第278話 ムカつく男子(後編)


「――それは、確かにすごく失礼だね」

 奏音から話を聞き終えた爽太は、お皿の上にある細長いクッキーを手に取りながら言った。


「うん、でも……」

 頷いた亜梨明も、奏音が加藤に受けた仕打ちに驚いているが、どこか信じられないような様子で、隣に座る爽太と目を合わせる。


 二人がそう思うのは、加藤は普段、奏音が今話したような、あからさまな態度で嫌悪感を示したり、人が傷付くようなことをわざと言う人物ではないからだ。


 去年、加藤と同じクラスだった爽太は、グループ分けで加藤と同じ班になったり、風麻や他の男友達と共に会話や遊びを楽しむことがよくあった。


 爽太から見た加藤の印象は、派手さは無くとも同い年の少年らしく、流行りの物に興味があったり、周りの空気に合わせて柔軟に対応できる、感じのいい級友。


 亜梨明も、席替えで近くの席になれば、男女の壁を感じずに話せる子。


 長期間学校を休むと、「もう大丈夫なのか?」と気遣ってくれる、優しい人だというイメージしかない。


「なんか……加藤くんが奏音にそんなことしたなんて意外……」

「でも、ホントのホントに同じクラスの加藤だった!!」

 奏音は、嘘じゃないと訴えるように自分の膝をパンパン叩くと、む~っと口を横に結んで、再び湧き上がってくる苛立ちを耐える。


 亜梨明と爽太が、下を向いて黙ってしまう奏音に、なんて返そうかと目線で相談していると、「……なんかさ」と、奏音はクッキーの隣にあるポテトチップスに手を伸ばし、心の内を語り始めた。


「薄々気付いてたんだけど……私、一年の頃から加藤に嫌われてるんだよね。他の子には普通におしゃべりするのに、私にだけ素っ気ない……というか、目も合わしてくれないし。何か嫌なことでもしたかなって考えたけど……でも、思い当たらないし、元々最小限の会話程度しかしなかったし……。なのに、あそこまでムカつくことをわざわざ言ってくるのは、なんでだろう……」

 イライラとしょんぼりの気持ちごと、手に持ったポテトチップスを食べ、飲み込む奏音は、程よい温度になった紅茶も一気に飲み干し、ぷはーっと息を吐く。


 なんだか、仕事のストレスをビールで発散するサラリーマンのようだと思う爽太の横では、亜梨明が「うーん……」と何度も唸っていた――が、急に何かがひらめき、「これは、もしかして……!」と明るい顔になる。


「わかったよ奏音!」

「ん?」

 奏音と爽太が同時に亜梨明を見る。


「加藤くんが奏音に意地悪なのは、ズバリ!奏音のことが好きだからだよ!!」

「えっ?」

「え……?」

 堂々と、自信たっぷりな表情と声で言う亜梨明。


 だが、奏音も爽太も亜梨明の意見に全く同意できず、キョトン顔で固まってしまった。


「きっと、奏音が好きだから恥ずかしくて目が合わせられなくて、バレちゃったらどうしよう~!って不安だから、あんなこと言ったのかも!」

「えーっ……それは無い。絶対……」

 奏音が手を横に振って言うと、「無くはないよね!爽ちゃん!?」と、亜梨明は目をキラキラさせて爽太に聞いた。


「えっとぉ……まぁ、無くはないけど……。――でも、好きな女の子にそこまで失礼な態度とる人、今時いないんじゃないかなぁ〜?」

 爽太は困った顔で、やんわりと亜梨明の考えを否定するが、「もしかしたら、加藤くんは古風な子なのかもしれないし!」と、亜梨明はまだ、期待した眼差しでそう言い張る。


「ほら、映画でもあったでしょ!お前んち、おばけ屋敷ー!ってやつ!!あの子みたいに!」

「うん……。けど、加藤は普段全くそんなタイプじゃないし、可能性はすごく低いかも……」

 爽太が苦笑いしながら言うと、亜梨明はようやく諦め、「そっか~……」と残念そうにポテチをパリパリ食べた。


「(日下も苦労してそうだなぁ~……)」

 ――と、奏音は天然な姉と、突拍子もない発言に振り回される爽太を眺めながら思うと、いつの間にか苛立ちが静まっていることに気付き、「まぁ、いいや……」と立ち上がる。


「なんか、話聞いてもらったら落ち着いたかも……」

 奏音が言うと、亜梨明は「よかった~」とにっこり笑い、爽太も「お役に立てて何より」と、奏音の気持ちが穏やかになれて安心したようだった。


「お邪魔しました~。……あとは、二人でごゆっくり」

 奏音は自分のマグカップを持って、部屋に戻ると、放り投げて床に落ちたままになっている物を拾い、元の場所に戻す。


「つい、勢いで物投げちゃったけど、無傷でよかった~……」

 まだ、築年数二年程度しか経過していないというのに、穴でもあけてしまったら怒られるどころじゃないと、奏音がホッと胸を撫で下ろすと、壁の向こうからは亜梨明と爽太の楽しそうな話し声や笑い声が聞こえてくる。


「…………」

 嬉しいような、寂しいような――相反する気持ちが、奏音の胸を締め付けていく。


 去年のバレンタインから五月まで、亜梨明は泣いてばかりだった。


 その姉が、今こうして大好きな爽太と想いを通じ合わせ、幸せな日々を過ごせることを、奏音はもちろん祝福してる。


 しかし、亜梨明と爽太の中が深まるごとに、だんだん今までには無い感情も生まれてくる。


 日下に亜梨明をとられた。


 ――とまでは、思っていないが、時々疎外感や喪失感に苛まれるのだ。


 亜梨明を支えるのは、双子の妹の自分の役目だと思っていた。

 だが、爽太がいる今は――?


 高校も、その先の亜梨明の人生にも彼がそばにいてくれるなら、自分は……?


 そう思う気持ちが、日に日に強くなっていく。


「……私、亜梨明と同じ学校に行く意味、あるのかな……?」


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