第314話 人んちのこと


 昼食を食べ終えた風麻は、ベッドの上で仰向けになり、右手の指輪を見上げながら、爽太と買い物をしていた時のやりとりを思い返していた――。


 *


 昨日の夜。


 竹田先生から明日の部活を休みにするという連絡が来た後、爽太から、亜梨明に送るプレゼント選びに付き合って欲しいと、メッセージが届いた。


 そして今朝、冬丘街のショッピングモールへ行く道中で、爽太は亜梨明のために、ペアリングを買うことを検討していると風麻に告げる。


「指輪は重い、ハードルが高いって言ってなかったか?」

 ガタゴトと電車の中で揺られながら、風麻が聞く。


「うん、そうなんだけど……。前に土曜の勉強会で、風麻と松山さんが付けてるの見て、亜梨明が羨ましがってたでしょ?」

 亜梨明は爽太に直接欲しいとは言わなかったが、緑依風と風麻の右手を、ホワンとした表情で何度も見つめていた。


「この間、紛らわしいことして亜梨明を不安にさせたし、亜梨明が喜んでくれるなら……」

「ちょっとくらい恥ずかしくても……ってか?」

 風麻がニヤっとして爽太を見上げると、彼は「あとはまぁ……風麻の漢気への対抗心も!」と言った。


「俺への対抗心?」

「彼女にペアリング贈るなんて、僕より苦手そうなのに……。すごいことするなぁって思ったよ」

「へっ、時計をプレゼントする意味を知ってて選んだお前には負けるよ……」

 風麻はその意味を知った時のことを思い出しながら、上からぶら下がるつり革を握り直す。


 その右手の薬指には、緑依風とお揃いの銀色の輪っかがはめられていた。


 *


 冬丘のショッピングモールに到着すると、風麻は以前ペアリングを購入した店へと、爽太を案内する。


 値段はセットで千円程のものから、三千円、一万円代と幅広いが、中学生や高校生は、やはりお手頃価格な千円前後の物が人気のようだ。


「風麻が付けてるのは、ちょっと幅広めだね?」

「あぁ、俺が買った時はあんまり種類置いてなかったからな……。今はクリスマスシーズンだからなのか、前来た時よりたくさんあるぞ」

 風麻が細くて長い指を持つ爽太や、亜梨明に似合いそうな指輪を探していると、爽太はそんな彼の右薬指をじーっと眺めている。


「どうした?」

「風麻って、どういう時にリング着けてるのかなぁって思ってさ」

「どう?」

 風麻が首を傾げると、「だって、この間直希と三人で集まってた時は着けてなかったでしょ?」と、爽太が三週間前のことを思い出して言った。


「最初は、松山さんと出かける時だけなのかって思ってたけど、今日は僕と二人なのに着けてるから」

「あぁ~……」

 風麻はそう言いながら、自分の手に視線を移す。


「緑依風といる時……それから、緑依風のことを考えてる時……かもな」

「?」

 爽太がキョトンとしながら首を傾げると、「おっ、この辺のやつどうだ?」と、風麻が細くてシンプルなデザインの指輪が並ぶ場所を指す。


 爽太はその中から、中央に小さな宝石が入って、内側に愛を示す文字が刻まれている物を選んだ。


 ペアリングなので、同じデザインだが、爽太のは銀色で、亜梨明のはふわふわした雰囲気の彼女に似合う、ピンクゴールドカラーだ。


 爽太の買い物が済むと、今度は風麻が緑依風に贈るクリスマスプレゼント選びが始まる。


「爽太が今日声掛けてくれて助かったぜ……」

「風麻、毎回プレゼント選びに苦戦するって言ってたもんね」

 初デートでクリスマスというプレッシャーで、いつも以上にプレゼントのことで頭を抱えていた風麻は、センスの良さそうな爽太がいることで、ちょっぴり気が楽になっていた。


 いくつか店舗を巡った結果、緑依風への贈り物はクリスマス限定のハンドクリームとリップクリームのギフトセットにした。


 風麻は最初、アクセサリーやインテリア雑貨など、形に残る物のみで考えていたのだが、消耗品でも普段使うよりいい品物はきっと喜ばれると、爽太からアドバイスをもらい、それを選んだ。


「松山さんは料理するから、ハンドクリームは必ず使うし、きっとこういうの喜ぶと思うよ」

「だといいな」

「うわぁ~ん……」

 風麻がラッピングしてもらったプレゼントを鞄にしまっていると、すぐそばで小さな女の子の泣き声がした。


「ずるい~っ!あたしもだっこぉ~っ!」

「ワガママ言わないの!お姉ちゃんでしょ!」

 四歳くらいの女の子の母親は、妹を抱っこしている母親にしがみついて訴えるが、ベビーカーと下の子で両手が塞がっている母親は、姉だからという理由で我慢を強要し、女の子の願いは聞いてもらえない。


「…………」

 風麻の目に、その女の子の姿が緑依風と重なる。


 *


「……なぁ爽太、人んちのことって、どこまで踏み込んでいいと思う?」

「えっ……?」

 休憩スペースで、自販機で購入したドリンクを飲みながら、風麻が聞いた。


「それは、松山さんの家のこと?」

 爽太はカフェオレを両手で持ちながら聞き返すと、風麻はこくりと頷く。


「それは……僕もわからない。松山さんちと、長年家族ぐるみで付き合いのある風麻がそう思うんだから、僕は余計にわかんないよ」

「だよなぁ……」

 風麻は缶ココアをズズッとすするようにして飲むと、「はぁ……」とため息をつく。


「松山さんのことを考えてる時っていうのは、そのこと?」

「…………」

 爽太が風麻の右手に視線をやりながら聞くと、風麻は左手の指で指輪をこする。


「子供の頃は、何もわかんなくて、怖いもん知らずだったからさ……自分が「なんで?」って思うこと、何でも言えた。……それが、色んなことを知るにつれて、言ってもいいこと、言っちゃダメなことがわかるから……緑依風が悩み抱えてることをなんとかしてやりたいって思っても、どうにもできないのがもどかしい……」


 もっと、緑依風を自由にさせてあげて欲しい。

 夫婦で不満を言い合うなら、緑依風や彼女の妹達がいない場所で解決して欲しい。


 北斗と葉子には、風麻も幼い頃から世話になり、たくさん可愛がってもらった。


 だが、年々二人の間に流れる空気が変わってきていることは気付いていたし、緑依風から語られる彼女の両親の話も聞いていると、昔のように――ましてや、松山家の家族間のことまでなんて、口出しできない。


「……松山さんちのことについて、僕らは多分何もできないと思う」

「…………」

「でも、松山さんが親のことで悩む時間を、ちょっとでも無くしたり、少なくすることはできるんじゃない?」

 風麻が顔を上げると、爽太はニコッと微笑んだ。


「明日のクリスマスデート、松山さんが家のこと考えるヒマなんて無いくらい、楽しませてあげなよ。それは、無茶なデートプランを立てるとかじゃなくて、風麻が松山さんと一緒に、めいっぱい楽しむのが一番だと思う」

 爽太にそう言われると、風麻はいつの間にか明日のデートより、自分じゃどうにもできない、緑依風の現状を解決させたい気持ちばかりに、意識が向いていたことと気付く。


「風麻が松山さんのことで悩み過ぎて、暗い顔になっちゃうと、松山さんの心配ごとが増えちゃうだろ?」

「……だな、緑依風はそういう性格だ」

 風麻は残ったココアを一気に飲み干すと、「よっし、帰るか!」と言って、空き缶をゴミ箱へ捨てた。


「爽太は、明日の午後から相楽姉とデートだよな」

「うん。……正直どのタイミングで勝負すればいいのか、ちょっと緊張してるけど……大丈夫!しっかり決めてくるよ!」

「おう、いい報告期待してるぜ!」


 *


 回想を終えた風麻は、先程緑依風に「あまり無理すんな」と言いかけてやめたことを考えていた。


 無理をするなと言ったところで、やめられるような人間ではない。


 だったらせめて、自分といる時だけでも、緑依風が心から笑って楽しめるようにしてあげたい。


 緑依風の笑顔を、たくさん見られる一日にしたい。


「……っし!」

 風麻は体をバネのようにして勢いよく起き上がると、パチンと頬を両手で叩き、明日のデートに向けた準備を始めるのだった。


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