第277話 ムカつく男子(前編)


 同じく、十月二十五日、日曜日――の午後。


 キャメル色のロングパーカーの上に、薄い上着を羽織った奏音は、参考書選びに夏城町内にある、小さな本屋を訪れていた。


「(テスト……思ったより難しかったなぁ……)」

 奏音も、緑依風や亜梨明同様、進路について悩み始めている。


 テスト前の土曜日は、久しぶりに亜梨明も入れた六人で勉強会をし、自分なりにしっかりテスト対策をして、試験に臨んだつもりだった。


 ところが、いざ問題用紙が配られれば、わからない問題、思い出せない問題が多く、空欄のまま提出したテストも出てしまった。


「爽ちゃんね……春ヶ﨑高校っていう、難しい学校に行くつもりなんだって……」

 姉妹で進路の話をしている時、亜梨明がそうこぼした。


 爽太が春ヶ崎高校を志望しているなら、亜梨明もきっと、何が何でも同じ学校を目指すであろう。


 そう思った奏音は、勉強が苦手な自分達でもわかりやすい参考書がないかと、棚に並べられている本を次々手に取る。


 高校も、亜梨明と同じ学校に行きたい――。


 小学生時代は、たった一年――いや、亜梨明の入院期間が長かったため、一年も一緒にいられなかった。


 中学生になってようやく、姉妹揃って同じ学校に通うことができた。


 でもそれも、もうあと一年半しかない……。


 中学校の三年間は早いなと、二年生の二学期を半分過ぎて、奏音は実感した。


 今から真剣に考えなければ、奏音も亜梨明も爽太と同じ高校なんて、とても通えるはずがないし、もしかしたら――自分だけが合格できずという可能性だってある。


「(そんなのいや……っ)」

 せめて、高校までは亜梨明と一緒に。


 参考書を持つ奏音の手に、キュッと力が込められる。


 奏音は、もっといい本は無いかと、今手元にある本を戻し、その隣の本を取って、ページを開く。


 すると、トンッ……と、背中に何かがぶつかった感覚がした。


 小さな本屋のため、当然通路も狭く、立ち読みで道を塞いでしまっていることを謝ろうと奏音が振り返ると、背後にいたのは去年から同じクラスの男子生徒、加藤孝文かとうたかふみだった。


「あ、加藤……」

 見知った顔を見て、奏音がそうこぼすと、加藤も「相楽……」と、クラスメイトの名を渋面しぶつらで言う。


「あ、ごめんね!道塞いじゃってて……」

 奏音は慌てて謝り、加藤が通れるよう、棚に体をくっつけるように詰めて道を開けた。


 ――が、加藤は詫びる彼女を気遣うどころか、「そう思うなら、立ち読みなんて最初からやめれば?」と、辛辣な返事をし、更には奏音とぶつかった箇所をパッパッと、手で払う。


「なっ……!」

 言葉にも腹が立ったが、まるで汚れ物にでも触れたかのような加藤の動作を目にし、奏音の体が怒りに熱を帯びる。


「なによっ、謝ったじゃないっ!!」

 奏音はそう叫び、逆ギレするが、加藤はそんな彼女の声など聞こえていないかのように無視して本屋を出た。


「……っ!!」

 本を棚に戻した奏音は、店を後にした加藤を急いで追いかけた。


「ちょっと……っ!!」

 後ろで奏音の喚く声がしても、加藤は振り返るどころか一声も発さず、スタスタと歩き続ける。


 音楽を聴くイヤホンをしているわけでもないのにシカトを続ける彼の態度に、奏音はますます腹を立てていき、「ねぇっ、待ちなさいよっ!!」と加藤の腕を掴んだ。


「ねえっ!さっきのは確かに私が悪いけど、“アレ”はいくら何でも失礼すぎない!?超ムカつくっ!!」

 奏音が抗議すると、加藤は鬱陶しそうに舌打ちし、彼女の手を振り払う。


「ムカつくなら俺に話しかけるな……」

「…………!」

 カッと見開いた目を、みるみる充血させていく奏音。


 ――だが、加藤はそんな彼女の様子を見ても表情を一切変えず、背を向けて立ち去っていった。


「~~~~っ!!」

 奏音は、ボコボコと湧き上がって来る憤りを喉奥で鳴らし、悔しそうに歯を食いしばって、加藤の後ろ姿を睨み付けた。


 *


 相楽家では、亜梨明と爽太が、退院後から毎週恒例になっているおうちデート――もとい、勉強会を行っており、現在は数学の勉強で、亜梨明が院内学級で習っても理解しきれずにいたものを復習しているところだった。


「爽ちゃん、これで合ってる?」

 爽太が考えた問題を解き終えた亜梨明が、彼にノートを見せる。


「うーんと……うん、これとこれは正解。あ、こっちは惜しかったかな。でも、一個だけだし、だいぶ覚えてきたね!」

 赤ペンで丸付けをした爽太は、間違った部分を指で示し、亜梨明にもう一度落ち着いて解くように言って、ノートを返す。


 結局、ただの計算ミスだったので、すぐに正しく解くことができたが、亜梨明は「あ~……こんなちっちゃな間違いで、受験は左右されちゃうんだよね……」と、しょんぼりしながらテーブルに突っ伏した。


「大丈夫だよ。本番にミスを減らしたり、しないための勉強だもの。数学なら得意だから、いくらでも付き合うよ」

「うん、ありがとう爽ちゃん……」

 亜梨明が顔を上げてお礼を言うと、「そろそろ三時になるし、キリもいいからおやつ休憩にしない?」と、爽太がスマホで時間を確認しながら言った。


「そうだね。私、下でおやつと、お父さんに紅茶淹れてもら――っ?」

 ――と、亜梨明が立ち上がったところで、バタンっ!と家のドアが乱暴に開閉される音が聞こえる。


 そして、そのまま強い足取りで階段を上がって来る音、玄関同様に、荒々しく扉を開け閉めされた奏音の部屋から、ダァン――ッ!と、亜梨明の部屋の壁側に向かって、何かが投げられる音が響く。


「ムッカつく~~~~っ!!!!」

 大きな音がするたび、亜梨明と爽太は何度も肩をビクつかせ、奏音の部屋側に振り向くが、今度は苛立った彼女の絶叫が聞こえて、様子を見に行く。


「どうしたの奏音……何かあった?」

 亜梨明がそっとドアを開けてみると、「どうしたもこうしたもない……っ!!」と、奏音は地団駄を踏みながら言った。


「よかったら、話聞くから……一緒におやつでも食べない?」

 フーッ、フーッと、威嚇する猫のような息遣いで体を震わせている奏音に、爽太が少々怖気づきながら聞くと、彼女はコクっと首を縦に振って、怒りのあまりに滲み出ていた涙を拭いた。


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