第299話 プロポーズ
先を歩く祐介を見失わない程度に離れた距離で、緑依風、風麻、亜梨明、爽太、奏音、星華の六人は、電柱や外壁などに隠れながら、祐介をコソコソと追いかける。
「……日下と奏音までこういうのに乗るとは思わなかった」
できれば、祐介が目的地に辿り着く前に、友人達を諦めさせたいと思っている緑依風は、二人に苦言をこぼす。
「ごめん……でも、ユース時代のこととか、中途半端に知ったら余計気になっちゃって……」
奏音はチラっと緑依風に振り向いて謝る。
「僕は、波多野先生のプライベートよりも、波多野選手の方が気になっちゃって……!」
爽太はてへっと、肩を上下させながら緑依風に言うと、「僕と波多野選手、同じポジションだからさ」と、付け加えた。
「偶然を装って、もう一度話せたらアドバイス欲しいな~って……」
「意外とずる賢いこと考えてるね、日下……」
奏音が爽太にツッコむと、「爽ちゃんのポジションって……なんとかブロッカーってやつ?」と、爽太の前にいた亜梨明がくるりと首を後ろに回して聞く。
「そうそう、ミドルブロッカーっていうんだ」
バレーボール未経験の亜梨明に、爽太が役割も含めて説明していると、「試合中の波多野選手、超かっこいいんだぜ~」と、緑依風の後ろに立つ風麻が言った。
「去年のVリーグではブロック賞もとっててさ~!……でも俺は、今一番推してるのはやっぱ、波多野選手と同じジャベリンズで、日本代表に毎回選ばれてる
「潮田選手……?」
緑依風が呟くと、風麻が潮田選手について語り始めた。
潮田はセッターの選手で、危機的状況でも冷静なトスワークでスパイカーを生かすことの出来る、有能なプレイヤーだという。
「おまけに普段はクールな表情をなかなか崩さないのに、チームが有利になってきた時に、一瞬だけ見せる笑顔が素敵でさぁ〜!……俺も、ああなりてぇなぁ〜!」
風麻がテレビで見た潮田の活躍を思い出し、うっとりしていると、「クールになれる坂下なんて想像つかないわ〜」と奏音が冷ややかな声で言った。
「ちょっとぉ〜!早く行かないと見失うよ!」
痺れを切らした星華が、いつの間にかだいぶ先に進んでいる祐介を指差す。
六人がその後も、祐介に勘付かれぬよう一定の距離を保ちながら尾行していくと、彼は緑依風の両親が営む、木の葉へと一人で入っていった。
緑依風がガラス越しに店内を覗くと、中にはまだそれなりに客がいるものの、壁に面した四人掛けの席が空いていたようで、祐介はそこに通されている。
「私達も入ろう!」
「えっ、ちょっと!」
緑依風が止める間も無く、星華は店の中へと飛び込んでいき、五人もそれに続いて店内へ入った。
「あ~、やっぱりさっきの子達だ?」
「ギクーッ!」
入り口の様子がわかる位置に座っていた祐介は、おどけた声で言いながら近寄って来る。
「もしかして、ついて来てた?」
「い、いいっ、いえっ!たまたまですよ~!」
バレていたことに慌てた星華は、なんとか誤魔化そうと必死に頭をフル回転させる。
「そ、そう!この子!ここは、この子の親の店でして!」
「えっ……!?」
緑依風の後ろに回った星華は、彼女を盾にするようにして、祐介の前へと押し出す。
「もうすぐ期末テストだから、今から二階の空き部屋でみんなで勉強会するんです!ねっ、緑依風!!」
「え……あ、まぁ……はい……」
「ふーん……」
祐介は、星華の嘘を見抜いていたようで、「俺はここにいてもいいけど、ついてきたの姉ちゃんにバレたら怒られるんじゃない?」と、硬い表情の緑依風の後ろに隠れている星華に言う。
「…………」
緑依風や星華だけでなく、風麻や他の者達も、青ざめた顔で気まずそうに黙っていると、「ま、いっか」と、祐介はそれ以上後輩達を責めることはしなかった。
「怒られたくなかったら、バレないように隠れてたら?……もう一人、すごいの来るからさ!」
そう言って、祐介はケラケラと笑いながらウィンクすると、元いた席へと戻っていった。
*
緑依風は厨房にいた父に、急遽勉強会をすることにしたので、空き部屋を使わせて欲しいと頼み、六人はそこに荷物を置いて、二階の壁の飾り穴を覗きながら、波多野先生を待つことにした。
息を潜めながら下階を見下ろしていると、カランカラン――と入り口からベルの音がした。
ホールスタッフに案内されて、祐介の座る席へと向かうのは一人の男性。
「あれは……!」
その男性を見た途端、風麻が飾り穴に顔を食い込ませる勢いで前のめりになり、声を上げる。
「静かにっ!」
星華が声を潜めて注意すると、風麻は「だっ、だってよぉ~……!」と、まるで恋する乙女のように顔を赤くして、体をモジモジとさせた。
「あ、あこがれの……!潮田
「えっ……!?」
緑依風達はもう一度壁穴からホールを覗くが、言われてみればその男性は、スポーツマンらしく体はとても大きくて、祐介程ではないとしても、190センチ代後半はあると思われるくらい長身だ。
髪は襟首から頭の中間まで刈り上げたツーブロックカットで、眉はキリリと太め。
グレーのハイネックシャツの上に、黒のジャケットを羽織った服装だが、服の上からでも胸板が厚いことがわかる程、いい体をしている。
「あぁ~っ、潮田選手のサイン欲しいぃ~っ……!!」
風麻は身悶えながら潮田を見つめ、今すぐ飛び出していきたい気持ちを必死に抑えている。
「なんで風麻の好きな選手まで来たんだろう?」
緑依風が耳を澄まし、潮田と祐介の会話を聞いていると、「姉ちゃん来るまでもう少しかかりそうだし、何か食べません?」と、祐介がメニューをテーブルの上に開き置くが、潮田はぶすっとしたような、険しい顔で、「今は食欲が無いから、飲み物だけでいい」と断っていた。
「あの人、なんか怒ってるのかな?」
亜梨明の言う通り、彼は店に入ってすぐ声を掛けた祐介にも素っ気ない返事をしていたし、腕を組んで俯き、小刻みに体を揺らしている。
かと思えば、今度はドアの方を何度も振り返り、指先でトントントンとテーブルを叩き、苛立っているようにも見えた。
「ぴょん先生がなかなか来なくて揃わないからじゃない?」
奏音がそう予想すると、潮田のファンである風麻は「潮田選手はそんな心狭い人じゃねぇ!」と、否定する。
カランカラン――。
「…………!」
店内にベルの音が響くのと同時に、潮田が勢いよく体ごと音の鳴る方へと振り向く。
そこに現れたのは、私服姿の波多野先生だった。
「由香里……!」
潮田が低い声で波多野先生を下の名前で呼ぶと、「ごめんごめん、お待たせ……!」と、波多野先生は二人に謝りながら潮田の隣に座った。
「蓮、久しぶり!忙しい中来てくれたのに、待たせて悪かったね……」
「い、いや……俺こそ、由香里が仕事の日なのに呼び出して……っ、誕生日……っ、おめでとう!」
「あははっ、もう喜べる歳じゃなくなってきたけどね~!ありがと!」
先程まで青い顔をしていた潮田の顔は赤く染まり、波多野先生も生徒の前では見せたことの無い、柔らかい表情で親し気に潮田と喋っている。
「ど、どういうこと……?」
亜梨明が二人のやり取りを見て困惑気味に言うと、「まさか、ぴょんの彼氏って……そのジャパン代表の人!?」と、星華も波多野先生と潮田の関係を察して、驚愕する。
「でも、ジャベリンズのホームタウンって静岡だよ……?ここからだと少し遠いから、遠距離恋愛ってことかな……?」
爽太がジャベリンズの本拠地を思い出しながら言うと、風麻は「遠距離恋愛でも愛が冷めない潮田選手もカッコいいぜ……」と、感動していた。
下の階では、波多野先生と祐介がケーキとドリンクのセット、潮田はドリンクのみを注文し、久々のお喋りを楽しんでいるように思えた――が。
「どうしたのさ、蓮。なんかあった……?」
いつもより静かすぎる彼氏の様子が気になる波多野先生は、潮田の横顔を覗き込んだ。
「あ……えっと……」
「なーんか、脂汗出てるし……。疲れてんのに、無理して来たんじゃない?」
「いや……無理は、してなくて……その……」
波多野先生の視線から逃げるように、潮田が目を泳がせていると、祐介がテーブルの下で潮田の靴先をコツンと軽く蹴る。
「……っ」
「レンさん、早くしないと時間無くなっちゃうよ」
祐介に促された潮田は、ゴクッと喉仏を動かし、決心したようにジャケットのポケットに手を入れた。
「ゆ、由香里……っ、今日会いに来たのは……っ、これを……受け取って欲しくて……!」
「これ……?」
グラスの水を飲む波多野先生に、潮田は鮮やかな青色の小さな箱を差し出し、蓋を開ける。
「…………!」
箱の中には、ダイヤモンドが埋め込まれた銀色の指輪が入っていた。
「由香里……来年の春から、俺と……静岡で暮らさないか?」
「蓮……」
「結婚っ……してくれ……っ!!」
緊張しすぎて裏返った潮田の大きな声が店中に響き渡り、周囲にいた他の客、ホールスタッフの視線が、一気に彼らのいる席に集中し、厨房にいる緑依風の父、北斗も何事かと思って窓から客席を覗く。
二階にいる緑依風達も、まさか波多野先生がプロポーズされるシーンに遭遇するとは思っておらず、目をカッ開いた状態で固唾を呑んで見守っていた。
祐介だけは、ヒュウと口笛を鳴らし、姉とチームの先輩でもある潮田の姿を面白そうに眺めている。
沈黙の店内に、BGMとして流れているケルト音楽だけが鳴り続け、人の声どころか、食器の音すらも今はかき消えてしまっていた。
「……ごめん、まだ無理」
波多野先生は、周りの人々の目を気にする様子もなく言った。
「ま……まだって……」
潮田がみるみる顔色を悪くしながら、震えた声で聞くと、「まだもう少し……今の学校で働かせて欲しい」と波多野先生は答えた。
「それって……どのくらい……?」
「あと一年と少し……。それまでは、ここで教師として働きたいんだ……」
「でもっ……!由香里、前は母校に帰るの、あんなに嫌がって――!」
「――うん、嫌だった……。あの時は、すっごく嫌だった……けどね」
波多野先生はチラっと瞳だけで二階を見ると、「今、受け持っている学年の生徒ね……とっても面白い子ばかりなんだよ」と言って、再び潮田の顔を見つめた。
「見ていてこっちまで楽しくなるくらい、キラキラしててさ……。だから、その子達が卒業するまで、もうしばらくここで教師を続けさせてくれないか?まぁ……来年も今の学年の子達の担任やらせてもらえるかは、わからないんだけど……」
波多野先生はそう言いながら、去年受け持ったクラスの生徒達――今の生徒達と過ごした日々を振り返る。
「つまり、姉ちゃんはレンさんと結婚すること自体は、OKってこと?」
祐介が言うと、波多野先生は「あったりまえじゃん!」と頷き、潮田に微笑んだ。
「蓮……少し待たせちゃうけど、再来年の春――私と結婚してください。それでもよかったら、その指輪と蓮の気持ち……もらっていい?」
「あぁ……っ、もちろんだ……!」
潮田は目からボロボロと涙をこぼし、波多野先生は「あ~っ、もう!いい大人が人前で泣くな!」と、ハンカチで荒っぽく潮田の顔を拭いた。
「よかった……!無理って言われた時俺っ、世界の終わりみたいな気持ちに……!」
「いいから、さっさと指輪はめて……。うん……いいね、コレ……!ありがと!」
潮田が、波多野先生の左手の薬指に婚約指輪を通すと、周囲にいる客や、木の葉のスタッフから拍手が送られ、二階にいる緑依風達も、隠れていることを忘れて波多野先生達に拍手していた。
「なんか、潮田選手……風麻から聞いた印象と違うね」
緑依風は風麻が、今まで潮田に抱いていたイメージと違うことにショックを受けているのではないかと心配していたが、彼は「泣いてる潮田選手もレアでいい」と、感激した顔で下階を見下ろしている。
「でもよかったね、潮田選手。それに……波多野先生も!」
亜梨明の言葉に全員が頷くと、「ところでさぁ~……」と、波多野先生が椅子から立ち上がり、二階を見上げた。
「あんた達、そこにいるのバレてるからね……?」
「――――!!」
飾り穴から見える教え子達と目を合わせた波多野先生は、「下りといで!」と手招きし、六人は祝福モードから、一気に冷や水を浴びせられたような気分になる。
「まったく……覗き見、盗み聞き……そんなことしていいなんて、教えたことないんだが?……ま、どうせ空上が言い出しっぺでしょ?」
「な~んだ、バレてたのか!」
星華が開き直って、ケロっとした顔で言うと、「まったく……」と波多野先生はため息をつき、他の人に口外しないことを条件に、これ以上お咎めは無しにしてくれた。
*
それからしばらくして――。
二階に戻り、空き部屋で勉強会をしてから帰ることにした六人だが、試験勉強は手付かずで、先程の出来事についておしゃべりをしていた。
「いや~、今日はすごいもんいっぱい見ちゃったねぇ~」
星華がくるくるとペン回しをしながら言った向かいの席では、「潮田選手の直筆サイン……!」と、風麻が恍惚とした顔で、潮田のサインが書かれたノートを眺めている。
あの後、婚約者の生徒達に泣き顔を見られまいと、ハンカチで顔を隠していた潮田に、風麻がとうとう我慢できず、サインを
「えっ、俺……?俺なんかのサインでいいの?」
潮田は、少し照れくさそうにしながらも、快く風麻の求めに応じてくれた。
「試合中の潮田選手、いつもクールでかっこいいなって思ってました!でも、情に厚いとこもあるんだって知れて、超感激しました!握手もいいっすか?」
「あ、俺……よく、クールって言われるけど……実は、全然そんなことなくて……」
潮田が、ファンのイメージを崩してしまうことを申し訳なさそうにしていると、祐介がひょこっと、横から口を挟み、「あれ実は、緊張しすぎて笑えないだけなんだよね~!」と、ニコニコしながら言った。
爽太も祐介からブロックのコツを教えてもらったり、普段なかなか上手くできない点についてアドバイスをもらえたことで、今は勉強よりもバレーボールの練習がしたいと、教科書を開いたままで、ペンすら持たずに風麻とバレートークを繰り広げている。
「私達が卒業する時には、波多野先生も夏城中からいなくなっちゃうんだね……」
緑依風の隣に座る亜梨明は、一年半後の自分達――そして、波多野先生のことを想像し、ちょっぴり寂しそうだ。
「そうだね……でも、先生が大好きな人と一緒になれるなら、それが一番いいよ」
緑依風はそう言いながら、潮田の前にいた時の波多野先生の表情を思い返した。
きっと、あれが本来の波多野先生の姿なのだ。
先生も自分達と同じ恋する女性で、愛する人に愛され、幸せな気持ちで満たされて……。
店内の一階では今も、波多野先生が婚約者となった潮田、弟の祐介と共に、穏やかな時間を過ごしている。
「(私にもいつか……そういう時が来るのかな……?)」
十年後、あるいは十五年後――今日の波多野先生のような日が。
そんな未来を考える緑依風の心は、窓の外にある木の葉のように赤く色付き、ときめくのだった。
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