第284話 姉弟(後編)
治療を受けていた病院から、自宅に安置されることになった綾。
葬儀は夏城に戻らず、そのまま父方の祖父母の家で親族のみ集まり、しめやかに営まれることとなった。
あまりに急な悲しい出来事。
父も母も、娘を喪ったことを悲しむ暇さえ無く、葬儀の日程決め、準備に追われてせわしなく動き回り、それを手伝う祖父母、叔父夫婦達も小さな子供達に構っていられない。
従兄達は、それぞれ自分の兄弟と一緒に、邪魔にならない場所でひっそりと固まっている。
加藤は、大広間に安置された綾の遺体の前で、抜け殻のように虚ろな表情で座っていた。
「…………」
白い布で顔を隠された姉。
布団を捲り、手に触れれば、自分まで凍ってしまいそうな程冷たくて硬い――。
「ねぇ、ちゃん……?」
これが、本当に姉ちゃんの手なのか?
柔らかくて、温かくて……いつも俺を撫でて、手を繋いでくれた姉ちゃんの手?
信じられなくて、布を取り払ってみるが、そこにあるのはやはり大好きな姉の顔。
しかし、青白く――粘土を塗ったような作り物みたいな色で、加藤がよく知る綾の肌の色ではなかった。
「あのとき……おれが……」
お腹が空いたなんて言わず、我慢していたら?
姉ちゃんに甘えず、勇気を出して一人でエスカレーターに乗れていたら、落ちてきた物に当たらなかったかもしれない……。
「……っ、ねえちゃん……ねえちゃ……っ、うぅ……わぁぁぁぁぁぁぁ~~っ!!!!!」
加藤が両手で頭を抱えて蹲り、大きな声で泣き出すと、そばを通りかかった紗枝が、「タカ……!」と息子を抱き締める。
「ごめんなさい、ごめんなざいっ!おれが……っ、おれのせいで……っ、ねえちゃんっ、ねえちゃんっ……!!」
「違うの、タカ……!タカのせいじゃないから……!」
「……っ、うぁぁぁぁぁぁ~~っ!!!!」
*
その後も、加藤は綾の遺体を見ればパニックを起こし、葬儀の間は別室にいて、血の繋がらない叔母達が交代で加藤に付き添ってくれた。
葬儀が済んだ後も、綾の遺影の写真を見ただけで、過呼吸を起こして泣き喚く孝文の心のダメージは相当大きい物だと察した両親は、息子の前で綾の話をすることを控え、綾を思い出させるものを孝文に感じられないよう、細心の注意を払った。
時が経てば、きっとその苦しみを乗り越えてくれると信じて。
しかし、あれから何年経っても加藤の体は綾の記憶に拒否反応を示し、事故の記憶を思い出した今も、ゴミ箱を抱えて胃液を吐き出していた。
「……っぐ、うっ……っ」
奏音と長く喋り過ぎたせいなのか、頭の中で勝手に再生された過去の映像は、いつもより鮮明で、加藤を苦しめる。
出会ったばかりの頃は、奏音に対して特に何とも思わなかった。
だが、同じクラスにいれば、どうしたって話し声が聞こえ、姿が目に映る。
おっとりした双子の姉の亜梨明に対し、ハキハキとした物言いと、勝気な性格。
厳しさの中にきちんと優しさも持ち合わせていて、誰にでも好かれやすい、人懐こそうな笑い方。
加藤がよく知る姉の姿と奏音は、とても酷似していた。
『――でも……はっきり言っておく。私はあんたのお姉さんじゃない』
わかっている。別の人だ。
雰囲気が似ているだけの他人で、全く関係無い。
『――だけどそれより、私があんたの話を聞いて一番腹立ったのは……お姉さんを『大好き』って言っておきながら、お姉さんの存在ごと忘れようとしてることっ!!』
『可愛がっていた弟に……っ、大好きな弟に思い出したくないって思われるなんて……こんなに、悲しいことはない……っ!』
「――――っ!」
ギュっと目を瞑り、手の血管が切れてしまいそうな程拳を握り締める加藤。
うるさい、自分でもそう思うよ……。
あれだけ俺を愛してくれた人を、俺のせいで死なせて、その上忘れたいだなんて酷すぎるって、自分が一番わかっている。
きっと、家族だって親戚だって、そう思いながらも俺にたくさん気を使って、何も言わないでいてくれるのだと、加藤も頭では理解していた。
けど――。
『タカ……』
「…………!」
ふと、懐かしい声が聞こえた気がして、加藤はハッと顔を上げた。
部屋には自分以外誰もいない。
なのに、辺りにふわふわと何か優しい気配を感じる。
その声はぼんやりしていて、意識を集中しないと聞き取れない程だったが、加藤に全てを語り終えると、周囲に漂う気配と共に消えていった。
気が付けば、加藤はゴミ箱を手にしたまま俯いていて、部屋の中は薄暗くなっていた。
「(寝てた……のか?)」
それとも、気を失っていたのか。
喉元には胃酸で焼けた感覚が残っていて、口の中をすすぎたい気分だ。
照明をつけ、部屋着に着替えると、“その声”が語り掛けた内容の一部を思い出す。
『忘れてもいいよ……私は、あんたのことをずっと忘れないから……』
寂しそうにそう言った声は、恐らく夢――。
しかし加藤は、その声をただの夢なんて思えず、静かに頬を濡らすのだった。
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