

 亜梨明が不機嫌になって反論すると、「フィーネらしき動物も、黒いペンだったけど……」と、爽太が言った。


「だって〜、白いペンが無かったから、黒いペンで描くしかなかったんだもん……」

 亜梨明が唇を尖らせて説明すると、「どのペンで描いてようが、あれは猫には見えないし、幻の珍獣ってとこかな……」と奏音がからかうので、亜梨明はますますムキになって、「猫だもんっ!!」と怒った。


「ぶっ……くっ……っふ、ふふふっ……!!」

「あ~っ!!爽ちゃんまでバカにしてるでしょっ!!」

 二人のやり取りが面白くて、爽太はとうとう我慢できなくなり、「あっはははははっ!」と声を発して笑い出した。


「もーっ、今度はちゃんと猫ってわかるように描くんだから!」

 亜梨明はすっかり不機嫌になり、頬を膨らませながらリベンジを誓う。


 爽太は、そんな亜梨明が可愛くて、ついつい顔が緩みっぱなしになる。


「(やっぱり僕は、亜梨明と一緒にいる時が一番楽しい……!)」

 亜梨明と共に過ごす時間が、誰といるよりも幸せな気持ちに満たされて、癒される。


 爽太は、胸の内でそう呟きながら、亜梨明達と共に校門を通り抜けた。


 *


 始業式、大掃除などの新学期恒例の行事を済ませると、爽太は星華と共に亜梨明達のいる三組へと向かった。


 三学期初日ということで、学校は午前中のみ。


 部活も無いため、いつもの六人全員揃って帰ろうということになっていたのだが、教室の中に入れば、帰り支度が中途半端な亜梨明達が、何やら彼女の机に集まっている。


「あ、爽ちゃん星華ちゃん!ちょうどいいところに!!」

 シャーペンを置いた亜梨明が、白い紙に描いた絵を二人の前に差し出す。


「これは何の絵でしょう!?」

 亜梨明は自信たっぷりに聞くが、実在する動物とは言い難い絵が、二体描かれている。


「えっと……ねこ……?か、な……?左のやつは……トラ?」

「いやいや!右はネズミで、左はダルメシアン!!」

 爽太と星華が解答すると、亜梨明がぐぬっ……と、眉間にシワを寄せて歯を喰いしばり、「ちーがーうー!!」と叫んだ。


「正解は、右がキツネで、左はキリンでーす。そうは見えないけどそうらしいでーす……」

 奏音が答えを説明すると、「正解者ゼロじゃねぇか……」と風麻が言った。


「美術の成績そこまで悪くないのに、なんで動物だけ壊滅的にヘタクソなの……?」

「私……帰りに本屋さん寄って、絵の本でも探そうかな……」

 奏音の言葉がトドメとなったのか、亜梨明はすっかり自信を無くし、机に顔を伏せ、項垂れるように言う。


「あ、それなら私も行きたい!この前出た漫画の新刊、まだ買えてなかったんだ!」

 緑依風が小さく手を上げると、「俺も、今日単行本の最新刊出てるはずだから、寄り道しようかな」と、風麻も本屋への同行を願い出た。


「私はその手前のコンビニに寄りたいから、本屋はパスするね。奏音は?」

「私も本屋に用は無いけど……」

「そんじゃ、コンビニついて来てよ!そんで、そのままうちに来ない?お昼はテキトーにパンとか買ってさ!」

 星華が誘うと、奏音は「うん、今日はお母さんいないし、星華んちに遊びに行こうかな?」と、彼女の提案を受け入れることにした。


「爽太はどうする?」

「僕も特に買うものは無いけど、せっかくだから風麻達について行こうかな?」

 爽太が言うと、「爽ちゃんも一緒に本選んでくれるの?」と、亜梨明が机から顔を上げ、にぱっと明るい表情を見せる。


「うん、いい本見つかるといいね!」

「頼むよ日下……。あの芸術が、凡人にもわかるレベルになる本を選んでやってね」

 奏音がわざとらしい笑みを浮かべて爽太に言うと、「奏音、そろそろ本気で怒るよ……!」と、亜梨明は頬をパンパンに膨らませて妹を睨んだ。


 *


 学校を出た六人は、そのまましばらくおしゃべりを楽しみながら、駅前に続く道を歩く。


 途中のコンビニで、奏音と星華と別れた四人は、本屋を目指して再び歩き出した。


「そういえば爽ちゃん、同窓会どうだった?」

 亜梨明の質問に、爽太の心臓が小さく跳ね上がる。


「うん……楽しかったよ!」

 動揺してしまったせいで、一瞬まごついてしまった爽太だが、怪しまれぬよう言葉を繋ぎ、「みんなとたくさん喋って、小学校とかも見て来た!」と笑顔を作れば、亜梨明は疑うことなく、「そっか!よかったね!」と言った。


 同窓会の話題はそれだけで終わり、風麻が切り出した、週刊誌で連載中の漫画の話になったことで、爽太は静かに胸を撫で下ろす。


『同窓会』というワードに、先日のファミレスでの出来事や、逢沢の存在を思い出してしまったことだけ苦く感じるが、風麻と緑依風の会話に相槌を打ちながら、そのことを早く頭の中から消そうとしている時だった。


「――いたっ、爽太くんっ!!」

「えっ……?」

 聞き覚えのある――聞きたくない声が、爽太の斜め後ろから飛んでくる。


「あれ……?逢沢さん……?」

 亜梨明が呟くと、逢沢に会ったことのない緑依風と風麻は「誰?」と首を傾げた。


 冬丘中学校の制服を身に纏った逢沢は、四人の元へ走って近付いてくると、乱れる息を整えながら「ひどいよ、爽太くん……」と、悲しげな瞳で爽太を見上げた。


 そして、爽太の隣にいる亜梨明のことも、うるうるとした目に力を込め、嫉妬の念を燃やして見つめる。


「先に本屋に行ってて……」

「えっ……?でも……っ」

 亜梨明が心配そうに爽太と逢沢を交互に見ると、「大丈夫、すぐ行く」と爽太は言って、彼女を安心させるように優しく微笑む。


「風麻達も、あとで説明するから先に行って……」

 爽太が少し低めのトーンで言えば、風麻は神妙な顔つきで「わかった」と頷き、緑依風と亜梨明を連れてその場を離れた。


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