第311話 それぞれの持論
翌朝。
緑依風が朝食を作り終えた頃、妹の千草がリビングにやって来て、「お姉ちゃん、おはよう……」と挨拶をしてきた。
「おはよう」
緑依風が返すと、千草は眠い目を擦りながら箸を手に取り、「学校めんどくさ……」と言ってあくびをしている。
「あれ、優菜は?」
いつもなら千草と共に一階に下りてくるはずの優菜が見当たらず、緑依風が聞いた。
「あ~……お母さんのとこじゃない?多分ベッドに潜って甘えてんでしょ」
「…………」
幼稚園児の優菜は、子供向けのテレビ番組を見ながら、ゆっくり朝ご飯を食べるのが好きな子だ。
そろそろこの場にいてもらわないと、ご飯を食べる時間も無くなるし、テレビだって見逃してしまい、ぐずって幼稚園に行くのを渋ってしまう可能性もある。
「千草、悪いけど優菜呼んできてよ」
「え~、やだ。ご飯食べてるのに立ち上がるのめんどくさいし、お姉ちゃん行って」
千草は、スクランブルエッグを口の中でモゴモゴさせて、緑依風の頼みを断る。
「…………」
いつもなら、面倒くさがりな千草に頼んだところで、断られることがわかりきっているため、お願いなんてしなかった。
だが、昨日の今日で母の元に行くことが、今の緑依風にとっては憂鬱でしかない。
仕方がないと思い、緑依風が両親の寝室に向かうと、優菜が葉子のベッドの中で、彼女の背中に抱き付きながら二度寝をしている。
葉子は眠りが深いのか、末娘が甘えていることに気付かず、寝息を立てている。
疲れ切った横顔。
眠っているはずなのに、目の下に薄いクマのようなものが見えるし、険しい表情をしている。
「……優菜、朝ご飯食べないと幼稚園遅刻しちゃうよ」
母を起こさないよう、緑依風がそっと優菜に声を掛けると、優菜は「まだお母さんとねる~ぅ……」と、葉子の背に顔を押し付けていた。
優菜はまだ六歳だ。
最近は、緑依風を真似て大人びたことを言ったりする日もあるが、時折こうして母に甘えたがることもある。
「(私も……昔はお母さんのこと、もっと大好きだったのに……)」
緑依風は自分が優菜と同じ年だった頃のことを思い出し、キュッと唇を噛み締めると、「それじゃあ、お姉ちゃんが優菜のご飯も食べちゃおう~!」と、優菜が必ず起きる呪文を使い、リビングへと誘うことができた。
緑依風が寝室のドアをそっと閉めると、その微かな音で、室内にいる葉子は目を覚ます――が、疲労感が抜けきらぬ体を休めたくて、再び目を閉じるのだった。
*
緑依風が玄関で靴を履こうとしていると、寝間着から着替えた葉子が二階から下りてきた。
葉子は、「おはよう。いってらっしゃい……」とだけ述べると、顔を洗いに洗面所へと入っていった。
「……行ってきます」
眠いだけなのか、それとも成績のことに対してまだ怒っているのかわからぬ母にそう言うと、緑依風は扉を開けて、ひんやりとした空気を吸い込む。
「おはよ!」
緑依風が門扉を開けると、隣の家からドアを開けて出てきた風麻が挨拶をした。
「おはよう……」
緑依風がいつもより小さい声で挨拶を返すので、風麻は「どうかしたのか?」と、緑依風のそばに立って聞く。
「……学年順位の結果、やっぱり怒られちゃった」
昨日、緑依風から不安を打ち明けられていた風麻は、「そっか……」と言って、俯く彼女の心を心配した。
「しかもそのせいで、お父さんとお母さんのケンカも始まっちゃってさ。すぐにやめてくれたけど……最近勉強とか進学の話になると、親同士がすぐ言い合いになっちゃうから……」
両親が言い争う様子を見ているのは辛い。
自分がそう思うのだから、まだ小学生の千草や幼い優菜には、なおのこと見せたくない。
夫婦だけど、考え方が正反対の北斗と葉子。
成績や学歴を重視する、教育熱心な葉子に対し、子供には伸びやかに、好きなことや得意なことを伸ばして欲しいと、北斗は考えている。
自らが、好きなことを極めて成功した人間である北斗は、「何でも一生懸命やれば、必ず夢は叶う」というのが持論だ。
ただそれは、「努力しても夢が叶わないと嘆く人は、それに見合った努力がまだまだ足りていない」「本当に好きなのであれば、もっと必死になればいい」という意味も含まれている。
北斗の考えは、確かにその通りなのかもしれないが、世の中には努力だけでどうにもならないこともある。
菓子職人としての才能に恵まれ、若くして『天才パティシエ』と評された北斗のその発言を、葉子は『何もわかっていない』と切り捨てた。
夢を持ったところで、果たしてそれで稼いで生きていけるのか……。
最初は上手くいっても、次第にそれを続けていくことが困難になる可能性は?
先を見据え、成功するかしないかなんて博打のような人生を歩むより、堅実的な道を選ぶ方が賢い。
葉子の考えも、決して間違ってはいない。
だが、自分が将来どんな人生を歩みたいか。
選んで決めるのは緑依風自身だ。
母が自分の未来を案じて言ってくれていても、それでは自分らしく生きていける気がしないし、その通りの道に進むのは、一生母に縛られてるみたいで嫌だった。
*
朝休み。
亜梨明が風麻を連れて教室の外に出ていった後、晶子が廊下から緑依風を呼び出した。
どうやら、晶子が所属している合唱団のクリスマスコンサートを教会で行うため、そのお誘いに来たらしい。
「チャリティーバザーもありますし、食べ物の販売もたくさんあります!風麻くんとのクリスマスデートの場に、是非どうかと思いまして!」
「あぁ~、ごめん晶子。デートは水族館に行こうって風麻に誘われてて……」
緑依風が謝ると、晶子は嫌な顔どころか、むしろ嬉しそうに「いえいえ、お気になさらず。楽しんでください!」と言った。
「奥手な風麻くんのことだから、ギリギリまでデートプランを考えられないと思って誘っただけです!コンサートは利久くんが来てくれるので、大丈夫ですよ」
晶子はそう言って、一旦差し出したコンサートのパンフレットを引っ込めて折りたたむと、「ところで……」と、緑依風を上目遣いで見る。
「初デート、ですよね」
「うん、いつもはどっちかの家でのんびりしてるからね。お出かけのデートは初めて」
「あの……緑依風ちゃん、失礼ですが……デート用の服って持ってます?」
「えっ?」
「だって、緑依風ちゃんの私服って……じ……いえ、シンプル過ぎて、彼氏とのデートに不向きですよね」
緑依風は、「今、地味って言いかけたね……」と心の中でツッコミつつ、自分の所持する服を思い出す。
今タンスの中にあるのは、小学生時代から着てる、少し毛玉が目立ち始めた黒いセーター、海生からおさがりでもらった、紺色のコーデュロイのミニスカート。
首元が少し伸びてきているグレーのスウェットシャツ、ベージュのパーカー、デニムパンツなどと、デートに着ていけそうな服が無い。
「確かに……」
緑依風はおしゃれに興味が無いわけではないが、可愛い服を見ても、それを自分が着ることを考えると気恥ずかしく感じてしまい、無地の物を選びがちで、色も冬なら黒、グレー、紺、ベージュと、地味なものが多い。
普段着としては別におかしくないが、クリスマスデートで、ましてや夏城よりも都会な街に出るのに、それじゃああんまりだ……。
「うぅ、どうしよう……」
緑依風が渋い顔になって呟くと、「何々どうしたの~?」と、登校してきた星華が二人に声を掛ける。
晶子が事情を説明すると、星華は「あ~、緑依風の服ダサいもんね」と、晶子よりもハッキリと親友の服装にダメ出しをした。
「そんじゃ、明日三者面談で休みだし、緑依風の服みんなで選んであげようよ!」
星華が提案すると、「はい、私も同じこと考えてました!」と、晶子がパンッと両手を叩いて賛同する。
「えっ……?」
「緑依風、三者面談はいつ?」
「明日の九時から……」
緑依風が答えると、星華は月曜日の朝一番で、晶子は明日の十時半からだと言う。
「んじゃ、坂下が惚れ直しちゃう服、昼からみんなで一緒に選びに行こう!」
「はい、緑依風ちゃんを大改造ビフォーアフターです!!」
星華と晶子はそう言って盛り上がり、緑依風は今からハイテンションの二人を、苦笑いしながら見つめるのだった。
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