第309話 プラネタリウム(後編)
プラネタリウムを出た亜梨明と爽太。
二人が向かうのは、爽太が次に訪れたい場所、『眠くならないプラネタリウム』だ。
「(眠くならないプラネタリウム……?)」
さっきと違う場所に、そんなものがあるのだろうか?
眠くならないということは、先程のように静かで薄暗い場所ではなく、明るくて賑やかなのか。
元々プラネタリウムに詳しくない上に、行ったのも小学校の遠足でたった一回だった亜梨明は、彼の言う『眠くならないプラネタリウム』というものがどんな場所か、不思議に思っていた――が。
「あれ、駅?」
「うん」
爽太に連れられて辿り着いたのは、先程降車した駅だった。
「別の駅にあるの?」
「ううん、夏城に帰るよ」
「えっ?」
夏城にプラネタリムがあるなんて、聞いたことが無い。
亜梨明が訝し気な顔になると、爽太はクスッと息を漏らしながら、亜梨明と繋いでいる手に軽く力を込め、「大丈夫、きっと気に入るからついて来て」と言った。
*
夏城駅に到着する頃には、時刻は午後六時前になっていた。
「こっち」
「うん……」
爽太が亜梨明の手を引いて歩き出すのは、秋山方面――夏城総合病院のある方向だった。
病院手前の角を曲がり、田畑のある場所に出て、湿っぽい土や草の香りが漂う細い道を歩いて行くと、見覚えのある石造りの階段が。
「あれ?ここって『祈りの石』があるとこだよね……?」
「そうだよ」
いつもと違う場所から来たので、亜梨明はなかなか気付かなかったが、どうやら病院の建物を迂回するルートを、爽太は知っていたらしい。
「ほら、亜梨明も!」
爽太に手を引かれるまま、亜梨明が彼と共に階段を上り切ると、丘の頭上に満天の空が広がっていた。
「うっ、わぁ〜〜っ!!」
亜梨明の視界いっぱいに映る、濃紺色の夜空に、宝石を散りばめたような美しい景色。
周りに余計な光が無いせいなのか、星の見え方が街中とは別世界のようだった。
「すごい……プラネタリウムよりもたくさん星が見えるね!」
祈りの石の前まで来た亜梨明が、両手を広げて言った。
「地面乾いてるし、寝転がっちゃおうか!」
そう言うと、爽太は石の方へ頭を向け、芝生の上に寝そべる。
「亜梨明も寝転がってごらん?この方が星がよく見えるよ」
「うん……」
亜梨明は爽太の隣にゆっくりと寝転がると、「わぁ……」と、再び感嘆の声を漏らし、空に手を伸ばした。
「きれい……星が降ってきそう」
亜梨明が、星粒に触れたそうな気持ちで言うと、爽太は「でしょ?」と言いながら、彼女と同じように空に向かって手をかざす。
「爽ちゃん、ここがこんなに星がよく見えるって知ってたの?」
亜梨明が聞くと、「うーんと……今年の五月に知ったかな」と、爽太は答えた。
「五月……?」
「うん、亜梨明を探した日……」
爽太の言葉を聞き、亜梨明は五月のあの日――病院を抜け出し、ここで命を終えようとしていたことを思い出した。
「……丘に上がった時、星明りの下に亜梨明がいたのを見つけたんだ。それで、連れ帰る時も、空を見上げたら星がいっぱい見えてたから……冬の澄んだ空気だったら、きっともっと綺麗かなって、思ったんだよね」
「…………」
その日のことを、亜梨明は今でも昨日のことのようにはっきりと覚えている。
爽太が告げてくれた言葉、背に乗せてくれた時に伝わった温もり――。
病院前で、医療スタッフと共に待っていた母と奏音の泣き腫らした顔。
泣き顔なんて子供の前で見せたことの無い父ですら、眼鏡の奥で目を赤くさせ、言葉を詰まらせていた。
「――あの時は……本当にごめんね。爽ちゃんにも、家族にも、友達にも……」
亜梨明は再び申し訳ない気持ちになり、爽太に謝る。
「ちゃんと反省したんだろ?……でも、もう二度と勝手にいなくなったりしないでね。じゃないと、僕……」
亜梨明がまたいなくなった時のことを想像した爽太が、悲しそうな表情になると、爽太にこんな顔をさせたくないと思った亜梨明は、「うん、もうしない……」と、言った。
しばらく沈黙が続き、亜梨明が何を話そうかと考えていると、「ねぇ、もっとそばに行ってもいい?」と爽太が聞いた。
「えっ?う、うん……いいよ」
亜梨明が返事をすると、爽太は肩が触れるか触れないかまでの距離まで近付いてきた。
爽太と至近距離で寝転がっている状況に、亜梨明がドキドキしていると、爽太はコロンと横向きの姿勢になり、亜梨明の顔をじっと見つめる。
「な、なに……?」
亜梨明がちょっぴり緊張した気分で彼に向き直ると、爽太はふふっと笑い、「……あのね、実は僕も、さっきのプラネタリウムの話……ほとんど頭に入ってなかったんだ」と言った。
「えっ、そうなの?」
「うん、最初の方しか覚えてない」
「でも爽ちゃん、すごく真剣な顔で天井見上げてたよね?てっきり、お話に集中してるのかと思ってたよ」
「……亜梨明のこと、真剣に考えてた」
爽太はそう言って、亜梨明の長い髪にそっと触れる。
「私のこと……?」
「この間、傘借りる時……僕のせいで、亜梨明を困らせただろ?」
「…………!」
その時のことを思い出した途端、亜梨明はガバッと起き上がり、「い、いやそのっ……!」と、真っ赤な顔を押さえながら狼狽える。
「わ、わたしは全然困ってないよっ……!」
「でもっ……」
「困ってないっ、困って……ない、けど……!」
爽太に横顔を覗き込まれると、亜梨明は小さく震えながら彼を見つめ、「爽ちゃん、私ね……」と、燻っていた思いを打ち明ける。
「わたしっ……爽ちゃんともっと、恋人らしいことしてみたいの……!」
「亜梨明……」
「爽ちゃんが、私のことをすごく大事にしてくれるのは嬉しい!……でもっ、私もう元気だし、ただ大切にされるだけじゃなくて、もっとドキドキすることもやりたいし、して欲しいの!……爽ちゃんは、あんまりこういうの好きじゃないかもしれないけど……でもっ、私は――!?」
亜梨明が全てを言い切る前に、爽太がぎゅっと、彼女の体を抱き締めた。
「……大切だ」
爽太の静かな声が、夜の空気に溶ける。
「――僕は、亜梨明のことが大切で大好きで……今、一番怖いものは何って聞かれたら、それは……君を失うこと……」
「…………」
「亜梨明に嫌われるのも怖い。この前の夜……亜梨明に何も聞かずに、自分の気持ちを優先して、君に嫌われる原因になったらって思ったら怖くなって……。情けなくてごめん……」
爽太の本心を、彼自身の言葉で聞いた途端、緊張で張り詰めていた亜梨明の心がふわりと
「それってつまり……爽ちゃんも、私とキスしたいって思ってくれてた?」
「うん……」
「私だけじゃなかった……?」
「うん、僕も……亜梨明とおんなじだよ……」
亜梨明は一旦爽太から体を離すと、「あのね、爽ちゃん……」と、彼の顔を見上げた。
「私、これからもっともっと元気になるよ。風邪も簡単に引かないように気を付けるし、お薬だってちゃんと飲み続ける。爽ちゃんと同じくらい元気になる……だから……!」
「うん……」
「…………」
どちらともなく腕を伸ばし合い、軽い抱擁を交わすと、そのまま爽太は亜梨明の唇に、ゆっくりと自分の唇を当てる――。
亜梨明は目を閉じ、自分を抱き締めてくれる爽太の腕、髪を撫でてくれる手のひら、重なり合う口元の温度から、幸せな気持ちが満ち溢れていき、目の奥がじんと熱くなっていくのを感じた。
爽太が離れると、亜梨明もそっと目を開く。
「えへへ……」
亜梨明は、涙が伝う両頬を押さえて、照れくさそうに笑うと、「爽ちゃんといると、幸せって思うことばっかりだ!」と言い、爽太も「僕の方こそ」と言って、恥ずかしそうに笑った。
「……あ、そうだ!クリスマスプレゼント渡せてなかった!」
「あ……!」
すっかり忘れていた存在のプレゼントを出し合う亜梨明と爽太。
亜梨明からは、読書好きな彼のために、皮素材でできた三種類のしおりセットを。
爽太からは、間接照明としても使える、オルゴールのついた猫のスノードームが贈られた。
「それから、これも……」
「え……?」
爽太が亜梨明の右手を手に取り、コートのポケットから何かを取り出す。
「ペアリング……前に松山さんのこと、すごく羨ましそうに言ってたから……」
そう言って、爽太は亜梨明の指に指輪を通した後、自分の指にも同じ物を付けた。
「んもぉ~~……っ!幸せ過ぎて、私はどうしたらいいのぉ~っ!」
亜梨明が再び溢れ出した涙を拭きながら叫ぶと、爽太は「どうすればいいって、決まってるじゃないか」と笑って、亜梨明をもう一度抱き締める。
「……僕と一緒に生きて欲しい」
「……うん」
輝く星空の下、亜梨明は爽太を抱き締め返しながら、心の中で彼に誓う――。
爽太を二度と悲しませないために、ずっと元気であり続けること。
そのために、きちんと健康管理をすること。
爽太が医者になる夢を叶えた姿を、彼のそばで見ること。
*
しばらくして。
家に帰る前に、二人が祈りの石に願い事を済ませ、体中についた芝生の草をはたき落としていると、爽太のスマホから急に電話の着信音が鳴り出した。
「あれ……?お母さん……?」
爽太は画面を確認し、「ちょっとゴメン」と言って電話に出る。
「――もしもし……えっ?今から……!?でも、亜梨明の家も……え……あぁ、わかった……聞いてみる」
もしや、帰りが遅いことに爽太の母が心配して怒っているのではないかと、亜梨明がドキドキしていると、爽太は困ったような笑みを浮かべながら、「亜梨明、晩御飯うちで食べない?って……親が」と言った。
「えっ、爽ちゃんちで……?」
「うん……。しかも、亜梨明のお母さんにももう連絡してるみたい……」
どうやら怒りの電話ではなく、お誘いの電話だったようだ。
「クリスマスのご馳走、亜梨明の分もしっかり用意してるんだって。僕も、亜梨明が来てくれたら嬉しいけど、よかったらどう?」
爽太が聞くと、亜梨明は「うん、喜んで!」と言って頷き、彼と手を繋いで歩き始めた。
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