第291話 父親譲り


 気まずい空気の中、ケーキを食べ終えた爽太と亜梨明は、味の余韻に浸ることもなく、早々に席を立ってお会計を済ませる。


 母の唯から、帰りに両親とひなたの分のケーキを買ってきて欲しいと頼まれていた爽太が、亜梨明にそのことを伝えると、亜梨明は「じゃあ、私ちょっと寄る所あるから、先に帰るね。ゆっくり選んであげて」と固い笑顔で言って、そのまま店を出ていってしまった。


「あ……」

 爽太は引き止めようとしたが、止めたところで亜梨明に何と言葉を掛ければいいかもわからず、追いかけることができなかった。


「(……あの時と一緒だ)」


 亜梨明の告白を断った時。


 あの日も、亜梨明が勇気を振り絞って伝えてくれた気持ちに嘘を付けないと、正直に伝えて傷付け、二人の間に溝ができてしまった。


 さっきも、適当に何か言えばこんなことにならずに済んだかもしれないのに、わからないことをそのまま謝って、結果亜梨明を傷付けた。


「(……でも、亜梨明に嘘付きたくないよ)」

 亜梨明が自分を好きになってくれたきっかけを聞いてしまったからこそ、余計にそう思ってしまう。


 嘘を言えない。でも、正直過ぎても亜梨明をがっかりさせてしまう。


 *


「ただいま……」

 トボトボと、力無い足取りで帰宅した爽太が靴を脱いでいると、「おかえり、ケーキ~っ!!……じゃなくてお兄ちゃん!」と、兄の帰宅以上にケーキを心待ちにしていたひなたが、言い直して出迎える。


「はい、ケーキ」と、爽太がひなたにケーキの箱が入った袋を手渡すと、ひなたはここでようやく兄が浮かない表情をしていることに気付き、「?」と首を傾げた。


「おかえり爽太」

 三人掛けのソファーに座ってテレビを観ていた唯が立ち上がると、唯の隣にいた晴太郎も「おかえり~」と振り返って言った。


「うん……ただいま……」

「どうしたのお兄ちゃん?元気無い……」

 普段は、家族に心配されるのを嫌うはずの爽太が、誤魔化そうとする気力もない程落ち込んでいる姿を見て、ひなただけでなく両親も不安そうに息子を見つめる。


「亜梨明ちゃんと何かあった?」

「ケンカでもした?」

「…………」

 父と母の質問に、爽太は何も言わなかったが、しょんぼりとした様子で肩を落とすと、父の斜め横にある一人用ソファーに腰掛け、顔を覆って深いため息をついた。


「僕は……勉強不足だ……」

 爽太は情けない声でそう呟くと、被っていたニット帽を取り外して母を見上げる。


「ねぇ、お母さん……」

「ん?」

「どうして女の子って、好きになった理由を知りたがるんだろう……?」

 亜梨明と同じ女性である母に、大真面目な気持ちで質問する爽太。


 だが、唯は息子のそんな問いかけを聞いた途端、「あっはははは!」と大声で笑いだし、晴太郎も笑ってはいけないと思いつつも、堪えきれずに口元を押さえて隠した。


「亜梨明ちゃんに聞かれたのね?それで、答えられなかったんでしょ!」

 全てを言わずとも、察した母の言葉に爽太は「うん……」と頷く。


「亜梨明のこと、大好きなのに……亜梨明に好きになったきっかけを聞かれて、答えられなくて……がっかりさせちゃったんだ」


 帰り道でも考え続けた、亜梨明を好きになったきっかけ。


 自分の中で、この時かもしれないと思う出来事は多々あったが、それをはっきりと断言できるかといえば曖昧で、でも確かに、彼女と過ごしているうちに、亜梨明を親友以上の気持ちで慕っていた。


 きっと、あの時には亜梨明のことが好きだった。

 この頃も多分、亜梨明に惹かれていた。


 そう思い返しても、亜梨明が欲しい答えは、自分が彼女を特別な気持ちで『好き』と感じた瞬間だろう。彼女の求めるものではない。


「――そうね、女の子は……ううん、多分男の子も……大好きな人が自分のどこを気に入ってくれたのか、知りたくなるものなのよ」

 唯は棚から三人分の皿を取り出し、爽太が買ってきたケーキを乗せながら語る。


「男の子も……」

「うん、恋の仕方は人それぞれだから」

「…………」

「きっかけがわからないなら、亜梨明ちゃんの好きな所を伝えてあげたら?」

 顔をしかめて悩む爽太に、唯は四人分の飲み物を用意しながら提案した。


「好きな所……か」

「うん、それなら言えるでしょ?」


 亜梨明の好きな所。


 それを思い浮かべた途端、急に恥ずかしい気分になって、爽太は今更家族に恋愛相談をしたことを後悔するが、唯は真っ赤になった息子をからかいたい気持ちをグッと堪え、「それを言葉にして伝えてあげたら、亜梨明ちゃんきっと安心すると思うな」と言って、淹れ終えたコーヒーやココアをテーブルに置き、夫と子供達を手招きした。


「……僕、後で亜梨明の家に行ってくる」

 爽太がそう言って席に着くと、唯は「うん」と頷き、「それじゃ、お兄ちゃんが買ってきてくれたケーキ、いただきましょうか」と手を合わせた。


「(亜梨明の好きな所なら、いっぱい言える……)」


 嘘や、その場を取り繕うための言葉ではなく、本心から思うままに。


 それを、亜梨明がどう感じ取るかはわからないが、きっかけよりはずっと上手く言える自信がある。


 温かいココアを一口飲み、リラックスした表情になった息子を、晴太郎と唯は微笑ましい気持ちで眺めていたが、一件落着したところで唯は急に「そ、う、い、え、ば……」と、シラーっとした目つきを夫に向け、頬杖をつく。


「お父さんも付き合い立ての頃、今日の爽太と同じことしてお母さんを怒らせたのよね~」

「え……?」

 爽太が隣に座る父を見れば、彼はギクリと顔を硬直させ、妻の視線から目を逸らした。


「爽太に聞かれた途端、その時のこと思い出しちゃったわよ。あぁ、やっぱり晴ちゃんの子だな~って」

「だ、だって~っ!気が付いたら唯ちゃんに夢中になってたんだもん!!」

「でもだからって、友達に指摘されるまで、自分が恋してたことも気付かない人なんて初めて見たわよ」


 スンとした顔でコーヒーを飲む唯に、両手を合わせて謝る晴太郎。


 そんな両親のやり取りを見た爽太は、自分が異性からの好意や恋愛について疎い部分は、父譲りなのだとこの時悟ったのだった。


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