第293話 欲張りな僕ら
緑依風と風麻のおかげですっかり元気を取り戻した亜梨明。
明日の朝、爽太に会ったら今日のことを謝り、きっかけのことはもう気にしなくていいと告げよう。
そう思いながら家に帰ると、玄関に家族以外の誰かの靴が並べられていた。
どこかで見たような気がすると思いながら、亜梨明が「ただいまー」と言ってリビングに入ると、「おかえり」と返事をする父の真琴の隣に、爽太の姿があった。
「えっ、爽ちゃん!?」
亜梨明が驚いて目を丸くすると、爽太は「お邪魔してます」と亜梨明に言った。
リビング内は真琴が用意した紅茶の香りが漂っており、爽太はそれをひと口飲んで、「これ、すごく美味しいです!」と、彼に感想を述べる。
「よかった。この紅茶、お気に入りなんだ。……あ、それよりこっちの写真なんだけど――」
「写真……?」
父が何やら本のような物を爽太に見せていることに気付いた亜梨明は、それが自分と奏音の幼い頃のアルバムだと知った途端、ヒュッと息を呑んで「な、なんでそんなの見せてるの~っ!?」と、二人の膝元から慌ててアルバムを取り上げた。
「いやぁ、リビングの棚の整頓をしていたら懐かしくなって見てたんだけど、そしたら爽太くんが遊びに来てくれて。せっかくだから、待ってる間に娘の可愛い姿を見て欲しくなって!」
そう言って、ニコニコと全然詫びれる様子のない父の隣に座っている爽太の腕を掴んだ亜梨明は、「ちょっと来て……!」と、彼を立ち上がらせ、自室へと連行する。
バタン――と、部屋のドアを閉めた途端、「なんでうちにいるの~っ!?」と、亜梨明は少々大きめの声で爽太を問い詰める。
「――っていうか、いつの間にうちのお父さんと仲良くなったの??」
「えっと……おじさんとは東京に行く時に仲良くなって、亜梨明の家に来たのは、さっきのことで話が合ったから……」
「話……?」
「うん、好きになったきっかけの話」
「あ……」
亜梨明が視線を泳がせると、爽太は申し訳なさそうに眉を下げ、「ごめん……やっぱり理由はわからないんだ」と、謝った。
「亜梨明と距離ができてしばらく経ってから、君のことが好きだったんだって気付いて――だから……いつ?何がきっかけで?って聞かれても答えられない……」
「うん、その話はいいの。もういいんだ……」
亜梨明は、先程風麻から聞いた話のおかげで、もう理由はいらないと思っていたが、爽太はまだ亜梨明が気にしていると勘違いし、「そっ、その代わり……!」と少し焦った声で叫ぶ。
「その代わりに……亜梨明のどこが好きなのか伝えるから、聞いて欲しい……」
「えっ……?」
改まって言われるのは恥ずかしいと思った亜梨明は、「いいよいいよ!気にしてないんだから……!」と、両手を小さく前に出し、首を振って断ろうとするが、「言わせて!」と、爽太に必死な顔で迫られると、やや固くなった表情で頷いた。
「――僕は……亜梨明の長い髪が好き……大きな目が好き。……少し高めの声が可愛いって思うし、その声で名前を呼ばれる時……すごく、幸せな気持ちになる……」
爽太はひとつひとつ――自分の中にある感情をゆっくりと取り出すように、亜梨明の好きな所を語り始める。
「楽しいことを素直に「楽しい」って言葉にできて、たくさん笑う君が好き。……泣いてる顔も……悲しくて泣かれると困るけど……嬉しくて泣いてる時は、綺麗だなって思う」
「……っ!」
だんだん羞恥に耐えられなくなった亜梨明は「も、もういいよ!」と声を張り上げたが、爽太は止めることなく語り続けた。
「それから……ピアノを弾いてる亜梨明の横顔が好き……。亜梨明が弾くピアノを聴くのも好き。普段は少し子供っぽいけど、一度やると決めたらそれに向かって、一生懸命に頑張る君を、僕はすごく尊敬してる……」
「爽ちゃん……」
亜梨明が赤く潤んだ瞳で爽太を見上げると、爽太はふっと口元を緩ませる。
「君と出会ってから、僕は嬉しいことだらけだ。……特に、僕が医者になりたいって話した時に言ってくれた亜梨明の言葉……本当に、本当に嬉しかった!あの日までは、自分だけの夢だったけど、亜梨明にも絶対見届けてもらいたいって思ったよ」
爽太は一息深く呼吸をして、間を置くと「でも……」と言って、小さな亜梨明と目線が合うように背中を丸めた。
「僕が一番嬉しいのは、亜梨明が僕を大好きでいてくれること……」
「え……」
亜梨明が猫のような目を丸くして驚く。
「……僕があんなに酷いこと言った後も、亜梨明はずっと変わらずに好きでいてくれて……付き合うようになってからも、もっともっと僕を求めてくれて……。大好きな亜梨明が大好きでいてくれること――それが、僕が今、一番嬉しくて幸せなこと」
「……っ」
爽太がふわっと微笑んだと同時に、亜梨明の涙が頬を伝って流れ出す。
「重くない……?」
「全然……」
「欲張り過ぎて、嫌われるんじゃないかって思ったよ……っ」
抑えきれなくなった亜梨明の涙が、どんどん溢れていく。
爽太は、泣きじゃくる彼女をそっと抱き締めると、「嫌うもんか」と笑って、優しく頭を撫でた。
「僕は、亜梨明に「好き」って言ってもらえるまで、恋とか全くわからなかったし、今も手探り状態で、これからも亜梨明を不安にさせるかもしれない――けど、僕の気持ちは本物だから信じて」
「うんっ……信じるっ……!」
グズッと鼻を鳴らし、爽太の腕の中で何度も頷く亜梨明。
「欲張りになっていい……ううん、なって欲しい……。僕も、亜梨明には欲張りになるから……」
もっといっぱい、好きでいて欲しい。
僕も負けないくらい、亜梨明を好きでいるから――。
爽太はそんな風に思いながら、亜梨明を抱き締める腕に力を込めた。
*
翌朝、風麻から前日のことを心配された爽太は、三組の教室前の廊下で無事解決したことを話した。
「欲張りになれ……か」
風麻が窓際の壁の淵に頬杖をつきながら言う。
「いいじゃん、それ」
「うん。……僕らは風麻達と違って、一緒にいた時間はそんなに長くないから、まだまだお互いに知らない部分も多いし。遠慮し合ってギクシャクするくらいなら、どんどん好きだってこと伝えあっていかないとなって」
「俺らだって、十年一緒にいてもわからんことあるぞ。……でもまっ、“言葉で伝える”って、簡単そうに見えて意外とできないことだもんな。爽太が相楽姉の好きなとこ言ったおかげで、あいつもすごく安心できたんじゃね?」
「うん……」
三組の教室内では、亜梨明が緑依風や奏音、星華と楽しそうにお喋りしている姿が見える。
爽太は、そんな彼女の様子を見つめたまま、「好きって言葉とか気持ちって、もらってももらっても、すぐに欲しくなっちゃうね」と呟いた。
「昨日、あんなにわかり合って満たされたはずなのに、もう次の「好き」が欲しいんだ。心の器が、どんどん大きくなっていくみたいだ……」
「……だな。俺もすぐ、充電バッテリー切れたみたいになってる。恋は大変だ……」
「大変だけど、やめられない……」
教室にいる亜梨明は、爽太が自分を見ていることに気付き、ニコッと笑いながら小さく手を振っている。
爽太もクスッと声を漏らし、亜梨明に手を振り返した。
「本当に……亜梨明が可愛くて大好きでしょうがないや……」
愛おしい気持ちを口にする爽太に、風麻は少々驚いた様子で「お前っ、本当に変わっ……!」と、言いかけたが、「――いや、サラッと恥ずかしいこと言うのは元からか……」と、やや呆れた口調で首を捻るのだった。
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