第270話 束縛?
秋の朝の空気を吸い込みながら、緑依風と風麻はいつもの道を、いつもと違う様子で歩いている。
重なり合うその手は、緊張と上昇する体温のせいで、ちょっぴり汗が滲むけど、互いにそれを不快だと思うことは無く、嬉しいと気恥ずかしいが同じ分だけ膨らんでいた。
この道は、緑依風と風麻が中学に入る前からずっと並んで歩いていた道だ。
手を繋いで歩いたことは初めてじゃないけど、繋ぎ方も繋いでいる最中の気持ちも、今と昔とではずいぶん変わっている。
最後に繋いで歩いた幼稚園時代は、緑依風の方が風麻より少しだけ大きな手をしていて、彼の手は小さくプニプニと柔らかい、可愛らしいものだった。
なのに、今は――。
「風麻の手……本当に大きくなったね」
夏に腕相撲をした時にも感じたが、大きいだけじゃなく、指も骨太で厚みがある。
中二の今でもその違いがはっきりとしているということは、今後はもっともっと逞しい手になるだろう。
緑依風がそう予想していると、風麻は「お前は小さくなったな……」と、しみじみした口調で言った。
「うん、背もすっかり差がついちゃったし、もう風麻に勝てるもの無くなっちゃったなぁ~」
「テストの成績はお前が圧倒的に勝ってるだろ」
風麻が苦笑いすると、「そうだ、来週からまた中間テストだね」と緑依風が言う。
「テスト週間になったら、しばらくは早く帰れるな。いつも待ってもらって帰り遅くしちゃってたし……」
「一人で帰るより安心だから。でもそうだなぁ……ただ待ってるだけだと、時間がもったいない無いし……。テスト明けたら私、バレー部のマネージャーでもしようかな?」
「マネージャー……?」
緑依風の提案を聞いて、風麻が足を止める。
「うん!前に竹田先生にもマネージャーやるなら大歓迎って言われたし、明日見学する時に相談してみる!」
「う~ん……」
やる気を見せる緑依風に対し、風麻は眉を潜めながら低く唸る――が、すぐに「ダメ」と却下し、再び歩き始めた。
「え~っ?」
「お前、バレーのルール知らないだろ?」
「知らないけど本借りて勉強するし、雑用は嫌いじゃないし、できそうだと思うけど……」
「ダーメ!キャプテンの俺が許可しませーん!」
「なんで?一緒に部活できたら一番いいかと思ったのに……」
緑依風が残念そうに口を尖らせると、「男子ばっかだぞ」と風麻は言った。
「うるせーし、汗くせーし、男くせーし……それに、お前のこと気に入ってるヤツが多いからダメ。俺が妬く……」
「あ……うん、わかった」
「よし」
緑依風は、風麻と共に部活動ができないのを残念に感じつつも、それ以上に彼が堂々とヤキモチ宣言をしてくれたことの方を嬉しく思った。
*
大通りに出ると、夏城中学の制服を着た生徒の姿も増えてきている。
先程、人目に触れるのは恥ずかしいからと、この手前で手繋ぎをやめようとしていた緑依風だったが、風麻との会話に集中しているうちに、そのことをすっかり忘れてしまっているらしい。
それは風麻も同じで、二人は今、交差点で信号が変わるのを待ちながら、手を握り合ったままの状態になっていた。
――が。
「あ、緑依風ちゃーん!坂下くーん!!」
「――――!!」
後ろから亜梨明の大きな声が聞こえた途端、二人ともようやくそのことを思い出し、慌てて手を離す。
「……あっ、あ、あっ、ありあちゃん!おは、よう!」
「きょっ、今日は早いな!!」
「……?」
二人が何故焦っているのかわからない亜梨明は、キョトンとした顔で不思議がっている。
「どうしたの緑依風ちゃん達……?なんかあった?」
亜梨明に質問されると、緑依風は「えっ、なんにも!」と誤魔化し、「あ、奏音と日下もおはよう!」と、亜梨明の後ろから歩いて来た二人に挨拶をした。
「おはようさん、二人とも」
「おはよう」
奏音に続き、爽太も挨拶をするが、彼は遠目から見えていた、普段と違う歩き方をしていた友人達を交互に見ると、「ところで――」と話を切り出す。
「手を繋いで歩いてたってことは、おめでとうって言っていいのかな?」
「なっ……!」
「おま……っ!」
にこやかな表情で聞く爽太に、緑依風と風麻はギクリと肩を上下させ、口を震わせる。
「えっ!?」
「そうなの……!?」
亜梨明と奏音に詰め寄られると、二人は観念したように認め、その途端亜梨明は「おめでとう~っ!!」と、緑依風の手を握ってブンブン上下に振りながら祝福した。
「ついに……遂に坂下くんと両想いになれたんだね!よかったぁ~っ!!」
手を離した亜梨明が今度は抱きついてくると、緑依風もぎゅっと彼女の背に手を回し、「ありがとう亜梨明ちゃん……!」と、自分のことのように喜んでくれる親友にお礼を言う。
爽太と奏音は、風麻を間に挟むと、言葉ではなく行動で祝う気持ちを示し、彼の横腹や腕を肘で優しくつついた。
*
学校に到着すると、風麻と爽太は鞄を置き、三組の教室前の廊下で話をした。
「――そっか、昨日伝えたんだね。おめでとう」
改めて、爽太が言葉で祝福すると、風麻はちょっぴり照れながら「おう、ありがとな」と言った。
「伝えたってことは、前に言ってた『松山さんを“好き”だって、言える理由』が出たってこと?」
「それが結局……はっきりと言葉にできるもんはわからなかった……。だけど、俺がそれを表す言葉を知らないだけで、緑依風を好きだって気持ちだけはちゃんと本物だ」
風麻はそう言って、壁に背をくっつけながら、開いた窓から教室にいる緑依風を見る。
「緑依風と一緒にいる時間に、ずっと前から幸せを感じてた。あいつが俺から離れていく日が来ることが怖かった。不本意だけど、須藤のことで緑依風が俺にとってどれだけ大切な存在かって気付かされたよ……。もうあいつに、怖い思いなんてさせたくない……させないためにも、これからはずっと……俺が守っていくって決めたんだ」
風麻の想いを聞いた爽太は、「うん……」と静かに頷いた。
教室内では、緑依風が一組から遊びに来た星華に質問攻めにあっており、その横に並び立つ相楽姉妹も、もっと詳しい内容を知りたそうなワクワクした表情で、緑依風の話を聞いている。
――と、そんな彼女達の元に、三組のお調子者である矢井田がやって来た。
「爽太、悪い。ちょっと待ってて……」
「えっ……?」
爽太が、急に不機嫌な顔になって教室に戻っていく風麻を目で追うと、彼はズカズカとした足取りで、緑依風達のそばへと向かっていった。
「頼むよ松山~っ!俺やっぱ、お前のノートじゃないとわかりづらくて、このままじゃ中間の数学テストも危ういんだって!」
矢井田が緑依風の前で両手を合わせ、必死な顔で頼み込んでいる。
「だから前にも言ったけど、真面目に授業受けてればどのノート見たって変わんないってば!他の男子に借りてよ……」
「あ、じゃあさ!その代わり今日俺んち来て勉強教えてよ!親は仕事で帰り遅いし、全然気ぃ使わなくていいからさ~!」
矢井田がそう言って、緑依風と距離を詰めようとしたところで、「なんか用か?」と、風麻が二人の間に割って入った。
「え……数学のノート貸してくれって頼んで……それがダメなら、勉強会しないかって誘っただけだけど……」
風麻の威圧的な態度に気負けした矢井田が、やや怯えた口調で説明する。
それを聞いた風麻は、自分の鞄から数学のノートを取り出し、「二時間目までに返せよ」と言って、矢井田の胸元に荒っぽくそれを押し付けた。
「それから、その勉強会ってやつ……やるなら図書室でいいだろ。俺も行く!」
「え……」
本当は勉強会など方便で、緑依風との仲を深めることが目的だった矢井田は、風麻まで参加すると言い出した途端、「あ……やっぱり俺、今日用事あったんだ……」と言って、逃げるように立ち去った。
風麻は、離れていった矢井田が再び戻ってこないよう、威嚇する気持ちで睨み付けると、「じゃ、話し続けて」と緑依風や亜梨明達に言って、爽太のとこへと戻った。
「おかえり」
爽太がにっこりした笑顔で風麻に言う。
「すごくわかりやすいヤキモチだったね」
「矢井田が緑依風をどう見てるか知ってるからな……」
矢井田やクラスメイトの男子だけでなく、他のクラスや後輩にも、緑依風に憧れる者がいることを把握している風麻は、「これからああいうのを追い払うのが大変だ……」と、ため息交じりに言った。
「束縛?それとも過保護?」
爽太がからかうように笑うと、風麻は「ほっとけ」と言いながら爽太の肩を軽く叩き、緑依風に悪い虫が寄り付かないための対策を考え出すのだった。
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