第313話 愛情表現
十二月二十三日。
木の葉の店の前では、クリスマスケーキの販売が行われていた。
外売りするスタッフと、店内でホールを担当する者は、クリスマスらしくサンタ帽を被って接客している。
緑依風は去年も手伝いをしたので外販売は二度目。
その緑依風の隣では、冬休み限定で短期バイトに入った女子大生が、寒さと緊張によって硬直した指先で、お釣りを用意しようとしている――が、電卓の入力を間違えてしまい、軽くパニックになっていた。
「お待たせして申し訳ございません、5896円のお返しでございます!」
気付いた緑依風が、暗算で正しい金額を計算し、お釣りと商品を客に手渡すと、女子大生はペコペコと頭を下げ、緑依風に礼を言った。
「うぅっ……中学生に助けられる大学生なんて……」
女子大生が凹んでいると、緑依風は「大丈夫だよ、やってるうちに慣れるって!」と励ましの言葉を掛ける。
「ケーキの値段に合わせて、お客さんが出すお金も同じパターンが多いから、それさえ覚えちゃえば、最悪電卓無くてもすぐ対応できるよ」
一応、トラブル防止のために、電卓を使うことが前提ではあるが、中にはせっかちな客もいるため、そこは臨機応変に対応している。
「ふぅ……。クリスマス本番は明日明後日なのに、いっぱい来てくれるなぁ……」
クリスマス限定のホールケーキと1ピースで売られているケーキ。
木の葉のクリスマスケーキは、毎年デザインや味付けが異なっているため、十一月の中頃に案内を出した途端、予約の問い合わせが殺到した。
店頭販売開始から二時間後。
外売り用のケーキが完売したので、緑依風がホールの手伝いをしようと店内に入った時だった。
「緑依風、あとは他のスタッフに任せるから、家に帰ってゆっくり休んで」
厨房から出てきた北斗が、冷えきった手を擦り合わせる緑依風に言った。
「えっ?でもあと一時間もあるし……」
緑依風が時計を見て言うと、北斗が困ったような笑みを浮かべて、「お母さんが、あまりいい顔しないからね……」と、お客さんのグラスにお冷を注ぐ葉子を見る。
「この前のこともあるし、明日の朝は風麻くんと出かけるんだろう?今日の手伝い分は、クリスマスプレゼントも兼ねて、ちょっと多めに入れてあるから……」
そう言って、北斗はお金の入った封筒を緑依風に渡し、緑依風は「ありがとう」と礼を言って、それを受け取った。
「今日も多分、お父さんもお母さんも帰りは遅くなりそうだ……。千草達のこと……頼んだよ」
「うん、大丈夫!明日分の仕込み、頑張ってね!」
緑依風が他のスタッフに「お先に失礼します」と挨拶をして、更衣室に戻ると、ドアを閉めてすぐに入ってきた葉子が、「帰るの……?」と聞いた。
「うん、お父さんがもう上がっていいって」
「そう……。お昼ご飯を千草と優菜に食べさせたら、冬休みの宿題を進めておきなさい。夕食もお願いするけど、食器の片付けや洗濯を畳むのは私がやるから、置いといてちょうだい」
「ううん、私やるよ。帰りは二人共遅くなるって、お父さん言ってたし」
「…………」
葉子はそれを聞いた途端、険しい顔になってため息をつき、「そうね……」と暗い声で言った。
「お母さん、大丈夫……?」
緑依風が俯く葉子を心配して近寄ろうとすると、葉子はゆっくりと顔を上げ、「大丈夫だから、早く帰りなさい……」と言い残し、仕事へと戻った。
「…………」
緑依風はサンタ帽を取り外すと、木の葉の制服から着て来た服へと着替え、帰り支度をする。
店を出る前、ホールにいる葉子の様子を伺うと、先程の苦しそうな顔から接客スマイルになっており、若いスタッフへ指示する姿も、この前のようなピリピリした空気は感じられない。
勉強と、店と、父のことさえなければ、母はいい人だ。
「(……私は、最後にお母さんとそのこと以外でおしゃべりしたの、いつだっけ……)」
年々減り続ける、緑依風が葉子と楽しく会話した記憶。
母と話をすること、母の存在が、今や緑依風にとって『怖いもの』でしかない。
*
緑依風が店を出て、家に向かって歩いていると、「おーい、緑依風~!」と後ろから風麻の声がした。
「手伝いもう終わったのか?」
「うん、外売りのケーキは完売したから、先に帰らせてもらった。……っていうか、そっちこそもう部活終わったの?まだ十二時過ぎなのに」
今日は朝から男子バレー部は活動日だと聞いていた緑依風だが、風麻は私服姿で、鞄もスポーツバッグではない。
「昨日の夜、竹田先生が急遽部活ナシにしたいって連絡してきてさ。二人目の子供が産まれそうなんだって!」
竹田家の明るいニュースを聞いた緑依風は、「そっかぁ~、無事に産まれるといいね!」と言い、風麻と並んで歩き始める。
「……んで、俺はさっきまで爽太と冬丘で買い物してきたってわけ」
風麻がそう言って、背中にあるボディバッグに目配せすると、彼の鞄はポコッと一部分だけ膨らんでいた。
「買い物って、クリスマスプレゼント?」
緑依風が言うと、「さぁて?」と風麻は知らんぷりするが、もはや隠す気は無いようで、「明日までのお楽しみ」と言って笑った。
ガードレールのある細い歩道に入ると、緑依風と風麻の隣り合う手が、ぶつからずとも、とても近い距離まで接近する。
「…………」
風麻と手を繋ぎたいと思う緑依風は、寒さでほんのりと冷えた指先を伸ばし、彼の手に触れようとする――が、それより先に、風麻が緑依風の手を握り、指同士を絡ませてきた。
嬉しい――けど、自分から手を繋ぎたかった緑依風は、また先を越されたと、ちょっぴり悔しくなる。
せっかく想いが通じ、付き合うようになったのに、緑依風は未だに風麻にどう甘えたらいいのかわからず、すぐに行動に移すことができない。
今、手を握ってもいいのかな?
くっついてみてもいいのかな?
そう悩んで、どうしようかと考えているうちに、それを察した風麻がリードしてくれる。
もちろんそれはそれでありがたいし、同じ気持ちでいてくれることはとても嬉しいことだ。
だが、自分ばかりしてもらっていては、風麻を不安にさせないだろうか?
手繋ぎだけではない。
抱擁も、キスも、たまには自分から風麻にしてあげたい。
彼への愛情を、行動で示したいと思う。
*
自宅前に辿り着くと、「今日はこの後どうすんだ?」と風麻が聞いた。
「まずはお昼の準備かな。千草達多分お腹空かしてるだろうし……その後は、冬休みの宿題と年賀状書くつもり」
「手伝い終わったばっかなのにやること多いな……。少し休めよ……」
風麻が多忙な緑依風を気遣うと、「大丈夫だよ」と緑依風は笑い、「明日のデートのために、ちょっとでもやれること済ませておきたいから」と言った。
「そっか……。明日は、九時にここ集合で合ってるよな?」
「うん、合ってるよ。じゃ、明日ね!」
緑依風が風麻に軽く手を振り、自宅の門を開けようとすると、「あ、緑依風!」と風麻が呼び止める。
「ん?」
緑依風が振り返ると、風麻は「あ、えっと……」と何かを伝えようとしているが、その次の言葉がなかなか出てこない。
「どうしたの……?」
「その……っ、あ……」
「あ?」
緑依風が門から離れ、再び風麻に近付くが、彼は軽く唇を噛み締めると、「あ、した……!楽しみだな!」と、ぎこちない言い方をし、「んじゃな!」と言って、家の中へと入っていった。
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