第266話 名誉の勲章
緑依風達を乗せたバスは、その後もいくつかの停留所を通過し、様々な人を乗せ、六人が乗車してから約四十分程で目的地に到着した。
豊かな自然に囲まれた行楽地、秋山公園。
元気な子供も大満足の遊具の豊富さ、広い原っぱ、季節ごとに美しい花を楽しむことができる庭園など、休日には近隣の住民が訪れたくなる要素が揃っている。
「ついた~!」
「やった~!」
バスの段差をジャンプしながら順に降り立った優菜と冬麻は、そう言った途端に大喜びで入口へと駆け出していく。
「あ、コラ!お前ら勝手に行くなよ!」
風麻が注意し、弁当が詰まった鞄を肩に掛け直しながら追いかけようとすると、「俺行く!」と秋麻が制止し、持っていた袋を兄に預け、小さな二人を追いかけた。
「……しょ~がないなぁ。私、秋麻達と先に行くから、お姉ちゃん達は荷物ロッカーに預けてきて、あとで合流しよ」
千草は、面倒くさそうな顔をしながらも、はしゃぐおチビ二人に手こずってる幼馴染を助けに行った。
緑依風は、日頃妹の世話なんて「絶対イヤだ」と言い張る千草の行動に、「めずらし……」と呟き、風麻も「今日、途中で雨降ってくんじゃね?」と、空模様を見た。
*
入口を通り、その先にある荷物を預けるコインロッカーに向かった緑依風と風麻は、遊ぶ際に邪魔になってしまいそうな物を全てその中に預けてから、弟妹達を探しに行くことにした。
「アスレチックの方も遊びに行くなら、ボールとかも預けていいかな?」
緑依風が、ロッカーの中にお菓子と遊び道具が入った袋を入れながら言った。
「そうだな……財布と、お菓子も……。あ、弁当ロッカー入れて平気か?」
「うん、保冷剤たくさん入れてるし、今日そんなに暑くないし大丈夫だと思う」
「あ、それで更に重かったんだな……」
どうやら、緑依風の鞄の重みは食料だけでなく、それが傷むことを防ぐための保冷剤が原因だったようだ。
ロッカーのカギを各自手首に掛け、遊具のある広場を見渡せば、妹と弟達は白くて大きな山でできたトランポリンで飛び跳ねている。
「俺らも行こうぜ!」
「うん!」
風麻が振り返り様に言って走り出すと、緑依風も頷き、彼の後ろを駈け出していった。
二人でトランポリンに飛び乗ると、それに気付いた末っ子達が、手を振って「こっち~!」と出迎える。
中学二年生の二人は、四つに並べられた山を、幼い頃に戻ったかのような気持ちで弟妹達と共に何度も跳ねて進み、その先にある遊具も、夢中になって遊び始めた。
ロープや木でできたアスレチックでは、千草と秋麻が先陣を切って進み、最後のロープウェイでは、どっちが最初に渡るかでいつも通りのケンカを始めた。
『蟻地獄』というコース名が付いた、すり鉢状の壁を回るように斜めに走って遊ぶ遊具では、冬麻が登れなくて泣いてしまい、風麻が救出しに行った。
長くて広い滑り台では、身軽な優菜と冬麻に対し、大人とほぼ変わらない体格になった緑依風と風麻は、勢いよく滑り落ち、摩擦熱でお尻が痛いと笑った。
登り棒では、優菜が一番最初にてっぺんまで登りきり、緑依風は自分はそういえば一度も上まで登りきれなかったなと、優菜と同い年の頃を思い出して、妹の方が運動神経がいいことを知った。
鬼ごっこでは、この中で圧倒的に足が速い風麻が有利になってしまうので、小さな優菜達でも勝てるよう工夫をし、彼が追われる側になった際は、最終的に全員で追いかけ回すというルールで遊んだ。
湿度も少なく、カラリとした爽やかな空気の中でも、ずっと動き回っていると、だんだん体が汗ばんでいく。
「あっちぃ〜!俺もう、上着いらねぇや!」
鬼ごっこで散々走り回ったせいか、風麻は上着として着ていたパーカーを脱ぎ始めた。
「あ……」
風麻が半袖シャツ姿になった途端、緑依風の心がチクリと痛む。
彼の筋肉で引き締まった右腕に、白い線のような痕。
「(傷跡……残っちゃったんだ……)」
約一週間前、須藤に乱暴されそうになった緑依風を助けに来た際、彼が振り回した刃物によって、風麻は怪我を負った。
幸いにも傷口は浅かったが、カッターに切り裂かれた風麻の皮膚は、再生と同時にその部位を白く隆起させ、『傷跡』として残ってしまったようだ。
「…………」
「どうした……?」
急に俯き、暗い顔になってしまった緑依風を風麻が心配する。
「疲れたか?気分悪いのか?」
「……ごめん、これ……」
緑依風が風麻の腕に触れると、彼は「名誉の負傷だろ!気にすんな!」と言って笑った。
「でもっ、痕残っちゃって……っ、ごめんなさ……っ」
「ちょっ、ちょちょっ!泣くなよ!今泣いたら、秋麻達に怪しまれるだろ!あいつらにはこれ、ケンカに巻き込まれたせいってことにしてんだからさ!」
あの事件のことを、幼い彼らには説明し難いと思った二人は、友人のケンカを止めようとしてこうなったと話を合わせていたため、今ここで緑依風が泣き出してしまっては困るのだ。
「……怪我したのはお前のせいじゃない。俺も、避ければいいのに受け身取っちゃったからな。だから、もう気にしなくていいし、謝んな……」
「……うん」
風麻に言われ、緑依風は泣くのを堪えて頷く。
「俺よりも、緑依風は……?」
「えっ?」
「痣とか、心の方……。……もう、大丈夫なのか?」
「…………」
恐る恐るな口調で風麻に聞かれると、緑依風は一瞬どう答えようか迷うように目を左右に動かし、ゆっくりと唇を開いた。
「――痣はね、だいぶ薄くなったの。でもまだ目立つから……あまり人前では見せないようにしてる……。気持ちの方は……正直に言うと、やっぱり時々あの日のこと思い出して、怖いって感じることもあるよ。……けど、風麻が帰り道で吐き出させてくれたし、須藤くんが転校した後も、風麻がずっと近くにいてくれるおかげで、安心するんだ」
それは、緑依風に対して下心を持つ他の男子生徒を牽制してるか、彼女にいつ告白しようかとタイミングを見計らっているためなのだが、今はそれをカミングアウトする空気では無いし、何より緑依風の不安を和らげることに繋がっているため、風麻は「そっか……」とだけ言って、本当の理由を伝えないことにした。
「それならよかった……」
「うん、気遣ってくれてありがとね」
風麻が安堵した笑みを浮かべると、緑依風も彼の優しさが嬉しくて微笑み返す。
その表情に、風麻の心臓がドキッと跳ね上がると、「緑依風ちゃーん、おなかすいた~!」と、秋麻達と離れた場所で遊んでいた冬麻がこちら側に向かって駆けてくる。
「おいっ、もうちょっと我慢しろって言っただろ!」
追いかけてきた秋麻が、せっかくの二人きりを台無しにする弟に注意すると、緑依風は「あっはは」と笑いながら時計を見た。
「うん!十二時過ぎちゃってたし、お昼にしようか!」
「……そうだな、俺も腹減ったかも」
「よし!それじゃあ、みんなでお弁当取りに行こう!」
冬麻の手を引き、千草や優菜を呼び掛ける緑依風の明るい笑顔を見ていると、風麻の脳裏に、教室に駆け付けた時に目にした光景、腕を切り裂く刃物の痛み、緑依風の涙が蘇る。
あの時、ほんの少しでも遅れていれば……。
須藤が迫っていたことに気付けなかったら、緑依風はもうこんな風に笑えなくなっていたかもしれないんだ……。
そうなっていた可能性なんて考えたくもないが、緑依風がこうしてそばにいることが、『当たり前』から遠ざかりそうになったのは事実だったと、腕の傷が証明する。
もしかしたら、この傷を受けるのは緑依風だったかもしれないし、この切り傷以上の深い傷を心に負わされてしまう方が、風麻にとっても耐え難く、生涯忘れることのない後悔となるだろう。
「(それを思えば、こんなの……)」
最初は少し気になったが、今の風麻にとってこの傷跡は、大切な人を助けることができたという勲章のようなものだ。
誇らしくさえ思える。
「風麻……?」
止まったまま、後ろをついてこない風麻を不思議に思った緑依風が、引き返してきた。
「おぅ、悪い悪い、腹減り過ぎてぼーっとしてた……」
「ははっ、じゃあ余計に早くお弁当取りに行かなきゃ!」
「あぁ……」
隣を歩く緑依風を横目で見ながら、彼は未だ言葉にできずにいる想いを、更に膨らませていくのだった。
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