第287話 マイナスからの始まり(前編)


 脇田に突然、放課後に呼び出された奏音は、亜梨明と一緒に掃除用具を片付けながら、ヒソヒソと話を続けていた。


「ね、亜梨明……あれってやっぱりアレでしょ?告白とか、付き合ってとか、そういうやつだよね……!?」

 珍しくオロオロと取り乱した状態の奏音に、亜梨明は「絶対そう!」と、目をキラキラ輝かせながら頷く。


「でもさ、私そんなに脇田と話した覚えないんだけど!?」

「けど、去年おんなじクラスだったんだもん!きっと一緒に教室で過ごすうちに、奏音の良さを知って、好きになってくれたんだよ~!」

「えぇ~っ!?」

「ほら、よくあるでしょ!いつの間にか好きになってたっていうタイプの恋愛。話した数は少なくったって、席が近かったりすれば、意識していっちゃうじゃない!」

 亜梨明はすっかり盛り上がっており、「妹を好きになってくれる人がいて嬉しい~!お姉ちゃん、応援しちゃうよ!」と、抱き付いてきたが、奏音にとって脇田はただの元クラスメイトで、それ以上でもそれ以下でもない。


「……こ、断ろうかと思うんだけど」

「え~っ!でも、最初は好きじゃないかもしれないけど、脇田くんが奏音を大事にしてくれる人だったら、だんだん奏音も好きになっていくかもしれないよ?」

「…………」

 そう言われると、その可能性も無くは無い。


 ぶっちゃけ、脇田がどんなタイプの人間だったかすら、奏音の中では曖昧で、唯一覚えているのはサッカー部だったというくらい。


 風麻や爽太が、脇田と他の男子グループと輪になって会話している姿は見ていたので、彼らに聞けば情報を得られるかもしれないが、この後はすぐ終礼があるし、時間はあまり無い。


「とりあえず、行くだけ行ってみる……」

「うん!私は爽ちゃんと先に帰るから、奏音はお母さんにお迎えずらしてもらう連絡したほうがいいよ!」

 亜梨明は奏音の両肩に両手を置き、そうアドバイスすると、「報告楽しみにしてるね~!」と弾けるような声で言った。


 *


 そして、いよいよその時が来た。


 奏音は、終礼が終わってすぐ、明日香に迎えを十五分送らせて欲しいと連絡し、中庭へ移動する。


 返事はまだどうするかも決めていないので、亜梨明には、緑依風や爽太や風麻――とくに星華には、絶対このことを言わないよう口止めした。


 松葉杖をつき、左足首があまり地面に触れないよう気を付けながら中庭に辿り着くと、植えられた樹木の間に、脇田の姿が見えた。


「よぉ……」

「うん……」

 奏音が硬い表情で頷くと、「足この間からどうしたの?」と、脇田が聞く。


「ちょっとドジっちゃってね。杖付いてるけど骨折じゃなくて捻挫……」

「奏音がドジるってイメージ無いから意外だ。亜梨明はよくうっかりしてた気がするけど」

 たわいもない会話が始まったが、母の迎えの時間もあるので、奏音は手短に済ませようと、「その……話って何?」と切り出した。


 奏音に聞かれると、脇田は少々迷うような仕草をしながら、「まぁ、その……単刀直入に言うとだな……」と、前を見据えた。


「付き合いたいんだ。奏音と」

「…………!」

 予想はしていたが、やっぱりそうなのかと奏音は心の中で呟く。


 付き合いたい――と言うことは、やっぱり脇田は私のことが好きなんだ。


 告白されたのは初めてで、しかもまだ当面恋愛をするつもりもなかった奏音だが、急に胸がドキドキしてきて、その気になってしまいそうになる。


 奏音は、さっきまで全く何も思わなかった癖にと、自分を笑いたくなるが、恋でも友情でも、『好き』という言葉は、一瞬で人を狂わせてしまうのかもなんて、詩人めいたことまで考えてしまう。


 だがその浮かれた気分は、あっという間に逆戻しされてしまうことになる。


「――えっと、返事をする前に聞きたいんだけど……なんで、私と付き合いたいって思ってくれたの?」

 奏音が質問すると、脇田は「へ……」と、固まり、「それは……」と歯切れ悪そうに奏音から目を逸らす。


「気を悪くさせるかもだけど、私と脇田って……去年クラス一緒だったけど、それだけっていうか、あんまり話した記憶がなくて……。あっ、もしかしたら私が忘れてるだけなのかもだけど……!」

 脇田の顔が苦虫を潰したように歪んでいき、怒らせたかなと不安になる奏音。


 脇田は、話そうとして躊躇う様子を二、三回繰り返したが、やがて観念したように「言いにくいんだけど……」と、理由を述べ始めた。


「実はさ、お前とはあんまし話した回数ないけど、亜梨明とはちょくちょくあって……」

「そうなの……?」

 亜梨明の口から脇田の話題がそんなに出たことがないので、奏音は意外な気持ちで首を傾げるが、明るくフレンドリーな性格の姉のことだ。


 話しかけられれば、誰とでも仲良く会話できるし、席が近ければ、亜梨明からもちょっとした話題を振ることもあっただろう。


「……それでさ、前々から亜梨明のこと可愛いなって思ってて。気になってたけど……元々日下と付き合ってるって噂だったし、付き合って無いって知ってからも、近寄り難くて、そんで……今は本当に付き合ってるんだろ?」

「……つまり、脇田が好きなのは私じゃなくて、亜梨明ってこと……?」

 奏音の熱帯びてポワポワとしていた気分が、一気に地に落ちたようなものへと変わる。


「まぁ、はっきり言えばそうなんだけど……。でもさ、奏音と亜梨明は双子で同じ顔じゃん?……俺、今もまだ亜梨明のこと忘れられなくて。かと言ってあの日下に敵う気はしないし、代わりに付き合えたらなって思ってさ……」

「…………」

 冷え切った心が、今度は怒りで一気に熱くなっていくのを感じた奏音は、ギュッと唇を噛み締め、肩を震わす。


「悪いけど……断る」

 奏音が低くこもった声で言った。


「え、なんでいいじゃん、頼むよ……!やっぱり違うと思ったらすぐ別れてやるしさ、ちょっとの間でいいから、亜梨明と恋人同士になった気分味合わせてよ!」

 脇田は両手を合わせて懇願するが、ヘラヘラとしていて、余計馬鹿にされている気がする。


「奏音だって今フリーなんだろ?彼氏がいる優越感だって浸れるし、お互いいいことづくしじゃん!」

「私、別に今彼氏欲しいなんて思ってないし。そもそも、そんな理由で付き合う?亜梨明の代わり?くだらなさすぎ……」

 奏音はそう言い捨てて、さっさと母が迎えに来る校門前へ向かおうとした――が、「おい、待てよ!」と脇田が奏音の肩を引っ張る。


「離して!」

 奏音が腕を振って抗議すると、脇田は逆ギレしたのか、鼻息を立てながら奏音を見下ろす。


「なんだよ今の言い草!」

「くだらないからくだらないって言ったの!私は亜梨明じゃないし、亜梨明の代わりになるつもりはない!」

 加藤といい脇田といい、誰かに似てるや代わりと言って、振り回してくる。


 もう、うんざりだった。


「それに、亜梨明が日下と付き合ってなくったって、そんな自分勝手な考え方しかできないあんたに、あの子は近寄らせない!」

「……っん、だと……⁉︎」

 奏音の言葉に、脇田はこめかみに青筋を浮かべる程激高し、彼女をドンっと突き飛ばした。


「あ、っ……いった」

 カランと、松葉杖の乾いた音が響き、尻餅をついた奏音が上を向くと、脇田はあろうことか、奏音の負傷した足を踏み付けようとした。


「――――!」

 避けきれないと、奏音が思った時だった。


 脇田は片足を上げた姿勢のまま、誰かに腕を掴まれ、阻止されている。


「やめろ……」

「……加藤」

「えっ……」

 奏音が脇田の後ろにいる人物を見ると、加藤が脇田を引っ張り、奏音から半歩後ろへ下がらせた。


「……怪我人なんだぞ」

「……っ」

 加藤が脇田の腕を強く掴みながら言うと、彼は加藤を睨みつけ、加藤の手を振り解く。


「何だよ……お前に関係なっ……」

「相楽も相楽さんも別の人間だ。お前の気持ちを満たすために利用なんてするな」

 加藤が険しい顔をしながら諭すと、脇田は悔しそうに歯を食いしばった後、悪態を吐きながら去っていった。


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