第268話 五年、十年、その先も……


「ごちそうさま~っ!!」


 あれだけたくさんあったお弁当のおかずは、育ち盛りの子供達によって全て食べ尽くされた。


「はーい、おそまつさまです」

 緑依風が空っぽになったお弁当箱を片付けていると、優菜と冬麻が「もう一回遊びに行こう!」と、遊び道具を手にして言った。


「お姉ちゃんはお片付けしなきゃだから、先に遊んでて」

「え~っ、じゃあ風麻くんついてきて~」

 優菜がちょっぴり頬を膨らませて風麻のシャツの袖を摘まむと、「俺も片付け手伝うから、秋麻達でこいつら見ててくれないか?」と、風麻は秋麻と千草に末っ子達のお守りを頼む。


 次男次女の二人は、「オッケー!」と声を合わせて引き受けると、弟妹達と共に広場の中央へと走っていった。


「いいの?風麻も遊びに行きたかったんじゃないの?」

 芝生を蹴り、きゃっきゃと、はしゃぎ声を上げて駆けて行く妹達を見送った緑依風は、使い終わった紙皿をビニール袋に入れる風麻に聞く。


「いいんだよ。作ってもらった分、片付けくらいはやらせて欲しいし。それに、腹いっぱいで動けないからな」

「あはっ!そりゃあ、あの量全部食べたらお腹いっぱいだよね!」

 緑依風は、お弁当箱やサンドウィッチなどを入れていたバスケットを全てトートバッグの中にしまうと、二人だけとなったシートの上でゆったりとした姿勢に座り直し、離れた場所で遊ぶ妹達を眺めた。


「来てよかったね。こんなに遊んだもの久しぶりだし、楽しかった……」

「そうだな……。滑り台はちょっとキツかったけど、なんか懐かしかったよ」

「今度来る時は、ダンボール持ってこないとズボンに穴開いちゃいそう!」

「だな!破けなくてよかった!」

「ね!」

 二人で会話を楽しんでいると、涼しげな風が颯爽と吹き抜け、周囲にそびえ立つ木の枝葉が、サラサラと擦れ合って音を奏でる。


「はぁ、いい風……」

 緑依風が呟き、心地好さそうに目を細めると、彼女の髪や耳につけている葉っぱのイヤリングもひらりふわりと揺れ出し、風麻はその動きに目が離せなくなった。


「…………」

 風が吹き終わる頃――風麻は、静かに深呼吸をし、シートの上に置いてある手に力を込める。


「あ、千草バトミントン下手くそ……。あの子の運動神経の鈍さは私と同じだね!」

「――なぁ、緑依風」

 風麻が緑依風の名を呼び、ほんの少し距離を縮める。


「ん?」

「ピクニック、また来ような……」

「うん!」

「来年も、再来年も……五年経っても、十年経っても……」

「…………」

 風麻がそう言うと、緑依風は少し寂しそうに視線を膝元へと落とす。


「その頃まで……私達近くにいるかな?」

「いててよ……」

「え……?」

 緑依風が顔を上げると、風麻は緑依風の手に自分の手を重ねた。


「俺、お前が好きだ……」

「え……」

「お前が、好き……」

「…………」

「返事……だいぶ待たせちゃったけど」

「ほ……んと……に?」

 目を大きく見開いた緑依風が、震える声で聞き返すと、風麻は体ごと緑依風の正面に向き直り、彼女の両手を取って握る。


「俺が守れる距離にいてよ……俺にまた美味いメシ作ってよ……そんで、俺がバカなことしたら、昔みたいに叱ってくれ……」

「…………」

「今まで、緑依風と一緒にいるのは当たり前だと思ってたけど、そうじゃないって気付いたら、それはめちゃくちゃ寂しくて……そんな毎日は嫌だって思った。――つまり、そう思うってことはさ……俺は自分が考えてる以上に、お前に惚れてるんだなーって……」

「…………」

 全てを言い終えた風麻は、固まったまま微動だにしない緑依風の様子に、少し気まずそうに顔を歪めると、「まぁ……緑依風の気持ちが変わってなければいいんだけど……」と付け加え、彼女の反応を伺う。


「……変わらない」

 そう言った緑依風の瞳から、いつの間にか大粒の涙が溢れている。


「変わらないよ……あの日からずっと……。風麻に気付いてもらえなくても……風麻に好きな人がいるってわかった時も……私、諦められなかったんだから……」

 緑依風が次々と頬に堪えきれないものを伝わせていくと、風麻はそれを右手の指で拭い、彼女と自分の額をそっとくっつけた。


「――返事、遅くなってごめんな……。お前はずっと、俺のこと好きでいてくれたのに……」

「ううん、いいの……っ。ちゃんと、伝わったから……」

 緑依風は服の袖で濡れた目を擦ると、風麻の右手に触れ、彼の顔をゆっくりと見つめる。


「私は……今も昔も、これからもずっと……風麻が大好き……」

「俺も、緑依風のことめちゃくちゃ大好きだ……!絶対絶対、お前とずーっと一緒にいるし、いっぱい大事にする。そのためにいろんなこと……頑張るからな!」

 風麻も緑依風の顔を見つめ返しながらそう宣言すると、サッと広場の方を向き、遠くにいる弟達の姿を確認する。


「あいつら、遊びに夢中だよな……」

「え?」

「よし……!緑依風、目閉じろ……」

「は?」

 緑依風は、急に緊張した表情でそう告げる風麻の言葉の理由がわからなかったが、彼に言われた通りに目を閉じる。


 風麻は、グッと息を呑んで覚悟を決めると、緑依風を抱き寄せ、彼女の唇に自分の唇を当てた。


「…………!」

「…………」


 二人の頭上にある木々が、また風に揺られてサラサラと葉音を立てる。


 遠くで千草と秋麻のケンカにもならない程度の言い合いの声と、優菜と冬麻の無邪気な笑い声が聞こえてくる。


 揺れた葉の隙間から差し込む木漏れ日が、その下で愛を伝え、感じる二人をキラキラと祝福するように照らす――。


 互いに初めてなので、それが上手いのか下手なのか。


 正解なのか、間違っているのかもわからなかったが、ただ一つ言えるのは、緑依風も風麻も――その触れ合った部分全てから伝わる温もりの心地よさ、幸せを感じ合っていた。


「…………」

 とても長い時間が過ぎていた気がする。


 実際には、ほんの七、八秒程度なのだが、風麻がゆっくりと緑依風から離れていったところで、二人の時が再び動き出す。


「――はい。これで俺ら、今日から恋人同士な……」

「~~~~っ!!」

 風麻が頬を紅潮させ、恋人宣言する前で、緑依風は彼以上に赤く全身を染め上げ、逆上せてしまいそうになっていた。


「……っ、えっ?ちょっ……!い、いま……!?キ、ス……し、えっ?へっ……??」

「イヤ、照れすぎだろっ!!おっ、俺の方が勇気いったっつーの!!」

 風麻も改めて自分の行動が恥ずかしくなったのか、緑依風と同じくらい真っ赤になって声を上げる。


「はぁ~っ、もう~っ……!!嬉しいことが一度にありすぎて……何がなんだか、わかんない……!!」

 緑依風が情けない声を出しながらそう言って、顔を覆うと、風麻は泣いてるのか笑っているのか判別しづらい彼女の様子に、ぷっと息を吹き出し、笑い出す。


「……っふ、あははははっ!!」

「わ……笑わないでよ!」

「ゴメンゴメン、今のすっごく可愛かったぞ!」

「んも~っ!からかうな~っ!」

 緑依風がちょっとムキになったように、風麻の肩を叩こうとすると、風麻は「いやいや、ホントだって!」と笑いながら、緑依風の攻撃を防いだ。


「はぁ……っ、全くもう……」

「ははっ」

 緑依風仕方無さそうに微笑みながらため息をつくと、風麻はそんな彼女にもう一度両腕を伸ばし、優しく抱き締めた。


 そこから約100メートル程離れた場所では、千草と秋麻が今もバトミントンで遊んでいる。


「ねぇ~っ、これいつまで続けてたらいい~?そろそろ疲れてきたんだけど……」

「ん~、そうだなぁ~……」

 秋麻は斜め前方に見える、兄達の様子をチラリと横目で見ると、「もうちょっと、二人きりにしてやろうぜ」と言って、千草の打ったシャトルを打ち返す。


「なんか今、いい雰囲気っぽいし……って、お前ほんっとうにヘタクソだな!!」

「うっさいなー!腕しんどくなってきたし、しょうがないじゃ――あらまぁ……」

 秋麻にけなされ、千草がムッと眉間にシワを寄せながらシャトルを拾うと、彼の言う通り、今までで一番仲睦まじそうな姉と兄貴分の姿が見えた。


「おい、あんま見てると兄ちゃん達にバレちゃうだろ……。時々にしとけ……」

「それもどうなの……」

 千草は、冷ややかな声で秋麻にツッコミを入れると、二人に気付かれないように装うため、やりたくもないバトミントンを続ける。


「ねぇ……秋麻は、風麻くんがお姉ちゃんのこと好きになるなんて想像できた?」

「まぁ〜いずれはそうなるかなって感じだな……。俺の兄ちゃん、バカだから気付いてなかったかもしれないけど、本当はもっと昔から、緑依風ちゃんのこと好きだったんじゃないかなって思うんだよな……」

 秋麻はシャトルを打ち返し、兄の緑依風に対するこれまでの態度を振り返る。


「多分、緑依風ちゃんのこと、恋人として意識する前に、夫婦みたいな関係になってたんだよ。本人はきょうだいみたいだって言って、勘違いしてるようだったけど、順番を間違えてるようにしか見えなかった」


 普通なら、まず友情を育みながら相手を知り、ゆっくりと時間をかけて距離を縮め、恋へと進展していくはずが、秋麻から見た風麻の緑依風に対する接し方は、そうする前から彼女に全てを許しきり、甘え切ったものだった。


 ただ家が隣同士なだけの、血の繋がらない他人だというのに、一切遠慮の無いあの振る舞いは、友人、親友、恋人よりももっと近い――近すぎて、だからこそ兄は、緑依風の良さが見えず、知った気でいて何も知らなかったのだと、秋麻は考えていた。


「(それが、何があったか知らないけど、いつの間にかちゃんと緑依風ちゃんを一歩引いて見れるようになってた……)」

 どんな理由やきっかけがあったのかまで探るつもりはないが、そうなってくれたことに、秋麻はひそかに安心している。


「お姉ちゃんと風麻くん……このまま大人になって結婚する可能性もあると思う?」

「あ~、するんじゃないか?……大体、うちの兄ちゃんにあんなに惚れ込む人なんて緑依風ちゃんくらいだろうし、兄ちゃんも緑依風ちゃんがいないと、寂しがって干からびちゃいそうだしな!」

「ははっ、確かに!私もお姉ちゃんが風麻くん意外を好きになるなんて想像できないもん!……あれっ?」

 あることに気付いた千草は、またシャトルを打ち返せずに地面へと落とす。


「ちょっと待って……ってことは私ら、マジで姉弟になるよ」

 千草が少し引いた顔になると、秋麻は「何を今更!」となんてことなさそうな口調で言った。


「冬麻と優菜があのままずっとイチャイチャしてたら、遅かれ早かれ俺らは義理の姉弟になるだろ。もしかして……嫌なのか?」

「べっつにー!どっちでもいいよ!どっちになったって、私と秋麻は今まで通り好き勝手やるでしょ」

「……そうだな」

 秋麻がちょっぴり複雑な気分で返事をすると、「おーい!おやつ食べるぞ~!」と言いながら、風麻が近付いて来る。


「はーい。……ほら、チビ達も呼んでこようぜ」

「はいはい」


 *


 十月――実りの季節。


 長すぎた緑依風の片想いは、ようやく成就することができた。


 でも、これで終わりではない。

 風麻と新たな絆を結んだ緑依風の物語は、まだまだ続いていく――。


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