第317話 水族館(後編)


 気を取り直して、イルカショーが行われる屋外の観覧席に移動した二人は、空いてる席を見つけて、そこに座った。


 ショーが開始されると、軽快な音楽が流れ出し、飼育員の笛の音や手の合図に合わせて、イルカたちが多彩な芸を披露してくれた。


「すっげー!!」

 イルカが水中から高々とジャンプし、尾ひれで天井から吊るされたボールにタッチすると、風麻は大興奮のあまり、思わず椅子から立ち上がる。


 飼育員の足を鼻先で押しながら泳ぐ芸の時には、「俺もあれやってみてぇ!」と、言い、緑依風は、そんな無邪気な風麻の様子をクスクス笑いながら優しい眼差しで見つめていた。


 ショーが終われば、再び屋内施設の水槽を巡る風麻と緑依風。


 円柱の水槽には、大きなマンボウ、大口を開けたまま群れで泳ぐマイワシがおり、そこからすぐそばの横長い水槽では、サンタクロースの格好をしたダイバーが、水の中に設置したクリスマスツリーの前で、観客達に手を振っていた。


「ほぉ~ん、水族館だから、オーナメントも貝とかヒトデとか、海の生き物のやつ使ってるんだな!」

 風麻がツリーにぶら下がる飾りを眺めていると、パシャッと、隣にいる緑依風からシャッター音が聞こえた。


「ん?」

「あっ、ご、ごめん……。風麻が楽しそうな顔してるから、つい……」

 緑依風が気まずそうにスマホで口元を隠しながら謝る。


「へ?」

「だって、せっかくのデートだから……風麻との思い出、写真に撮って残したいな~って。嫌だったら消すけど……」

 怒られると思ったのか、緑依風は申し訳なさそうに俯くが、彼女が自分と同じようなことをしていたと知った風麻は、「なんだよ、お前もか!」と言って、ふはっと息を漏らす。


「俺も実は……さっきからこっそりな……」

 風麻が自分のスマホのフォルダを見せると、「私も……かなり前から、魚と一緒に……」と、緑依風もカミングアウトした。


「あとで、メシ食う時に見せっこしようぜ!」

「うん!」


 館内の展示を全て巡り終えた二人は、昼食をとるためにカフェへと移動した。


 時刻は午後一時過ぎで、まだまだ食事をする客はいるようだが、タイミングよく景色の良い窓際の席が空き、そこに着いた。


 緑依風は、魚の形に型抜かれたチーズの乗ったシーフードピラフのオムライスのセットを頼み、風麻はエビとアボカドの入ったサンドウィッチと、フィッシュ&チップスのセット。


 ドリンクは、二人共海の色をイメージした青いクリームソーダに、イルカの形のクッキーが乗ったものを選んだ。


 風麻が、食事と一緒に緑依風も写るように写真を撮ると、彼女も同じことをしていたようで、互いにそれを見せ合った。


 食べる時も、写真を見ている時も、クリスマスプレゼントを交換する時も、緑依風は常に楽しそうに笑っている。


 あともう少しすれば夏城に戻り、夜は風麻の家に緑依風の妹達も揃って、みんなでクリスマスパーティーをする。


 そして、それが終われば――いつも通り。


 緑依風は再びあの家で、多忙な母親の代わりを務め、母親の顔色を伺いながら、母親の期待に応えようと努力するのだろう。


 本当の気持ちを言えないまま――。


 *


 食事を終え、お土産コーナーを覗いた二人は、お金を出し合い、弟妹達のためにペンギンのイラストがプリントされたクッキーを購入した。


「昨日冬麻が、「僕も水族館行きたい!」って言い出してさ~。デートだからって言ったら、自分も水族館で優菜とデートするって、床に転がって泣いてたんだよ……」

「あはは!優菜とデートで来れるようになるには、もうちょっと先かなぁ~……ん?」

 緑依風の視線の先で、クリスマスツリーに何かを飾り付けてる人達がいる。


 二人がツリーに近付くと、そばに立てられた看板には、こんな説明が書かれていた。


「え~っと、『星型の紙にお願い事を書いて、ツリーに飾ろう!サンタクロースがあなたの願いを叶えてくれるかも』……って」

 緑依風が読み上げると、「七夕と勘違いしてねぇ?」と風麻が呆れたように顔を歪める。


「まぁまぁ、せっかくだから私達も書いてこうよ!」

「……だな」

 二人はツリーの横にある台に移動し、紐の付いた星型の紙とペンを取り、それぞれの願いを書く。


 風麻が先に書き終え、ツリーに吊るすと、緑依風も自分の紙を空いてる場所へ吊るし始める。


「緑依風は何書いたんだ?」

 風麻がそう言いながら緑依風の願い事を見ると、『パティシエールになれますように』と綺麗な字で書かれていた。


「やっぱそれなんだ」

 風麻が言うと、「一番の願いは、叶ったからね」と緑依風が言った。


「え?」

「……あんたと、両想いになれるように……って」

「えっ?」

 緑依風が恥じらうように俯くと、「風麻は?」と、彼の願いを聞く。


「あ~、俺は……」

 風麻は自分の吊るした紙にチラリと視線をやると、「その辺に引っ掛けたから、自分で見てくれ……」と言って、ツリーから離れた。


 緑依風は照れた様子の風麻に、彼が何を書いたかワクワクしながら星に手を伸ばした――が、その願い事を知ると、ツカツカと風麻の元へ向かい、腕をぎゅうっと掴んで、額をくっつける。


「願い事、多すぎだよ……」

「一個だけなんて、書いてなかったからな……」


 風麻の星型の紙には、三つの願いが並べられていた。


『緑依風をずっと守っていけますように』

『緑依風のケーキとメシをずっと食べられますように』

『緑依風がいっぱい笑っていられる日が続きますように』


 かっこつけでも、一時の願いでもない。

 緑依風を好きだと思った日から、今日も――そしてこれからもずっと、風麻が願うことだ。


 *


 水族館を出て、海の見えるベンチに二人で腰掛けると、「ところで、さっきの願いなんだけど……」と、緑依風が少々むくれながら話始めた。


「あれ……もし知り合いに見られたら、私のことってバレちゃうじゃん……」

 どうやら緑依風は、誰が見るかわからない所で名前を書かれたのが恥ずかしいらしく、「せめて『彼女が』じゃダメだったの?」と頬を赤らめる。


「違う緑依風さんかもしれないじゃんか」

「こんな名前の人が他にもたくさんいたら、私この名前で苦労してないし!」

「探せばもう一人くらいいるんじゃね?」

 風麻が気にしない様子で返し続けると、緑依風は「も~っ」と呆れたが、「でもさ……」と機嫌を直し、「すごく嬉しかった……」と言った。


「今日もすごく、すごく楽しくて……。最近は、お母さんとのことでちょっと気が滅入ってたから……そのせいなのかな……デート……終わって欲しくないなぁ……っ」

 緑依風が少し涙ぐんで俯くと、風麻はそっと肩を抱き寄せ、彼女の髪を撫でる。


「ごめん、笑って欲しいって書いてたのに、早速泣きそう……」

「いいよ、泣きたいときは遠慮なく泣け……」

「あ~でも、化粧落ちちゃうかもしんないから……」

 緑依風はなるべく目元を擦らないように気を付けながら涙を拭き、落ち着きを取り戻したところで、風麻が口を開く。


「……あんなこと書いたけどさ、だからって、『無理にでも笑って乗り切ろう』は、やめてくれよ。それは見てる側も緑依風自身もしんどくなるだけだし、その時は泣くなり怒るなりして、本音を吐いてくれ」

「うん……」

「……俺は、緑依風の一番の味方だ。ガキの頃から、それは変わんねぇ……」

「うん……」

「…………」

 風麻は、泣き顔の緑依風を優しく抱き締めると、そのまま彼女にキスをしようとする――が。


「あ、待って!今日は私から……!」

「嫌だね」

「あ……」

 緑依風の静止を聞かずに、風麻が彼女と自分の唇を重ねると、穏やかな波音と潮風の囁きが、二人の時間を止める。


「……もう、いつも風麻に先越されちゃう」

 緑依風が悔しそうに上目で睨むと、「悪りぃけど、これだけは譲りたくねぇな……」と、風麻がやんちゃな表情で言った。


「なんで?」

「こういうのは、男がリードしたいもんなの!」

「なにそれ?」

「それに、される方が恥ずかしいんだよ……俺は」


 風麻がそう返答すれば、緑依風は彼がリードしたがる理由が可愛くて、「ふふっ」と声を漏らす。


 風麻は、そんな緑依風に「そこは笑うな」と抗議するように、今度は彼女の目元横にキスを落とし、腕の中へおさめるのだった。


 *


 ベンチでひと時を過ごした緑依風と風麻は、もう少しこの街でゆっくり過ごそうと、水族館周辺を散歩し、海を背景に二人で写った記念写真を撮った。


 小一時間程すると、駅前に人が増えてくるのが見え、本格的に混雑する前に帰った方がいいと判断し、楽しい思い出と名残惜しい気持ちを抱えながら、電車に乗って夏城へと戻った。


「おかえりなさい!」

 坂下家に到着すると、クリスマスパーティーのご馳走を用意していた伊織が、リビングのドアから顔を出し、二人を出迎える。


 朝から坂下家に預かってもらっていた千草や優菜も、秋麻と冬麻と一緒に飾りつけの手伝いをしていた。


「お兄ちゃん、緑依風ちゃん、おみやげは~!?」

 冬麻が折り紙の輪っかを放り投げ、風麻に駆け寄る。


「あるぞ、これみんなでわけっこな!」

「わ~い!」

「兄ちゃん、高いとこにこれつけるの手伝ってよ!」

「おぅ、任せろ!」

 風麻が秋麻の代わりに台に乗り、弟妹達が作った折り紙の輪っかを取り付けていると、上着を脱いだ緑依風は、「おばさん、お料理私も手伝いますね!」と言って、腕の袖を捲った。


 風麻が台から下りて振り向くと、冬麻と優菜はお土産のクッキーを、どの柄にするか選び始め、秋麻と千草は飾りつけ用で余ったバルーンで遊びふざけている。


 緑依風は伊織の隣で、サラダの盛り付けを手伝っており、クリスマスリースの形にレタスやブロッコリーを並べて、その上に生ハムやチーズ、トマトを乗せていた。


 午後七時を過ぎると、たくさんのフライドチキンとローストビーフ、シャンパンやシャンメリーを買い込んだ父の和麻が帰ってきた。


「さて、そろそろパーティーしましょっか!」

 ローストビーフをお皿に並び終えた伊織が言うと、弟妹達が手を洗いに洗面所へ向かい、「風麻も洗っておいで!」と、緑依風が末っ子達の遊び相手をしていた風麻に声を掛けた。


 二台くっつけたローテーブルにごちそうが運ばれ、取り皿やグラスをみんなで手分けして配り、席に着く。


 冬麻は優菜と、秋麻は千草と並んで座り、風麻が緑依風の隣に座るのも毎年恒例だが、今年は去年と関係が変わったせいもあり、なんだかちょっぴりくすぐったい。


「んじゃ、メリークリスマス!」

 和麻の掛け声で、大人はシャンパンを、子供達はシャンメリーを注いだグラスを持ち上げて乾杯する。


 坂下家、松山姉妹揃って行うクリスマスパーティー。

 あったかくて、優しい、風麻が大好きな光景。


 毎年見ているはずなのに、今年の風麻に目には、いつもより特別で幸せなものに感じて、胸の奥が満たされていく――。


 風麻が、そんな想いの答えを確かめるように、テーブルの下でそっと緑依風の手に自分の手を重ねてみれば、彼女は風麻の方へ振り向き、にっこりと目を細めて微笑んだ。


 飲み物にアルコールは入っていないはずなのに、やたら顔が熱くて高揚する気分に、風麻は小さく笑いながらチキンに手を伸ばした。


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