第307話 プラネタリウム(前編)


 十二月二十四日――クリスマスイブ。


 風麻からもらったプラネタリウムのチケットには、昼過ぎの三時十五分からの上映と書いてあったので、亜梨明と爽太は、それより少し前の三時頃に現地へ到着するよう、待ち合わせ時間を決めた。


 乗車時間を含めた移動時間は、四十分程と少々長いが、乗り換えは一回だけであまり迷うことは無さそうだし、何より爽太と初めて行く場所――初めての、二人だけの遠出。


 不安よりもワクワクの方が大きい。


「あ~っ、早くプラネタリウム行きたいなぁ~!」

 爽太と夏城駅で待ち合わせする時間は、二時十五分を予定している。


「まだあと一時間もあるんだから、座って大人しくしてなよ……」

 奏音が歯磨きセットをお泊り用鞄に詰めながら、リビングをぐるぐる歩き回る亜梨明に言った。


「はい、奏音。スパゲッティとサラダとチキンよ」

「おっ!ありがとうお母さん」


 奏音は星華の家でお泊りクリスマスパーティーとなった。


 当初はどこかに二人で遊びに行こうとしていたのだが、終業式の日に、「今年はママ、イブの日に当直なんだってさー……」と、星華が寂しそうにしていたので、彼女がクリスマスに一人きりにならないよう、奏音が提案したのだった。


「亜梨明、奏音」

 真琴がクリスマスのイラストが描かれたポチ袋を手にし、娘達を呼ぶ。


「はい。父さんと母さんから、今年のクリスマスプレゼント」

「わ~い!ありがとう~!!」

「ありがとう!」


 去年までは、クリスマスプレゼントに欲しい物を両親におねだりしていた相楽姉妹だったが、今年からは自分で自由に好きな物を買ったり、必要時に使える方がいいと、お金を五千円ずつもらった。


「はわ~っ、何買おう~!」

 亜梨明が袋から取り出したお金を見つめながら言うと、「無駄遣いしちゃダメよ」と、明日香がやんわり注意した。


「――それより父さんは、爽太くんの身の方が心配なんだけど……」

 先日、亜梨明からとんでもない質問攻めにあった真琴は、娘が早まった行動を起こさないかハラハラしている。


 *


 一時五十分になると、亜梨明は上着を羽織り、マフラーを首に巻き始めた。


「あんまり爽太くんに迷惑かけるなよ……」

 普段は子供達のすることに口出ししないようにしている真琴だが、この日は不安な気持ちを抑えきれなかったようだ。


「かけないもん!」

「爽太くん、これから亜梨明に振り回されることが増えていくんだろうなぁ……」

「も~っ!お父さん、もうちょっと娘を信用してよ!」

 亜梨明が頬をぷ~っと膨らませて拗ねると、「そりゃ、この間みたいなことされちゃあね……」と、奏音がまぶたを半分落として言った。


「遅くなるなら途中で連絡入れるのよ」

 玄関で靴を履き始めた亜梨明に、明日香が背後から声を掛けた。


「は~い、わかってま~す!」

 亜梨明が茶色のショートブーツのジッパーを上げながら言うと、明日香の横に並んだ真琴は、「爽太くんが困るようなことはしちゃダメだぞ……」と言ったため、亜梨明は「お父さん、そろそろ怒るよ!?」と、声を張り上げる。


「じゃあ、行ってくるから!」

 亜梨明が唇を尖らせてドアを開けると、二人のやり取りを見てクスクスと笑う明日香が、「いってらっしゃい」と手を振った。


 真琴も、これ以上言えばせっかくのデートを楽しめなくなると思い、亜梨明が一歩外に足を踏み出した時には、「人ごみに気を付けて」という言葉だけにして、娘を見送った。


 家を出た亜梨明は、「あ~あ、お父さんにあんなこと聞くんじゃなかった……」と、先日の行いを悔いるように、独り言を呟く。


 風麻に相談した後、爽太とキスしたい気持ちで盲目になっていた亜梨明の頭は冷静さを取り戻したが、それと同時に反省の連続となった。


 友人とはいえ、緑依風の彼氏である風麻と二人きりになるなんて、緑依風を嫌な気分にさせたかもしれない。


 教室に戻ってすぐ、亜梨明はそのことを緑依風に謝罪したが、優しい彼女はまったく怒りもせずに「気にしないで」と言ってくれた。


 昼休みには、変な誤解を与えぬよう、風麻に相談した内容を包み隠さず明かしたが、それを聞いた緑依風は、「亜梨明ちゃんの積極的なところ……羨ましいな」と、胸の内を語った。


「私はいつも、風麻からのを待つばかりだし……。自分から愛情表現っていうのが……したいのに勇気が出ないから……。前向きに行動に移せる亜梨明ちゃんが、羨ましいって思うの」


 緑依風は純粋に、亜梨明に羨望の念を持って言ったのだろうが、亜梨明はこの発言に軽く衝撃を受けた。


「(緑依風ちゃんがモテちゃうの……ますますわかっちゃった気がする……)」

 容姿はもちろんかもしれないが、彼女はとても奥ゆかしい性格なのだ。


 本人は『臆病』だと表現するが、控えめで、周囲に自然と気配りができる緑依風のような女の子は、男の子の心をつい掴んでしまうのだろう。


 風麻も、そんな彼女だからこそ、触れ合いたい気分に自然となるのかもしれない。


 ガツガツし過ぎていた自分が恥ずかしい――。


 それからの亜梨明は、風麻に言われた通り、爽太からその気になってくれるのを待つことにした。


 もちろん、キスしたい気持ちが消えたわけでは無いが、それよりも大好きな爽太とのせっかくのクリスマスデートだ。


 楽しい一日を、自分のワガママで壊したくはない。


 焦らず、例え他のカップルが羨ましくても、自分達は自分達のペースで。


 そう心に言い聞かせ、そろそろ駅が見えてくるところまで来た時だった。


「あっ!」

 まだ待ち合わせ時間まで五分以上もあるのに、すでに駅前に立っている爽太を見つけた亜梨明は、特別な日に二人で会えることを嬉しく思い、彼の元へと駆けて行く。


「お待たせっ!」

 亜梨明が笑顔で言うと、爽太はいつものお日様のように優しい微笑みを向けてくれた。


「じゃ、行こうか」

「うん!」

 切符を購入し、改札を通る亜梨明と爽太。


 亜梨明が切符を上着のポケットにしまうと、爽太が「電車、こっちの乗り場だよね」と言いながら、亜梨明の手を繋いだ。


「…………!」

 いつもより迷いの無い爽太からの手繋ぎに、亜梨明は思わず彼を見上げるが、爽太は照れる様子も無く乗り場へ足を進める。


 電車がホームに入って来ると、車内はクリスマスイブという日のせいか、やや混雑していたが、ちょうどドアのすぐ近くの席が二人分空いており、亜梨明と爽太はそこに座った。


「次の次で乗り換えるよ」

「うん……」

 椅子に座っても、爽太は亜梨明の手を離さない。

 それだけでなく、亜梨明と体の側面同士がくっつくぐらい距離を詰めてきた。


 普段よりも堂々とした振る舞いの爽太が、亜梨明はとてもかっこよく感じてしまい、せっかく彼がたいくつしないように話してくれる内容が、頭に入ってこなかった。


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