第275話 最悪の誕生日(前編)


 緑依風と別れ、家の中へと入った風麻は、「ただいま!」と言ってすぐ自室に籠り、スマホを取り出す。


 そして、緑色のアプリをタップし、去年の冬に連絡を交換してからまだ一度もやり取りしていない、先輩――海斗の名前が書かれたトークルームを開き、電話を掛けた。


「――あ、先輩……試験前にスミマセン。今大丈夫っすか……?あ、いえ……ちょっと相談っていうか、聞きたいことが……」


 *


 翌週の日曜日――十月二十五日。


 テストは金曜日に終了し、今日は、風麻の十四歳の誕生日だ。


 緑依風は毎年恒例の、彼のためだけに作ったバースデーケーキと、別で用意した誕生日プレゼントを持って、坂下家のインターホンを押した。


「こんにちは、緑依風ちゃん」

「こ、こんにちは!」

 ドアを開けたのは、風麻の母、伊織だった。


 物心ついたばかりの頃からよく知っている、お隣のおばさん。


 幼い頃は、母の葉子が忙しい日に、緑依風や妹達を預かって面倒を見てくれたし、今も遊びに行くたびに優しく可愛がってくれる、緑依風にとって、もう一人の母のような存在。


 普段なら、挨拶くらいで緊張なんてしないのに、風麻と付き合いだしてからというもの、庭先などでその姿を見ると、心臓が飛び出しそうなくらいドキドキしてしまう。


「……どうかした?」

 固まったまま、門を開けずにいる緑依風を不思議に思い、伊織が首を傾げる。


「あっ、いえ!お邪魔しますね!」

 緑依風がハッとして、門扉を開けて伊織のそばまで行くと、伊織はニコニコとしながら緑依風を家の中へと通す。


「今年も風麻にプレゼント持ってきてくれたの?」

「あ、はい……。風麻は、部屋ですか?」

「さっき起こしたんだけど……リビングにいないってことは、多分二度寝してるわね」

 もう時刻は午前十一時前だというのに、風麻は朝ご飯も食べずに寝坊しているらしい。


「悪いけど、プレゼント渡すついでだし、起こしてもらっていい?」

 伊織がため息混じりにお願いすると、緑依風は快く返事をして、階段を上ろうとする。


「あ、そうだわ緑依風ちゃん!」

「はい……?」

 緑依風が階段を二段上ったところで、伊織が引き留める。


「…………」

「…………?」

 いつもより、なんだか嬉しそうな眼差しで緑依風を見つめる伊織。


「ふつつかな息子だけど、どうかこれからも風麻をよろしくね!」

 そう言って、伊織はにっこりと笑顔を緑依風に向けて、風麻を託すような言葉を掛ける。


「お、おばさんっ!!」

 皆まで言われなくとも、それがどういう意味か察した緑依風は、真っ赤な顔で狼狽えるが、伊織はクスクスと笑って、リビングへと戻っていった。


 *


 羞恥心のあまり、じんわりと額に汗をかきながら階段を上っていく緑依風。


「(いつかはバレると思ってたけど……やっぱ恥ずかしい……っ!)」


 風麻を好きだということも、彼と交際を始めたことも、まだ当分彼の家族には隠しておきたいと思っていた。


 今までは、風麻を好きでいることがバレたら、坂下夫妻にとって息子の友人、彼の弟達にとっての姉貴分として、接しづらくなるから。


 そして現在は、『彼女』という肩書きを持った状態で、顔を合わせるのが単純に恥ずかしい。


 だから、しばらくはこれまで通り、『風麻の友人』『隣の松山家の子』としていようとしていたのに……。


 ちなみに、緑依風は気付いていないが、彼女が小さい頃から風麻のことが好きだというのは、坂下家全員が知っていたので、その努力はあまり意味が無かった。


 風麻の部屋の前までやってきた緑依風は、ドアをノックして声を掛ける――が、返事は無く、伊織の言う通り、彼は再び夢の中へと戻っていったのだろう。


「入るよ~……」

 緑依風がそーっとドアを開け、室内を見ると、ベッドの上にいる風麻は寝巻きのスウェット姿で、羽毛ぶとんを丸めて、それを抱き締めながらぐぅぐぅと眠っていた。


「部屋、相変わらずだなぁ……」

 物が散乱し、床に座るスペースが無い。


 緑依風が小さくため息をつきながら、床に落ちている週刊漫画や、前日に着ていたと思われる脱ぎっぱなしの制服のシャツを避けていると、彼が寝ているベッドの下に、可愛くラッピングされた、小さな箱が落ちている。


「おばさんにプレゼントもらったのかな?」

 白い箱に、パールピンクのリボンが結ばれたそれを緑依風が眺めていると、風麻は大きな寝息を立てながら寝返りを打っていた。


「ちょっと~……もうお昼になっちゃうよ?」

 風麻はいつも朝に弱く、小学生の頃はよく待ち合わせ時間に遅れていた。


 中学生になってからは、時間通りに出てくるようになったものの、休みの日は部活がない限り、昼前まで寝ていることが多い。


「風麻〜っ、せっかく作ったケーキ食べちゃうよ〜!」

 ――と、緑依風が風麻の耳元で言うと、彼は「ん〜……?」とぼやけた声で言いながら目を開ける。


「……ん?……っ、おわっ!?」

 視界に映る姿が緑依風と認識した瞬間、風麻は驚きながら声を上げ、一気に頭を覚醒させた。


「あはっ、起きたね!お誕生日おめでとう風麻!」

 緑依風がにぱっとした笑顔で祝うと、「お……おぅ、ありがとな」と風麻は頭を掻きながらお礼を言った。


「バースデーケーキとプレゼント、持ってきたよ!」

「ケーキっ!!」

 風麻が緑依風からケーキの箱を受け取り、蓋を開けると、中には彼が大好きなチョコレートケーキが入っていた。


「おおーっ!すっげー!」

 中身を見た瞬間、感動のあまりキラキラ顔で叫ぶ風麻。


 今年のケーキのデザインは、去年よりも大人っぽさにこだわり、表面をツヤツヤのチョコレートでコーティングし、白とチョコレートの二種類のクリーム、銀色のアラザン、ホワイトチョコで作った花とマカロンで飾りつけをしたものだ。


「はぁ~っ、うまそ~っ……!今年もこれ、すごく楽しみにしてたんだよ!」

「あはっ、それはよかった!」

「よし!俺、フォーク取ってくる!今年も一緒に食おうぜ!」

 そう言って、ケーキを一旦緑依風に返し、ベッドから飛び跳ねるように降りた風麻は、ダッダッダッ――と足音を鳴らしながら走って、下の階へフォークを取りに行った。


 *


 しばらくすると、二人分のフォークと飲み物が乗ったトレーを持った風麻が、半分程締まっていたドアを足で開けながら入ってきた。


「おーい、飲み物カフェオレでいいか?」

「うん、ありがと」

 熱々のカフェオレが入ったマグカップを受け取った緑依風は、「では、いただきます」と、両手を合わせた風麻が手にしたフォークの動きをじっと観察する。


 フォークがスッとケーキに刺さり、少し大きめに切ったそれを、風麻が大きな口を開けて頬張る――。


「んん~っ!!!!」

 ケーキを口に含んだ瞬間、風麻の目がカッと開き、たちまち笑顔になっていく。


「……どう?」

「んまいっ!」

 緑依風に味の感想を聞かれた風麻は、親指を上に突き立てて言った。


「これ、ムースのやつすごっ!えっ、何重になってるんだ!?この緑色のって、もしかしてピスタチオ?上のマカロンも……あ~っ、中のクリームバニラのやつ!俺、これ大好き~っ!」

 風麻は、一口かじったマカロンの半分を、パクッと口の中に全て納め終えると、今度は『HAPPY BIRTHDAY』のチョコプレート、ムース、またマカロン――と、夢中になりながら緑依風の作ったケーキを食べていく。


 去年と比べ、声も顔立ちも体つきも随分大人に近づいた風麻。


 それなのに、大好物を目の前にした時の表情は、幼い頃と変わらない。


 緑依風は、そんな風麻に愛おしい気持ちでいっぱいになりながら、彼と一緒にケーキを食べた。


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