第326話 年賀状
その夜は久しぶりに、なかなか寝付くことができなかった。
ベッドに潜って三時間後にようやく眠ることができた爽太は、寝不足の頭でスマホを取り、電源がオフになっていることに首を傾げる。
「……あ、そうか」
前日しつこく送られてきた逢沢からのメッセージ。
それに嫌気がさし、電源を切ったのだった。
一日経っても返事が来なければ、流石に向こうもこちらにその気が無いとわかってくれたのではないか……?
だが、そんな期待を裏切るように、爽太が電源をオンに切り替えると、逢沢からのメッセージは、五十件以上も溜まっていた。
内容を見れば、変わらず自分に返事と、亜梨明と別れることを強要する文章ばかりだった。
「…………」
スマホを枕横に置き、朝食を食べに一階へと下りる爽太。
朝ご飯は、唯がひなたのリクエストできなこ餅を用意してくれたのだが、爽太は前日のことであまり食欲が湧かず、餅を一つと、かまぼこを二切れ食べて、「ごちそうさま……」と手を合わせた。
「あれっ?これだけ~?」
ひなたがびよーんと、伸びる餅を箸で切りながら聞く。
「お餅続きで飽きちゃったかな?お昼は久しぶりにピザでも頼んじゃおうか!」
唯が言うと、「ピザ~っ!」と、ひなたと晴太郎がバンザイをして喜ぶが、爽太は「なんでもいい……」と短く言って、リビングを出ていった。
パタン……と、ドアの音が空しくリビングに響く。
「お兄ちゃん、なんか怒ってた……?」
ひなたが眉をひそめながら、兄が去って行った方向を見る。
「ピザの気分じゃなかったのかな……?」
晴太郎も、キョトンと目を丸くして、素っ気ない口調の息子を不思議に思った。
*
爽太が部屋に戻ると、スマホからまたピコン、ピコンと、通知音が鳴っている。
アプリを開かず、ホーム画面に映る通知欄だけ読めば、『おはよう爽太くん』『やっと見てくれたんだね』『うれしい』『相楽さんとお別れしてくれましたか?』という文面が並べられており、爽太は深くため息をつきながら、再びスマホの電源をオフに戻した。
パジャマから服に着替え、すでに終わっている冬休みの宿題の問題集を開き、間違いが無いか確認をする。
冬休みもあと二日で終わり、もうすぐ三学期が始まる。
『同窓会、たくさん楽しんできてね!』
「…………」
昨日、電車の中で見た、亜梨明のメッセージを思い出した爽太は、「どうしよう……」と、心の中で力無く呟く。
楽しい一日になるはずだった。
懐かしい友達と、懐かしい日々を振り返りながら過ごし、「楽しかった!」と、笑って言うはずだったのに――。
逢沢に交際を迫られていることを亜梨明に言えば、きっと不安にさせてしまう。
せっかく、信頼して送り出してくれたのに、こんなことになるのなら行かせなきゃよかったなんて、嫌な思いをさせたくない。
「(あ、そうだ……!)」
スマホの電源を切ってしまっては、亜梨明から連絡が来た時に気付けない。
爽太がもう一度電源を入れようとした時だった。
プルルルルル――と、一階の固定電話が鳴る音がする。
「(まさか……!)」
爽太は嫌な予感に背筋をヒヤリとさせながら、ドアを荒っぽく開き、階段を駆け下りる。
引っ越し先の電話番号は逢沢に教えていない。
だが、森田や一部の友人はこの家の番号を知っている。
どこかから、情報が逢沢に漏れてるかもしれない――!
リビングでは、電話を手にした唯が、「……爽太?はい、いますよ~」と、受話器の向こうの相手に、爽太がいることを告げている。
「あ、爽太!ちょうどよかっ――っ」
「貸してっ!!」
爽太は母から奪い取るように受話器を受け取ると、自分に用があって掛けて来た相手に向かって、声を張り上げようと息を吸う――が。
「よう、爽太!」
「え……?」
耳元に響く声は、逢沢――ではなく、陽気で明るい少年の声。
「な、直希……?」
「ケータイ、電話してもぜんっぜん繋がんね~んだけど、なんだ?バッテリー切れか?」
爽太は、聞き慣れた親友の声に安堵し、「はぁ~っ……」と深く息を吐くと、焦りに動きが速まった鼓動を落ち着かせようと、キュッと胸元の服を掴む。
「……うん、充電するの忘れてて」
「なぁんだ!今から爽太んちに、旅行の土産持って行こうと思ってさ!」
「…………」
爽太は直希の声を聴きながら、驚いた顔のまま、自分を心配そうに見つめる母の視線に気まずさを感じ、「僕が直希の家に取りに行くよ」と言えば、「そんじゃあ、その途中のコンビニにしようぜ!」と直希が返し、そこで落ち合うことにした。
「出かけるの?」
唯が聞いた。
「うん……。お昼は家で食べる。先に食べててもいいから……」
爽太は詮索される前にと、受話器を充電器に戻してすぐ部屋へ戻り、上着を羽織り、財布のみをポケットに入れて、直希との待ち合わせ場所へと向かった。
*
「なぁんか、爽太の様子が変なのよねぇ~……」
爽太が家を出て二十分後。
リビングのテーブルチェアに座る唯が、みかんの皮を剥きながら夫に話す。
「唯ちゃんも思ってた?」
ピザ屋のチラシを見比べていた晴太郎も、いつもと違う爽太の様子が気になっていたらしい。
「うん、昨日森田くん達と会って帰って来てから、元気が無いというか……イライラピリピリしてて……。さっきもね、直希くんから電話がかかって来た時、ものすごい焦った顔で、電話をぶんどってきて……って、ちょっと!それ私のみかん!」
晴太郎にみかんを取られ、唯が声を張り上げると、彼は謝るどころか美味しそうに口をもぐもぐさせて、「唯が剝いてくれたのが食べたかったんだも~ん!」と言った。
「……昨日帰って来てから、爽太何か言ってた?」
晴太郎がもう一つ頂こうかと思い、みかんに手を伸ばして聞く。
「ううん、お喋りたくさんしたってのと、お腹いっぱいってだけ……」
唯は、これ以上夫にみかんを取られぬよう、そっと手でガードを作り、「自分で剥いて食べて」と言う代わりに、皮がついたままのみかんを晴太郎の目の前に差し出した。
晴太郎は、ちょっぴり残念そうに肩を落とすと、それを受け取りながら、「あとで、俺から爽太に何かあったか聞いてみようか?」と、提案する。
「うーん……多分、聞いたところで答えないと思うけど。だってあの子、こっちが心配すると余計に言えなくなっちゃうタイプでしょ?楽しかったことは、全部聞いて欲しそうにたくさん話してくれるけど」
「ははっ!そういえば、小学生の頃は直希くんと遊んだ話を、ずーっと嬉しそうに聞かせてくれたっけ!それが、中学になったら今度は亜梨明ちゃんのこと……。いつの間にか、急に大人びたように思ってたけど、根本的なとこは変わらないな!」
「そうねぇ~……。でもまぁ、普通に考えても、もう親に悩みを聞いてもらいたいなんて歳じゃないわ。どうしてもの時はフォローするけど、今は友達も彼女もいるんだもの。話を聞いてもらうなら、そっちを頼りにするでしょうね」
唯が嬉しくもあり、寂しくもあるような表情で言うと、晴太郎も同じ気持ちで「そうだね……」と頷いた。
リビングの外では、年賀状を取りにポストに行っていたひなたが、両親の会話を耳にし、少々入りづらそうに立ち尽くしている。
そして、昨日からの爽太の様子を思い浮かべ、兄宛てに届いた年賀状を見つめると、それを彼の部屋に置きに行き、何も聞いていなかったフリをして、リビングへと入った。
*
「ただいま……」
爽太が、直希からのお土産のお菓子を手に持って帰宅すると、「おかえり」と、まるで待ち伏せしていたかのように、靴箱の前でひなたが立っていた。
「…………」
「……どうかした?」
無言のまま自分の顔を見つめる妹に、爽太が首を傾げる。
「どうかした?……は、お兄ちゃんだよ」
「えっ?」
妹の言葉に、爽太が軽く動揺すると、ひなたは詮索したい気持ちを押さえ、「上に……」と言って、人差し指を立てる。
「上?」
「お兄ちゃんの部屋に、元気になるもの置いといたから……。それ見て、早くいつも通りに戻って」
「あ……」
「あんまり怖い顔してると、ますます心配しちゃうよ!」
ひなたはそう言って、リビングに向かって歩き出す――が、二、三歩歩いたところで引き返し、「直くんのお土産、あとで私にもちょうだい!」と催促して、爽太から離れていった。
爽太は、ひなたが言っていた、『元気になるもの』を見るために、一旦自分の部屋へ向かう。
すると、机の上に亜梨明から送られてきた年賀状が置いてあるのを発見し、そっと手に取った。
◇◇◇
爽ちゃん、明けましておめでとう!
今年もよろしくお願いします!
3学期も会えるの楽しみにしてるね!
◇◇◇
可愛らしいパステルカラーの背景に、干支の動物がプリントされた年賀状。
その空いたスペースに書かれた、亜梨明からのメッセージと――。
「これは……何の動物??」
ネズミのような、犬のような、ハムスターのような……何とも表現しにくいちょっとブサイクで、でも愛嬌のある亜梨明のイラストに、爽太は「ふふっ……」と笑みをこぼす。
「あっ……」
いつの間にか、胸の奥でつっかえていたものが消え、自然と笑えていることに気付く爽太は、先程ひなたに言われた言葉を思い出し、鏡の前に立つ。
「…………」
両手で自分の顔を軽くマッサージをしてみれば、表情筋と共に、張り詰めていた心も
「よし……!」
逢沢のことは、解決したわけでは無い。
しかし、亜梨明からの年賀状を見て、少し気を紛らわすことができた爽太は、いつも通りの表情で、家族と昼食を楽しむことができたのだった。
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