第276話 最悪の誕生日(後編)


 ケーキを食べ終えると、緑依風は「はい」と風麻にプレゼントを渡した。


「おっ、キーホルダーか!かっこいいな!」

「でしょ?」

 風麻が好きな赤色のレザーに、リングが付いたタイプのキーホルダー。


 アルファベッドの文字の刻印も入っていて、大人が使ってもオシャレなデザイン。


 中学を卒業した後も長く使ってもらえるようにと、緑依風はこれを選んだのだ。


「風麻が今、家の鍵に使ってるプチモンのキーホルダー、けっこう古くなってたから」

「確かに、家の鍵くらいにしか使わないしって、ボロくなってもそのまま使ってたな……ふわぁ~っ」

 言いかけてる途中で、あくびを堪えきれなかった風麻が、眠そうに目を擦る。


「どうしたの?疲れ?寝不足?」

 緑依風が空っぽになったケーキ箱を片付けながら聞くと、「どっちもだな……」と風麻は言った。


「昨日まではテストだったし、夜はちょっと考え事しててな……」

「考え事?」

「ま、まぁ……大した事じゃないんだけど……」

 ――と言った風麻は、急に緊張した面持ちで、ベッドの枕元に手を伸ばし、何かを探し始める。


「あれ……?昨日、多分ここに……」

「…………?」

 緑依風は、少し慌てだす風麻を不思議に思いながら、「そういえば」と、先程見つけた小さな箱を指差した。


「あの箱、おばさんからのプレゼント?可愛いね!」

 そう緑依風が聞いた瞬間、風麻は「っ、だあぁぁぁぁぁ~~ッ!!!!」と大声を上げてその箱を拾い上げる。


「な、なにっ!!?」

 突然、床の上を滑るような動きで、勢いよく箱に手を伸ばす風麻の動きに、緑依風もびっくりして叫ぶ。


「さ、さいあくだ……」

「へっ?」

「最悪の誕生日だ……」

 風麻は箱を手にしたままベットに顔を突っ伏し、「俺、カッコわるすぎ……」と項垂れる。


「昨日、せっかく色々シミュレーションしたのに……」

 ぶつぶつと、顔面をマットレスにくっつけたまま、何かを呟き続ける風麻に、「なんか、よくわからないけど……私から見てると風麻はかっこいいよ?」と、緑依風は彼の背に向かってフォローを入れた。


 それを聞き、ようやくゆっくり顔を上げた風麻の表情は、正直かっこよくはなかったが、計画通りにできずにしょんぼりする風麻も、可愛くて好きだなと緑依風は思う。


「……本当は、もっとカッコよく渡すつもりだったけど」

 風麻はそう言いながら、箱を持った手を緑依風に伸ばす。


「あのさ……これ、俺からお前に……」

「え?」

 緑依風が箱を受け取ると、「開けてみてくれ」と風麻が顔を赤らめながら言う。


「最初に言っておくけど、安もんだぞ……」

「?」

 落ち着かない様子で、首筋に触れながら反応を伺う風麻を上目で見ながら、緑依風はリボンを解き、箱を開ける――。


「えっ――?」

 箱の中には、銀色の指輪が入っていた。


「えっ、えっ、えっ――!?ど、どどどっ、どうしたのこれっ!!?」

 緑依風が口をはくはくと動かしながら聞くと、「どうしたのって……ペアリング……」と、風麻が口ごもりながら答えた。


「ペア、リング……?」

「……この間、海生先輩達見た時に、あの二人がペアリング持ってる話を思い出してさ。海斗先輩に、近場で俺らみたいな中学生でも買える値段の店あるかって、聞いたんだよ。せっかく俺達も恋人同士になったわけだし……そのっ、お揃いの物……欲しくて……」

「へ……?」

 風麻は机の引き出しから、同じデザインの指輪を取り出し、緑依風に見せた。


「……っ、ホントはさ!もっとカッコつけた状態で渡したかったんだよ!めちゃめちゃ考えたけど、でも全然っいいセリフが浮かばなくて!そしたら……いつの間にか寝てるし、お前に見つかるし……俺って!俺って……カッコわるすぎる……」

 片手で顔を押さえながら、背を丸めて小さくなってしまう風麻。


 緑依風は、「ふふっ……」と笑うと、「じゃあ、これつけてよ!」と風麻に指輪を差し出した。


「……ん?」

「これ、風麻につけてもらっていい?」

 風麻が緑依風の目を見ると、彼女は目をほのかに潤ませて、優しく微笑んでいた。


「あぁ……」

 風麻が緑依風から指輪を取り、彼女の左手に触れると、「あ……そっちは、本番用!」と緑依風が言った。


「ペアリングは、右だって海生が言ってた」

「そ、そうなのか……」

「ん……」

「指は……」

「うん、合ってる……」

 風麻の手も、緑依風の手も、緊張で震えている。


 指輪が緑依風の薬指に通されると、「無理にかっこつけなくていいよ」と、緑依風が口を開いた。


「下手にかっこつけすぎなくても……私は、風麻が一生懸命考えてくれたことが嬉しいの……」

「うん……」

 キュッ――と、緑依風の指に指輪がしっかりとはめられると、厳かだが優しい空気が、二人の間に流れた。


「サイズ……どうだ?キツくないか?」

「うん、ぴったり」

 緑依風はそう言って、とても幸せそうに指輪を見つめた。


「ねぇ、私もそれ風麻につけていい?」

「お、おれっ!?俺はいいって……恥ずかしいし、これ自分で買ったんだからさ!」

「いいから貸して?」

「…………」

 風麻が自分の指輪を渡すと、緑依風は彼の骨張った右手の薬指にそっと触れる。


「……私、来年も再来年も……ずっとずっと、風麻の誕生日ケーキ作るからね」

 緑依風がそう誓いながら指輪をはめると、風麻は左手で緑依風をグイッと抱き寄せた。


 そして、そのままどちらともなくキスをすると、緑依風の長いまつ毛が涙に濡れていて、風麻の目も、赤く充血して揺らめいていた。


「……なんで泣きそうなの?」

 緑依風がふっと息を漏らすように笑うと、「泣いてねぇし、そっちこそ……!」と、風麻は服の袖で目を擦って、もう一度緑依風を抱き締めた。


 *


 しばらくして、家に帰ろうとする緑依風を玄関まで見送るため、風麻が彼女と共に階段を下りると、目の前を通りがかった伊織が「あら、もう帰るの?」と緑依風に言った。


「あ、はい……!お母さん今日仕事で、お昼ご飯作らなきゃなので!」

「そう……。毎年風麻のお祝いありがとうね!」

「あ、あはは……いえ、そのっ……」

 緑依風が来た当初の伊織の言葉を思い出して、少し声を裏返しながら前に出した手を横に振ると、「あら……」と、伊織が緑依風の指元に注目する。


「よかった。風麻、指輪はちゃんと渡せたのね?」

「はっ!?」

 母にそう言われた瞬間、風麻がビクッと体を跳ねさせ、激しく動揺する。


「なっ……、ななななんで、母さん知ってんだよ!!?」

 一瞬、風麻がうっかり交際していることを公言してしまったのかと思った緑依風だったが、どうやらそうではないようで、彼は慌てふためきながら母に問い質す。


「この間、風麻が指輪買ってるとこを父さんが見て、昨日遅くまであんたが緑依風ちゃんに渡す練習をしている声が聞こえたからよ」

「…………」

 風麻が、ギギギ……とネジの切れた人形のように首を動かし、後ろを振り返ると、父親の和麻がリビングのドアの向こうから手だけを出して、サムズアップしていた。


「い……一生忘れられない誕生日だ……」

 風麻はそう言って床に崩れ落ち、緑依風も真っ赤になりながら、両手で顔を押さえた。


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