第272話 副キャプテンの警告(後編)


 風麻がトイレから戻ってきたことで、緑依風、風麻、亜梨明、爽太は体育館へ。


 奏音は星華と、一組の生徒で女子バレー部所属の友達を含めた三人で帰ることになった。


「――そっか、今度から相楽姉も爽太のこと待つんだな」

 先程その場にいなかった風麻が、緑依風達から話を聞いて言った。


「でも今思うと、緑依風ちゃんは坂下くんとお隣同士だからいいけど、私と爽ちゃんは家が離れてるし、部活で疲れてるのに送ってもらうのは、返って爽ちゃんに迷惑だったね……」

 後になってそのことに気が付いた亜梨明は、申し訳なさそうに肩を落とした。


「別にそれは気にしなくていいよ。僕も、亜梨明と二人きりで一緒にいる時間をもっと増やせないかと思ってたし、嬉しい!」

「爽ちゃん~~っ!!」

 亜梨明が感激して両手を組むと、爽太はそんな彼女の姿を見て「ははっ」と笑った。


 四人が階段を下り、体育館へ続く廊下を通ろうとすると、前方から三年生で、緑依風の従姉である海生が、「あら」と言って手を振り、歩いてくる。


 隣には、彼女の恋人の城田海斗の姿もあった。


「あ、海生、海斗先輩も。今帰り?」

 緑依風が話しかけると、「うん。これからうちで、海斗とお勉強なのよ~」と海生が言った。


「そういえば、志望校の話は決まったの?」

「えぇ、なんとかね~」

「どこにしたの?」

四季ヶ原しきがはら高校だよ」

 海斗が海生の代わりにそう答えた。


「そっか……四季ヶ原か」

 緑依風が呟くと、「ここが、私達のちょうど真ん中なの~」と、海生が言った。


「お互いが無理も妥協もし過ぎない。海生に言われて、俺も目が覚めた……。海生と同じ高校に行ければどこでもいいって思ってたけど、それはどっちのためにもならないからね」

「でもまぁ……まだまだ私の成績じゃ厳しくて、担任の先生には驚かれちゃったけど~」

 海生が参った顔で弱く微笑むと、「大丈夫!着実にわかるようになって来てるし、この間の模擬試験も、E判定からDに上がったし!」と、海斗は励ますが、緑依風や後輩一同は本当に大丈夫なのか?と、先輩の行く末を案じてしまう。


 *


 海生達と別れ、体育館に訪れた一行。


 風麻と爽太は練習着に着替えるため、更衣室へ。

 緑依風と亜梨明は、二階席に上がって、椅子に座って話を始める。


「へぇ~。海生先輩達、そんなことがあったんだ~」

 緑依風から、夏休みに海生と海斗が進路について口論になったことを聞いた亜梨明が、意外そうな面持ちで言った。


「うん。でもその後、ゆっくり話し合いを続けて、ようやく決まったみたい」

「はぁ……私達もそろそろ、受験とか考えなきゃいけなくなってきたよね~」

 亜梨明は天井を見上げながらそう言うと、「緑依風ちゃんは確か、もう行きたいとこ決まってるよね?」と聞いた。


「一年の時に言ってた、春ヶ﨑高校?だっけ?」

 亜梨明は、一年の四月に緑依風と爽太が話していた学校名をおぼろげに思い出す。


「うーん……行きたいわけじゃないんだけど、母親がそこに行けるように勉強しろってずっと言ってて……。パティシエールの修行の一環としてやってるお店の手伝いも、春ヶ﨑高校を目指す代わりに許してもらってるようなものだから……そこ以外も探してみたいって言うと、多分怒られちゃうかなって思ってさ……」

「そうだったんだ……」

「亜梨明ちゃんは、どこか行きたいとこある?」

 緑依風が聞くと、亜梨明は下の階で、風麻と共にネットを張る爽太に視線を移した。


「私は……できれば、爽ちゃんと同じとこに行きたい。でも、私は爽ちゃん程頭も良くないし、今は休んで授業が遅れた分を取り戻すのが精一杯……。内申点だって、欠席日数も多ければ、部活もしてないし、難しいかなって思ってて……」


 爽太は、医学部のある大学に進学することをすでに考えており、県内でも難関大学への進学率が高い春ヶ崎高校を目指していた。


 しかし、亜梨明はただ漠然と、『爽太と同じ学校に通いたい』という気持ちのみで、将来何がしたいのかなんて、全く浮かばない。


 つい数か月前まで、生きることすら危ぶまれる状況で、ようやく人並みに明日のこと――その先のことを心配せずによくなったばかりなのだ。


 病気治療が終われば、次に待ち受けていたのは、休学中に遅れてしまった授業を、今の授業と並行して勉強しなければならないということ。


 おうちデートと称して、爽太が勉強を教えに来てくれているのは嬉しいが、今はこれ以上の学力向上、進学目的を考える心の余裕が無い。


「……でも、だからといって、爽ちゃんに志望校を変えて欲しいとは思わない。海生先輩達のことは羨ましいし、それはそれで素敵だとは思うけど――爽ちゃんの夢が遠ざかる道は、選んで欲しくないな……」

「…………」

 緑依風も本当は、風麻と同じ高校に行きたい。


 母の葉子は、緑依風に名の知れた有名大学に進学し、大企業に就職することを望んでいるが、緑依風自身は四年制大学よりも、製菓の専門学校に通って勉強したいと思っている。


 それならば、勉強が苦手な彼と今の自分の中間レベルの高校でも、然程将来に問題は無いだろうし、行きたい理由も無い学校に三年間嫌々通うよりも、大好きな人と充実した高校生活を送りたい。


 だが、母の望むことに反発する度胸が自分にあるとも、緑依風は思えない。


 最近の葉子は、緑依風を進学塾に通わせることも検討しているらしく、机の上にパンフレットやチラシを置いて、無言の圧力をかけてくるようになった。


 いずれは直接言われる日が来るのではないかと思うと、胸が詰まりそうになる。


 *


 緑依風と亜梨明がそれぞれ進路について思い悩んでいるうちに、男子バレー部の活動は開始され、今はサーブ練習に励んでいた。


 二年生になった今、風麻は威力重視のジャンプサーブを。

 爽太は、確実に狙った場所へボールを運べるよう、床に足をつけたままのフローターサーブで練習している。


 そんな彼らから少し離れた場所では、一年生部員の那須と下野しものが、練習そっちのけで対面の二階席を見上げていた。


「今日もいるな~、松山先輩」

 下野が言うと、那須は「せっかくなら、坂下先輩待ってる間にマネージャーしてくれりゃいいのにな~……」と、ポワンとした顔で言う。


「まぁな~……」

「美人マネージャーがいれば、ますます練習頑張れるのに……。あ~、年上女子にお世話されたい!大人っぽいお姉さんに甘やかされたい!「頑張ったね!」って褒められたい!」

 ジャージ姿になった、憧れの松山先輩に微笑みかけられるシーンを想像した那須は、胸のときめきと同時に、手に持っていたボールをぎゅうっと抱き締める。


「俺はどっちかというと、美人より可愛い派だな!」

 下野が自分の好みを口にすると、「じゃあ、あっち?」と那須が亜梨明に視線を移す。


「隣にいるたまーに来るあの先輩。お人形みたいにきゅるんってした顔してるじゃん。確か女子バレのキャプテンの双子だった気がするけど……」

「あ~、でも俺年上はパス。付き合うなら同い年がいい」

 亜梨明を見た下野は、手をパタパタと振りながら拒否する。


「へぇ~、それは知らんかった。……あ~あ、そこで座って喋ってるんなら、二人でマネージャーやってくれよ~。せっかくだし、部活終わったらお姉様達勧誘してみるか!」

「いや~、松山先輩はテキパキ仕事できそうだけど、あの髪長の人は無理じゃね?ここからでもわかる……トロそうというか、ドンくさそうというか……転がったボールを追いかけてるうちに、自分まで転んでそうなタイプにみえ……」

 ――と、下野が言いかけてる最中に、何者かが彼の肩をチョンチョンとつつく。


「二人とも」

「…………?」

 那須と下野が声に反応して振り向くと、副キャプテンの爽太がにっこりした顔で立っていた。


「私語が大きすぎて、キャプテンが怒ってるよ」

「――――!!」

 そう言って、爽太が斜め後ろを指差すと、鬼の形相となったキャプテンの風麻が、怒りに肩を震わせて那須と下野を睨み付けている。


「お前ら……!おしゃべりがしたいならコートから出てけ!ボール拾いだけしてろっ!!」

 風麻がドスの効いた声で叱りつけると、二人は「す……っ、すみませんっ!!」と謝り、手に持ったままだったボールを反対側コートに向かって打った。


「なんだよぉ~っ……いつもの坂下先輩なら、もう少し軽めに言って見逃してくれるじゃん……!」

 普段は気さくで、多少のおしゃべり程度なら笑って許してくれるはずの先輩が、どうしてこんなに不機嫌なのかと、那須は対面から放たれて落ちたボールを拾いながら、下野と目を合わせる――が、下野がそれに返事をしようとした時、「今、風麻と松山さん付き合ってるからね~」という声が、二人の背後から大きな影と共に聞こえてくる。


「松山さんに気のあるようなこと話してると、不機嫌になるよ?」

「く、日下先輩……」

 笑顔なのに、どこか冷たい声の副キャプテンの様子に、那須と下野は得体のしれない恐怖を感じ、背筋を凍らせた。


「――そうだ、下野」

「はい……?」

 ボールを拾った爽太が、振り返った後輩を見て、ますます顔をにっこりさせる。


「例え本人に聞こえない距離でも、自分達以外の人間がたくさんいる場所で、人の悪口は言わない方がいいよ。もしその場に、悪口を言われた人の友達や……彼氏でもいたら……なんて、考えたことない?」

「…………!!」

 噂には聞いていた、『日下先輩の彼女』の存在。


 春頃にその話を聞いても、当時は入部したてで先輩同士の会話に入りづらかったし、しばらく経っても、それらしき人を爽太のそばで見かけなかった一年生の二人は、亜梨明をてっきり、ただ友人の緑依風に付き添ってるだけかと思っていた。


 だが今、その正体を知ってみるみる顔を青ざめさせる。


「……僕ね、いつもはサーブ練、コントロール重視なんだけど、せっかくだし今日は威力を上げる練習しようかなって思うんだ。当然、ノーコンになる可能性もあるけど、練習だから仕方ないよね……」

 爽太はそう言うと、下野の肩にポンっと手を置き、耳元に口を近付ける。


「……顔面と後頭部、気を付けて」

「……ッ!」


 普段穏やかで優しい人程、怒ると怖い。


 そう学んだ下野と、そばにいた那須は、もう二度と練習中に無駄話はしないと心に誓った。


「……あの二人に何言ったんだ?」

 風麻が、顔を引きつらせたまま、黙々とサーブ練習に取り組む那須と下野を見て、不思議そうに爽太に尋ねる。


「別に?……ただ、練習に集中しようねって、言っただけだよ」

 爽太はニコニコと笑顔を絶やさぬまま、普段よりほんの少し強めのサーブを打った。


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