第292話 贅沢者


 爽太より先に木の葉を出た亜梨明は、順番待ちの列を見る。


 長い列の中に、綺麗な女性と整った顔立ちをした男性のカップルがいて、どこからどう見てもお似合いといった雰囲気。


「(いいな……)」


 亜梨明は、爽太を置いてきたことに後ろ髪を引かれつつも、今は彼とこれ以上二人きりでいられる気分になれなくて、どんどん店から離れていく。


 きっかけなんて、聞かなければよかった。

 せっかく楽しいデートになるはずだったのに、変な質問をしたせいで、爽太を困らせた。


 でも今一番亜梨明の頭の中を占めているのは、その罪悪感以上に、彼が自分を好きになった瞬間が無かったこと。


 彼ははっきり言わなかったが、「ちゃんと答えられるように思い出すから」なんて、『無い』と言われているのと一緒だ。


 爽太の言葉を振り返れば振り返る程、亜梨明の心は重苦しくなる。


 本当は、寄る所など無い。


 かと言って、沈んだ気持ちのまま、家に帰りたくもない。


 どうしようかと悩んでいるうちに、亜梨明の足は何故か自然と緑依風の家の方へと向かっていた。


 松山家の前に辿り着いた亜梨明がインターホンを鳴らすと、「あれ、相楽姉?」と風麻が後ろから声を掛けてきた。


「あれ?亜梨明ちゃん…?と、風麻……」

 ドアを開けて出てきた緑依風も、亜梨明が突然訪問してきたことに驚いている。


「あ、えっと……ちょっと、緑依風ちゃんとお話したいな~って思ってたんだけど」

 元気の無い亜梨明の様子に、緑依風と風麻は目を合わせ、二人で亜梨明の話を聞くことにした。


 *


 風麻と共に、緑依風の部屋へ通された亜梨明は、今日の爽太とのデートのことをぽつりぽつりとこぼすように説明する。


 緑依風と風麻は、本当は二人でお互いが好きな漫画を貸し借りしながら、ゆっくり過ごす予定だったらしいが、落ち込んでいる親友の恋愛相談を、嫌な顔一つせず真剣に聞いてくれた。


 爽太にきっかけを聞いたこと。

 その質問に爽太は答えられなかったこと。

 重い空気に耐えられず、彼から逃げるように店を出てここに来たこと。


「……めんどくさい女って思われたかな」

 全てを話し終えた亜梨明は、ラグが敷かれた床の上でしょぼんと肩を落として言った。


「そんなことないよ……!」

 緑依風が亜梨明を励まし、風麻も「まぁ……爽太は元々そういうのに鈍い性格だからな」とフォローを入れる。


「相楽姉ががっかりするのもわかるけどさ、多分爽太は一緒にいるうちに、自然とお前を好きになっていったんじゃないか?前に俺にもそんな感じで言ってた気がするし」

「自然と……か」

 風麻の言葉を聞いて、亜梨明はぼんやりと呟くが、「本当にそうなのかな……」と、ネガティブな気持ちが声に続く。


「私ね、たまに思うんだ……。もしかして、爽ちゃんは同情で私に付き合ってくれてるんじゃないかって……」

「えっ……」

 緑依風が短く声を上げる前で、亜梨明はスカートの裾をキュッと握った。


 そうでもしないと、自分がいつまで経ってもフラれたショックから立ち直れなかったから。


 病がどんどん悪化していく中で、生きる気力も失くして、一人丘の上で死のうとしたから。


 そんな状況下で、自分を連れて帰るために、爽太はあんな事を言ってくれたのではないか――。


 疑念が、次々に湧き上がる。


「きっとそうだよ。だって……私と爽ちゃんじゃ全然釣り合わないし。だからきっかけも無くて、本当は好きじゃなかったけどそう言うしかなくて、私のことが好きなフリをずっと続けてくれてたんだ……。弱ってた私が可哀想に思ったから……仕方がないから――」

「ちょっ……それは、流石に日下に失礼じゃないかな……」

 卑屈なことを吐き続ける亜梨明に、緑依風が思わず膝立ちになって亜梨明の言葉を遮る。


 亜梨明は、緑依風を見上げながら下唇を噛み締め「でもっ……」と声を詰まらせると、猫のような瞳からボロっと大粒の涙をこぼした。


「だって……っ!爽ちゃんはかっこよくて、頭も良いし、優しくてすごく素敵な人なのにっ……私は、“爽ちゃんの彼女”って、胸張って言えるようなとこ……無いんだもん……っ!」


 本当はわかっている。同情じゃないって。


 しかし、いつも急に不安になる。爽太の『彼女』が自分でよかったのかと。


 きっと、目の前にいる緑依風のような女の子なら、爽太と歩いていても自分と比べたり、不釣り合いだと悩むことも無かっただろう。


 だからこそ知りたかった。

 爽太が自分を好きになった瞬間を。


 爽太の彼女として胸を張れる、自信が欲しかったのだ。


 ひっくひっくと、喉を鳴らして泣きじゃくる亜梨明を、緑依風がどう言葉を掛けてあげればいいかと困惑しながら抱き締め、背中をさする。


 すると、しばらく無言だった風麻が、ガシガシと頭を掻きながら深くため息をつき、「相楽姉って……結構贅沢者だよな」と、苛立った口調で言った。


「え……?」

「ちょっと……っ!」

 風麻の厳しすぎる発言を、緑依風が振り返って咎めたが、風麻は険しい表情のまま涙目の亜梨明から視線を逸らさない。


「贅沢だろ……あんなに爽太に大事にされてるくせに、『同情』でなんて言えるんだから」

「…………」

「相楽姉、最初にフラれてから東京に行くまでのあいつの話、緑依風や空上達から聞いたことあるか?」

 亜梨明が首を軽く横に振り「……あまり、ないと思う」と言うと、風麻はゆっくりと――だが、亜梨明の心に刻みつけるようにはっきりと、当時の彼の様子を語り始めた。


「――お前と関係が悪くなってからも、爽太はずっと相楽姉のことを心配してた……。お前の命が危ないって聞いた後は、抜け殻みたいになっちまって……何もしてやれないことを悔しがって、隠れて一人で泣いてたよ……」

 亜梨明はキュっと口を結び、風麻の話を聞き入っている。


「死にそうになっていたお前に、唯一できることかもしれないって、自分を治してくれた先生に連絡して、助けて欲しいって頼んで……。お前がいなくなった時も必死に町中探して、居場所を突き止めて連れて帰ってきた爽太のどこに……っ、どこに、ただの同情だと思うんだよ!?お前のことが大切で大好きじゃないとできないだろ……!!」

「……っ」

 風麻が言い切ると、亜梨明は軽々しく『同情』だなんて言葉を口にした自分を恥じて、再び涙を流した。


 忘れていた訳じゃないけど、忘れていた。

 爽太がどれほど自分を想ってくれているのかを――。


 丘の上の祈りの石の前で、彼は全てを諦め、死のうとしていた自分に泣きながら好きだと告げてくれた。


 同じ時を歩みたいと、時計をくれた。


 きっかけなんて無くたって、爽太が愛してくれている証拠は他にもたくさんあるのに、どうしてあんな言葉を言ってしまったんだろうかと、亜梨明は反省し、服の袖で涙を拭った。


「ホントだ……私、贅沢者だね……」

 グズッと鼻を鳴らしながら、亜梨明は小さく笑った。


「こんなに想ってもらって、すごく幸せなはずのに……これ以上求めちゃいけないね」

「ま、確かに爽太は何考えてるかわかりづらいヤツだと思うけど、でも相楽姉がめっちゃ好きだってのは、俺ら男同士で喋ってる時も伝わって来るよ。人のこと言えないけど、不器用なだけだからな」

 風麻が床に手をつき、姿勢を崩して言う隣では、緑依風が何か引っかかるような面持ちで彼を見ている。


「坂下くん……教えてくれてありがとう。私、爽ちゃんに負けないくらい、爽ちゃんのこと好きでいたい……!」

「おう、元気になったんならよかったよ!」

 亜梨明が満たされた気持ちで言うと、風麻と緑依風も安心したように微笑んだ。


 *


「それじゃ、お邪魔しました!緑依風ちゃんも話聞いてくれてありがとう!」

「うん、また明日学校でね!」

「うん!」

 亜梨明を玄関先から見送った緑依風が部屋に戻ると、風麻は床の上であぐらをかきながら漫画を読んでおり、「おかえり」とドアを閉める緑依風に声を掛けた。


「…………」

「ん?どうした……?」

 風麻が閉じた扉を背にしたまま、小さく口を窄めている緑依風に気付くと、「さっきの話……」と言いながら、彼女は風麻の横に座る。


「さっきの?」

「ちょっと……悔しくなっちゃって」

 伏し目になる緑依風の横顔を風麻が「なんで?」と、覗き込む。


「日下と亜梨明ちゃんが気まずくなった時、風麻はいつも損な役回りばかりになるから……」

「そうかぁ?」

「うん……。二人のために、自分の気持ちを諦めたり……今だって、亜梨明ちゃんと日下のために、あえて厳しく言ったんだってわかったら……風麻のそういうとこが、かっこよくていいなって思うけど、あの時日下が亜梨明ちゃんのことで行動できたのは、風麻のおかげなのに知らないままになるのは……なんだか残念というか……悔しくなっ、て――っ!?」

 突然、風麻が勢いよく抱き付いてきたため、バランスを崩した緑依風は彼ごと床の上に倒れ込んでしまった。


「ど、どうしたの!?」

 少々際どい体勢になってしまっていることに、緑依風がドキドキしながら聞くと、風麻は彼女を抱き締める腕の力を更に強めて、「ありがとな……」と、耳元で囁くような声で言った。


「知らなくていいんだよ、俺のことはさ……」

「うん……」

 もちろん、緑依風も二人にそのことを言うつもりはこれからも無い。


「緑依風が知ってくれてるから……俺は、それでいいんだ……」

「うん……」

 風麻の表情は、強がりではなく本当に満足していると伝わるもので、その優しい顔に触れたくて緑依風が手を伸ばすと、彼はその手を取ったまま、緑依風に覆い被さるようにしてキスをした。


 緑依風は反対側の手を風麻の背に回すと、彼と触れ合う部分からの温もりに柔らかな気持ちになり、腕の中にいる風麻を誇らしく思うのだった。


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