第279話 届かぬ手


 月曜日。

 テスト期間が明けたということで、今日から料理サークルの活動が開始される。


 昼休みになると、緑依風の机の周りに亜梨明と星華が集まっていて、今日の活動について話し合おうとしているところだった。


「お、何してんだ?」

 昼食を終え、直希と一組にいる爽太の元へ向かおうとしていた風麻は、緑依風がノートに文字を書きこむのを見て、気になっている。


「料理サークル、今日からだろ?」

「うん、でも今日は話し合いだけ。どんなものを作るかとか、今後の活動についてとか、方向性を決めるの」

 緑依風が説明すると、食いしん坊の風麻は「これ、作った物が余ったりしたら、俺にもちょっとだけもらえたりする……?」と、期待したような目で聞いたので、緑依風は相変わらずと言いたげな表情になりながら、「持って帰れるものはおすそ分けするよ」と告げた。


「二人はいいよね〜、もらってくれる恋人がいてさー」

 風麻と直希が教室を出ていくと、誰かの空いている椅子に勝手に座っている星華が、机に顔を横向きに伏せて羨む。


「爽ちゃん……上手くできたら食べてくれるかなぁ?」

 亜梨明が両手で頬を包みながらポワポワとした顔で言うと、星華はそのままの体勢で「喜んで食べてる姿しか浮かばない」と、悔しそうに言った。


「ところで……奏音がさっきからいないけど?」

 星華はむくりと顔を上げると、一向にこの場にやってこない奏音の姿を探す。


「奏音ならバレー部の用事があるからって、立花と一年の校舎に行ったよ」

 緑依風が伝えると、「そっか。あの二人、今女子バレのキャプテンと副キャプテンだもんね」と、星華が夏の大会後に聞いた情報を思い出す。


「多分、次の土曜日に練習試合があるからその話かも」

 亜梨明が言うと、星華は「運動部は土日も試合あったりして大変だよね~!無理~!」と、かったるそうに姿勢を崩した。


 *


 その頃、波多野先生から頼まれた連絡を一年生部員に伝え終えた奏音は、一緒に来てくれた立花と共に、廊下を歩きながら雑談していたが、今朝から再び湧いて来た加藤への苛立ちで、あまり内容が頭に入っていなかった。


「三年生引退して初めての練習試合だね!頑張らないとー!」

「んー……」

「向こうは同じ二年に170センチの子がいるんだって!うちのチームは高さがあるとはいえないからね!奏音と私でボール拾いまくって、エースの亜美あみに繋ぐか、向こうの自滅を誘うか……」

「んー……」

「……ちょっと、聞いてる?」

「えっ?」

 立花が目の前で手をひらひらさせたところで、奏音はようやく我に返る。


「あ……ごめん。ちょっと考え事しててさ……」

「考え事~?もしかして、緊張してるの?」

「あ~、そうかもしれない……」

 奏音はそう誤魔化しながら、登校したばかりの光景を思い出す。


 昨日色々あった加藤とは、同じクラスだ。


 なので、どうしても教室で顔を合わさなければならないのだが、入り口付近の席に座る彼は、亜梨明の明るい「おはよう!」の挨拶には「おはよう、相楽さん」と感じよく返したくせに、奏音には何も言わず、ふいっと目を逸らして、どこかへと行ってしまった。


 そんな加藤の態度に、前日の失礼極まりない言動が再び彼女の脳裏に蘇り、やっぱり一言謝ってもらわないと気が済まない!と、思っていたのだ。


 だが、授業の合間の十分休憩じゃ時間が短すぎるし、昼休みもキャプテンとしての仕事があったので、すぐには捕まえられず。


 放課後までに強引にでも呼び出し、自分にだけ他とは違う対応をする理由を問い質さなければ。


 奏音がそんなことを思いながら、険しい顔になると、「まぁ、奏音はスタメン初めてだもんね」と、彼女の事情を知らない立花は、両手を頭の後ろに添えながら言った。


「あぁ、うん……。三年の先輩が卒業して、ポジションも空いたからね。――でもまぁ、本当に良かったのかなぁ~?私より亜美の方が、キャプテン合ってたんじゃないの?」

 亜美とは、女子バレー部のエースである栄田亜美のことで、去年は立花と同じ竹田学級。


 今年は、星華と同じ波多野学級になっている女子生徒だ。


「そりゃあ、スパイクの技術だけで言えば亜美だったけど。チーム全体の面倒を見てくれそうなのはやっぱり奏音でしょ。それに、奏音は背はそんなに高くなくても、レシーブ上手いし、私一人で相手の攻撃からコートを守り切るのは無理だよ。だから、頼りにしてる!」

 立花の言った通り、奏音は四月の時点で153センチと、決してバレーボールをする上で恵まれた体格ではない。


 だからこそ、それ以外にチームに貢献できる役割として、レシーブを特に意識して練習していた。


 一年生からリベロとして二、三年の中で戦っていた立花とは比べ物にならないが、顧問の波多野先生は、奏音の頑張りをちゃんと評価していて、公式試合でも守備力強化が必要な場面では、彼女をコートに送り出してくれる。


「うちのチーム……っていうか、バレーはスパイク好きだけどレシーブ嫌いなやつ多いからね~。奏音みたいにレシーブの方が好きっていう人材は貴重だよ~!土曜日がんばろ!キャプテン!!」

 立花に軽く抱き付かれるようにして言われると、友人でチームメイトの励ましに嬉しくなった奏音は、「うん、絶対勝つぞ~!」と、握った拳を天井に向かって突き出す――と。


「あ……」

 二年生の校舎に戻ってきたところで、奏音は加藤の姿を見つける。


 加藤も、こちら側に向かって歩いていたので、奏音の存在に気付き、急に正面ではなく斜め下を向いて、彼女が視界に映らないようにした。


 その動作の意味を理解した奏音のイライラが、再びマグマの如くボコボコと暴れ出し、立花の抱擁を解いて、ズンズンと加藤に向かって足を進める。


「ねぇっ、ちょっと!!」

 奏音が近付いて行くと、加藤はスッと彼女を避けて、無言のまま一年生校舎の方へと早歩きする。


「オイ、コラっ!止まれっ!聞こえてないわけないでしょっ!!」

「…………」

 加藤はそれでも無視を続け、奏音は逃がすかと走り出し、階段の手前で、彼の羽織っているカーディガンを鷲掴んで足止めさせた。


「ねぇっ!昨日からなんなの!?私のこと嫌いにしても失礼すぎないっ!?」

「ちょっ、ちょっ……!どうしたの奏音!?加藤も……」

 二人のあとを追いかけた立花は、今にも相手に掴みかかりそうな奏音と、冷静な加藤の間に入って、ハラハラしながら質問する。


「……嫌われてるってわかってて話しかけるの、やめて欲しい」

 加藤は、面倒くさそうにため息をつき、奏音に引っ張られて不格好になったカーディガンの形を整えながら、低く不機嫌な声で言った。


「なら、嫌われてる理由が知りたい!別に、私だって加藤のことなんか、ただのクラスメイトぐらいにしか思ってないけど、顔合わせる度その態度なのは腹立つし、知らない内にあんたに悪いことしてたってなら、きちんと反省して謝らないと気が済まない!!」

「か、奏音、ちょっと落ち着こう!?ねっ?ここ一年の校舎だし、みんなびっくりしちゃうよ!?」

 立花は後ろを通る一年生を気にしつつ、興奮冷めぬ奏音をそっと宥める。


 加藤は顔は相変わらずの仏頂面――だが、何かを飲み込むように喉を動かすと、「……別に、相楽は何もしてない」と言って、奏音から半歩離れる。


「え?」

「俺がただ、一方的に嫌いなだけ……」

 そう付け足した加藤は、グッと顔をしかめながら背を向け、階段を使って下の階へ下りようとした。


「――あ、まだ話は終わってない!」

 加藤の説明に納得できない奏音は、階段を二段程下り始めた彼を引き留めようと、一歩踏み出して腕を伸ばす。


 ――が、そこへ四階から追いかけっこをして遊んでいる、一年生の男子生徒達の内の一人が、後ろを振り向いたまま階段を駆け下りようとして、奏音にぶつかった。


「きゃ……っ!」

 一つ目の段差に足を乗せようとしていた奏音が、背中の左側に誰かと接触するのを感じた瞬間、不安定な体勢だった彼女の体がふわりと宙に浮き始め、それに気付いた一年男子、立花――そして加藤も、皆ヒュッと息を呑む。


 奏音は、そんな人達の様子を、まるでスローモーションで見ているかのような感覚になりながら、無意識に決して届くはずの無い距離にいる立花に向かって、右手を伸ばす――が、その立花の姿を遮るように、奏音の手を掴もうと手のひらを大きく広げた加藤が視界に映る。


「――っ、……姉ちゃんっ!!」

 そう叫んだ加藤の手は、奏音の指に僅かに触れたが掴めず。


 奏音の体は、そのまま何度も階段の段差を転がり、踊り場まで落ちていった。


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