第297話 そんな予感が


 学校を出て、木の葉へやって来た波多野先生、梅原先生、柿原先生の三名。


「わ……こんなにいてるの初めて見ました」

 いつも満席状態の木の葉しか知らない梅原先生は、ガランとした店内をキョロキョロと見回す。


 時刻はまもなく午後六時。


 木の葉の店全体の営業終了時間は午後八時で、イートインスペースは午後七時半には閉めることになっているせいか、平日のこの時間帯は地域民にとって、穴場となっている。


「仕事の帰りに、カッキーとたまにここで息抜きするんだ」

 波多野先生は、生徒から『ピコ』と呼ばれている柿原先生を、プライベートの時は『カッキー』と呼んでいる。


「生徒達には言うなよ~?先生同士の私生活の会話なんて、生徒からしたら面白いものでしかないんだから」

「そ、それくらい私だってわかりますっ!」

「とりあえず、座ってメニュー決めましょうよ」

 柿原先生はコートを脱ぎ、年下の先生達に言った。


 席に着いてしばらくすると、波多野先生は洋酒の風味豊かなチョコレートのケーキとホットコーヒー。


 梅原先生はモンブランとりんごジュース。

 柿原先生は栗のパフェとカモミールティーを注文した。


「え~っ、柿原先生結婚してたんですか~!」

 梅原先生が目を丸くして驚くと、「うん、三年くらい前……だから、梅原先生が夏城に来る前にね」とにっこりしながら言った。


「左手に指輪してないので、全然気付きませんでした……」

「私、指が太いから指輪はあまり好きじゃなくて……」

「どんな方ですか!?出会いは??」

「ホラまた学生みたいなノリに……」

 波多野先生は、まるで生徒と同じように恋バナに興味津々な梅原先生にちょっぴり呆れている。


「一つ下の、幼馴染なの。元々は弟の友達だったから、小さい頃は全くそういう目で見れなかったけど、向こうが同じ高校に入ってきて、ずっと好きだったって告白してきてね。今は、県内の大学病院の看護師をしてるわ」

「いいなぁ~……。私なんて、彼とは遠距離恋愛で、一か月に一回しか会えないんですよ~……」

 梅原先生が頭を突っ伏して羨ましがると、「一か月に一回なら、まだ会えてる方じゃない……」と、波多野先生はお水に手を伸ばして言った。


「えっ、それじゃあ波多野先生ももしかして遠距離恋愛!?……っていうか、彼氏さんいらっしゃるんですね!」

「あ……」

 パッと顔を上げた梅原先生のキラキラした表情に対し、波多野先生はしまった、と言わんばかりの渋い顔になる。


「波多野先生の彼氏さんは、どんな方なんですか!?男前の波多野先生の恋人すっごく気になります~!」

「……内緒」

「え~っ!?柿原先生は知ってるんですか?」

「えぇ、会ったこともあるわよ」

「ずるいです~!」

「梅ちゃん口軽そうだから言わない……」

「え~っ!」

 梅原先生が、何とか教えてもらおうと波多野先生の腕にしがみ付いていると、ポロリンポロリンと、電話の着信音が流れ始める。


 どうやら音が鳴っていたのは波多野先生のスマホだったようで、画面を見た波多野先生が「祐介ゆうすけ……?」と、男性の名を呟く。


「もしかして、彼氏さんですか!?」

 梅原先生がワクワクした様子で聞くと、波多野先生は「ざーんねん、弟」と言って、一旦店の外へと出ていった。


 カランカラン――と、店のドアに飾られたベルの音が店内に響くと、「波多野先生みたいなお姉さん……いいなぁ」と、梅原先生は窓ガラスの外で弟と通話する波多野先生を見つめる。


「そうだ、柿原先生~!波多野先生の彼氏さんについて、こそっと教えてください~!」

「うーん……ハタちゃんには絶対言わない?」

「もちろんです!」

 梅原先生がコクコクと頷くと、柿原先生はクスッと小さく微笑み、「そうねぇ~……滅多に会えない人……かな?」と言った。


「えっ、それだけですか?」

「うん、私が言ったってバレたら、ハタちゃんに怒られちゃうもの」

「ひどいです~!」

 柿原先生がクスクス笑いながら、喚く梅原先生を宥めていると、再びドアのベルが鳴る音が響き、波多野先生が席に戻ってきた。


「なーにやってんの……」

 自分の居ぬ間に、二人がやっていたことをなんとなく察した波多野先生は、椅子に座ってスマホを鞄の中へとしまう。


「おまたせいたしました」

 波多野先生が座ったと同時に、学生アルバイトのホールスタッフが、ケーキと飲み物を運んできた。


「ほら……ケーキ来たから、黙って食べな」

 波多野先生がベストタイミングと思いながら、テーブルに置かれたケーキに目配せすると、梅原先生は少々むくれつつも、「はぁい……」と言って、諦めた。


 *


 午後七時を過ぎた頃には店を出て、駅へと向かう三人。


 時節柄、真っ暗のはずの空は、雲に覆われてやや白みがかっており、空気も湿っぽい。


 梅原先生のみ、二人とは逆方向の電車に乗るため、改札を通ったところで彼女と別れ、波多野先生は柿原先生と共に電車が来るホームへと進む。


「……さっきの電話」

 波多野先生が口を開き、柿原先生が「?」と背の高い彼女を見上げる。


「祐介が、二十六日にれんと一緒にこっちに来るってさ……」

「あれ?今シーズン中よね?」

「その日私の誕生日でさ。今年はたまたまオフの日らしくて。でもまぁ、日帰りで静岡に帰るらしいけど……」

「わざわざお祝いしに来てくれるの?よかったじゃない……」

 柿原先生が笑いかけるが、波多野先生は少々複雑そうな笑みを浮かべて、「でも平日だし、私は普通に仕事だから……」と言って、霧雨が降り始めた線路上の空を眺める。


「久しぶりに会っても、一緒にいられるのは数時間程度かな……」

「梅原先生の話、ちょっと妬いてたの?」

「いや、妬いてはないけども……。元々離れてる期間の方が長いわけだし……ただ」

 波多野先生は、弟が電話口で話していた言葉を思い出すと、「離れてる時間に慣れ過ぎるってのも、考えもんだなーってさ……」と言って、腕を組んだ。


「ハタちゃん、今月でいくつだっけ?」

「二十九……最後の二十代だ……」

「あら!……ってことは、このタイミングだと……」

 柿原先生が口元に軽く手を当てて言うと、「……そんな予感がしなくもない」と、波多野先生はため息をついた。


 *


 最寄り駅の改札を出て、自宅マンションへと向かって歩く波多野先生。


 雨は止んでおり、ひんやりと湿った空気の夜道を、コツ、コツ――とヒールの音を鳴らしながら思うのは、過去と今――。


「(不思議なもんだ……教師なんて、別になりたくてなったわけじゃなかったのに)」

 部活終了後の職員室で、梅原先生の相談に乗っていた時、「ずっと学校の先生になりたかった」という彼女の言葉に、波多野先生は一瞬だけ心をチクリと痛めた。


 学生時代の波多野先生にとって、学校はあまり居心地の良い物ではなかった。


 別にいじめを受けたとか、友達がいなかったというわけでもないが、一人じゃないのに一人ぼっちのような感覚が絶えず付き纏い、とある事情によってずっと抱いていた夢すら叶わなくなった。


 波多野先生が教師になったのは、ただ生きるために選んだだけの職業で、梅原先生のような強い目標や理想像なんてものは無い。


「今月の誕生日さ、レンさんと一緒に地元に帰るから!へへっ、レンさんが姉ちゃんにサプライズ計画してるんだ!ハンカチ用意しておいてよね!」


 電話越しに聞いた弟の言葉が脳裏に蘇り、波多野先生は「はぁ~っ……」と深く息を吐く。


「……困ったもんだ」

 そう声にした波多野先生は、“もしも”の時のためのことを想像し、対策を考えながら濡れたアスファルトの道を歩き続けるのだった。


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