第290話 好きの理由(後編)


 並び始めてから四十分程すると、ようやく店内に案内され、席に着くことができた。


 爽太と亜梨明がそれぞれメニューを開けば、席に案内してくれた学生アルバイトの女性店員は、この秋限定の栗やかぼちゃ、さつまいものスイーツが今人気の商品だと教えてくれた。


「どうしよう!栗のパフェも美味しそうだし、こっちは小さな三種類のモンブランセット……!いもとかぼちゃと栗を全部食べれちゃう!あ~っ、でもこれ緑依風ちゃんが私が好きかもってオススメしてくれたやつだ!りんごと紅茶のシフォン……!お持ち帰りもあるって聞いたけど、お小遣い的にお店で食べて持ち帰りまでは厳しいし……」

 メニューのページを捲るたび、笑顔になったり悩んだりと、コロコロ表情を変える亜梨明を見て、爽太はクスクスと笑いながら、その様子を楽しんでいる。


 しばらく悩んだ末、亜梨明はりんごと紅茶のシフォンケーキにホットミルクティーを。


 爽太は三種のモンブランセットにホットコーヒーを選ぶことにした。


 最初は栗のパフェを選ぶつもりだった爽太だが、亜梨明がギリギリまでモンブランとシフォンケーキで悩んでいたので、それなら自分の分を少しずつ彼女にわけてあげたいと思ったからだ。


 注文を終え、メニューが下げられる。


 乾燥した空気で乾く喉を潤そうと、爽太が水の入ったコップに手を伸ばした時だった。


「あ、そういえばさっきの話なんだけど……」

 おしぼりで手を拭く亜梨明が、モジモジしながら話を切り出す。


「さっきの話?」

「うん、爽ちゃんが私に気持ちを伝えようと思ったってやつ。さっき聞きそびれちゃったんだけど、一個気になることがあって……」

「気になること?」

 爽太が水を一口飲んで聞くと、亜梨明は少し緊張した様子で「うん」と頷いた。


「結局爽ちゃんって、私のどこを好きになってくれたのかなぁって……」

「…………!」

 二口目の水を飲もうとした爽太の動きが、ピタリと固まる。


 そしてその瞬間、以前風麻と会話した内容が、爽太の頭の中で再現された。


 それは、風麻が緑依風と付き合う前――緑依風への想いに悩んでいた彼が、彼女に対し『好き』と伝えられないのは、『好きだと断言できる明確な理由が無い』『緑依風に、どこが好きなのかと聞かれた時に答えてあげたいから』と、いった感じのものだった。


 その時の爽太は、彼に対して、どう見たってすでに緑依風を好きになっているはずなのに、こんなことで悩んでいるくらいなら、さっさと「好き」と伝えてしまった方がいいのになんて、思っていた。


 ――が、まさか今、自分がそんな場面に遭遇するとは予想だにしていなかった彼は、非常に焦っている。


「あ、えっと……逆に亜梨明は?」

 苦し紛れに出た爽太の言葉に、「私?」と亜梨明は首を傾げる。


「うん……亜梨明はなんで、僕を好きになってくれたの……?」


 亜梨明の回答を聞いて、それを参考に答えよう。


 そう考えてしまう自分をずるいと思いつつも、風麻の前と同じように、正直に「きっかけは無い」なんて言えば、亜梨明を傷付けてしまうかもしれないことの方を恐れ、爽太は彼女の返答を待つ。


「え~っとね!ちょっと恥ずかしいんだけど……」

 亜梨明はそう言って、白い頬をほんのりと桜色に染め、そのほっぺを両手で押さえながら語り始めた。


「最初はね、おんなじ病気の友達って初めてだったから、それが嬉しくて……。その後も、みんなに内緒にしながらも、こっそり私のこと気遣ってくれて優しいなって思ったら、いつの間にか目で追うようになってたんだけど……でもね!やっぱり好きだって思ったのは、私を叱ってくれた後かな!」

「えっ、叱った……?」

「うん、私が体調悪いの隠して無茶して倒れちゃった時。爽ちゃん「なんでこんなになるまで我慢したんだ!?」って、すごい怒ったでしょ」

「う、うん……」


 普通、嫌われることだったのではと、爽太は不思議でたまらなかったが、亜梨明は何故か嬉しそうに微笑みながら、話を続ける。


「私ね、家族以外であんなに叱ってくれた人、初めてだったの。家族じゃない人はみんな、「この子は病気だから」「病人には優しくしないと」って感じで、悪いことしちゃっても、遠慮してそっと言ってくれるだけだったから。爽ちゃんに叱られたばっかりの時は、嫌われちゃったかも、どうしよう……って、落ち込んだけど、あの後病院にも来てくれて、「頼って欲しかった」「頼られるのを待ってた」って言ってくれたのを聞いたら、爽ちゃんは私に真剣に向き合ってくれてるから、本気で叱ってくれるし、対等でいてくれるんだって思えて、嬉しくて……。それが、私が爽ちゃんのこと好きになったきっかけ!」

「…………」

 とても嬉しいはずなのに、今の爽太はそんな亜梨明の話を喜べる余裕が無かった。


 まさか、ここまできちんとした理由があって、自分をまっすぐに見てくれていたなんて思わなかったから。


「……で、爽ちゃんは?」

 亜梨明の期待する眼差しを受け、爽太の手は汗が滲んで冷たくなっていく。


「(言わなきゃ……答えなきゃ……)」

 亜梨明が好きになってくれた理由に見合った、ちゃんとしたきっかけを。


 亜梨明を好きだと自覚したのは、今年の春になってから。


 でもそれは何故?亜梨明の告白を断って、亜梨明と距離が出来て、風麻と亜梨明が仲良くなっていくことが羨ましくて、悔しくて……。


 だめだ、それは『好きになったきっかけ』じゃない。

 亜梨明のことが好きだったんだって気付いただけだ。


 その前に惹かれていたのは?どうして僕は、亜梨明のそばにいる役目を風麻や他の誰かに渡したくないって思ってたんだ?


 友達、親友――どこから、亜梨明に親友以上の想いを抱き始めていたんだ?


 友情が恋情に変わった時期も、爽太は何もわからない。


 たった1.5秒の短い時間の間に、爽太は目まぐるしい速度で思考を巡らせていたが、亜梨明が喜んでくれそうな言葉どころか、自分の感情が切り替わったことすら見つけることができなかった。


「ごめん……っ」

 爽太は俯き、亜梨明の期待に応えられないことへの申し訳なさに、ギュッと手を握りながら謝る。


「――ちゃんと……答えられるように思い出すから、今度でもいいかな……」

「えっ……?」

 亜梨明の猫のように大きな目が、傷付いたように揺れて、項垂れた彼を見つめる。


「あ……」

「…………」

「えっと……うん、いいよ!」

 爽太が顔を上げると、無理した笑顔の亜梨明が彼の瞳に映った。


「……っていうか、もういいよ。うん、ごめんね!私こそ、変なこと聞いちゃったね!気にしないで!」

「……っ」

 答えられなかった自分を精一杯元気付けようとする亜梨明の優しさが、爽太には余計に辛かった。


 それから数分後。


 二人の元に注文したケーキとドリンクが届けられたが、会話はぎこちなく、空気は重たい。


 せっかくの美味しいものも、胸のつっかえに邪魔されて、ただ甘くて柔らかくて――苦くて渋い、そんな風にしか味わえなかった。


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