第306話 恋人らしいこと(後編)


 そして、昼休み――。


 風麻は、廊下に爽太を呼び出し、朝休みの亜梨明の話を聞かせた。


「そっか……そんな風に思ってたんだ……」

 爽太は、自分自身を情けないと言いたげな表情で肩を落とし、弱い笑みを浮かべた。


「まぁ……相楽姉の体のことを心配すんのはもちろん大事だけどさ、気持ちの方も汲んでやってくれよ」

「うん……」

「俺らは確かに、爽太達みたいに気を付けなきゃいけないことって無いけどさ……。そういうの気にして、キスできないってなら、一度相楽姉と話し合った方がいいんじゃないか?昨日みたいに、何の説明もないまま『しようと思ったけどやっぱやめとく』は、あいつが不安になるのも当然だ」

 風麻が窓際の壁にもたれながら言うと、「それだけじゃないんだ……」と爽太が自分の手のひらを見つめ、軽く握り締める。


「僕が、僕自身を――怖いと思った……」

「自分を?」

 風麻が壁から背を離し、爽太の横顔に注目する。


「亜梨明のために、今は我慢だ……。そう思ってたはずなのに、あの時は……そのことが全部吹き飛んでて――ただ、亜梨明とキスしてみたいって気持ちだけになってた。冷静に考えればわかることを……判別できなくなる自分が……怖くなったんだ」


 我に返った時、背筋が凍り付きそうになった。


 亜梨明のことよりも、自分の欲求を優先していたことに気付いた途端、今以上の衝動が訪れた時のことや、様々な不安が脳裏を駆け巡った。


 一旦タガが外れてしまったら、この先自分はどうなるのか――まだ知らない一面を知ることに、爽太は恐怖を感じた。


「――だから、今すぐに亜梨明から離れて、頭を冷やさないとってことに必死で……でも、そのせいで亜梨明を不安にさせたし、風麻にも迷惑かけちゃったね……ごめん」

 爽太が謝ると、風麻は「いいけどさ!」と言いながら、彼の肩を叩く。


「大丈夫だろ。爽太はそうやって、自分で気付けたんだから。昨日のことを常に頭のどっかに残しておけば、していいことと、悪いことの線引きを間違えたりしない」

「うん……」

「俺の方こそ、気を付けなきゃなって……今、改めて思った……」

「そうなの?」

 爽太がキョトンとした顔で首を傾げると、風麻は口元を軽く手で押さえて頷いた。


「いや、その……嫌がらなきゃいいとか……同意ならって、このままズルズル雰囲気に呑まれてく可能性あるかもって、爽太の話聞いたら思ってさ……」

「あぁ……」

 風麻が、「俺って、やっぱりムッツリなのかも……」と言って顔を覆うと、爽太は「ははっ」と笑い、冬空を見上げた。


「ありがとう風麻。すごく楽になった」

「おぅ……」

「この間から、風麻にはかっこ悪いとこばっか見せちゃうな……」

「いいじゃん別に。……それに、爽太はいつもカッコよすぎるんだから、たまにそうやってカッコ悪いとこ見せてくれねーと、俺、お前と友達でいる自信無くすっつーの!」

 風麻が笑いかけると、爽太は一瞬以外そうな顔をしたが、クスッと声を漏らし、微笑み返す。


「風麻は前に、僕のことを「羨ましい」って言ってたけど……僕は、風麻の方が男らしくてかっこいいヤツって思ってるよ」

「ホントか?」

「うん、時々!」

「時々かよ!そこはいつもって言えよ!」

 風麻がチョンっと爽太の脇腹を小突くと、爽太は「あははははっ!」と彼の反応を面白がるように声を上げる。


「……覚悟、決めるよ」

「ん?」

「クリスマス……風麻を見習って、男らしく、かっこよく決めてくる!」

「そっか、頑張れよ!」

「うん!」


 *


 翌日。


 亜梨明は三者面談を終えた後、その足で夏城総合病院に向かい、定期検査のために二泊三日程入院していた。


 検査結果は良好。


 爽太とのぎこちない空気も、あの日の放課後にはすっかり消えて、入院中はメッセージで連絡を取り合った。


 そして、二十三日の夜。

 夏城中学校は今日から冬休みとなり、亜梨明は翌日のデートのための準備に夢中になっていた。


「明日は晴れるから折り畳み傘はいらないし、プレゼントは鞄の中に入れたし、あとは服……コーデ……。う~ん……」

 ベッドの上に並べた服と、何度もにらめっこをする亜梨明。


 そんな姉の姿を、椅子に座って眺める奏音は、「プラネタリウムに行くだけなんだから、あんまり張り切った格好すると浮くよ?」と助言した。


「でもぉ~、クリスマスデートだよ?とびっきり可愛い格好して、爽ちゃんに可愛いって言ってもらいたいもん!」

「だからって、ヒラヒラしすぎてるのもなぁ……それにこれ、夏用じゃん。さすがに寒いって」

 奏音は裏地の付いていない、薄い生地のスカートを摘まみ上げると、亜梨明の服が締まってあるタンスの中を漁り始めた。


「うん、これにしな!」

 奏音が取り出したのは、裏地付きのシフォン素材で裾がふんわりとした、ワインレッドのキュロット。


 ココア色のセーターと、白くてモコモコのジャケットだった。


「えーっ、やだ~っ!普通過ぎる~っ!」

「普通でいいの!中学生なんだから、中学生らしい服が一番!あとは、移動中は寒いんだからあったかい黒タイツも履いてと……ホラ、鏡の前で合わせてみなよ」

「う~っ」

 亜梨明が不満げな声を漏らしながら、姿見の前に立つと、「ねっ、可愛い可愛い!」と、奏音が亜梨明の前に服をかざして言った。


「これにさ、この間お母さんに買ってもらったショートブーツ履いたら、もっと可愛いよ!」

「うーん……」

 最初はあり得ないと思っていた亜梨明だが、奏音に褒められているうちに、だんだんこの組み合わせが可愛く見えてきたようだ。


「……うん、じゃあこれにする!奏音、ありがとね!」

「ん!楽しんでおいで!」

 奏音が親指を立てて言うと、このコーデに帽子も合わせたくなった亜梨明は「お母さーん!赤いニット帽知らな~い?」と言いながら部屋を出ていく。


 奏音は、ぐちゃりと散らかしっぱなしの亜梨明の洋服を「しょうがないなぁ……」と笑いながら畳み始めた。


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