第259話 99パーセント
文化祭が終わってからも、緑依風は一人で下校せず、風麻の部活がある日は、彼の練習が終わるまで待ち続けた。
須藤は学校に来ていなかったが、学校外の帰り道で孤立した緑依風を狙って、待ち伏せしているかもしれない。
そう危惧する風麻は、盗撮事件が解決してからも、彼女の身辺を警戒し続けた。
緑依風は最初こそ、風麻にこれ以上負担を掛けたくないと思い、彼を待つことをやめようとした――が、先日の文化祭で知った、自分の居ぬ間に、須藤によって風麻が負傷させられていたことや、同じことが自分に起こった際の彼の気持ちを考慮し、互いのためにも風麻と二人一緒に帰ることを選んだ。
時折、
男女両方バレー部の部活動がある日は、亜梨明も一緒に待ってくれた。
二人で上から風麻と爽太の練習風景を眺めながらの恋バナタイムはとても楽しくて、そんな日は時間の流れもあっという間に感じる。
*
月が替わって、十月。
須藤は、相変わらず学校に来なかった。
金曜日。
この日、緑依風は日直当番だったので、学級日誌、黒板の日付変更、教室の戸締りをして、職員室に鍵を返しに行かなければならない。
チャイムが鳴って、終礼が終わり、緑依風がもう一人の日直である男子生徒と役割分担をしようとすると、いつの間にかその生徒は帰ってしまっており、緑依風が一人でこなさなければならなくなった。
「はぁ、まったくもう……逃げたもん勝ちとでも思ってるのかな……」
緑依風が少々ご立腹な様子でため息をつくと、「俺手伝うよ」と風麻が名乗り出た。
「いいよ、一人でできないわけじゃないし。キャプテンが部活に遅れて行ったら、後輩に示しがつかないでしょ!」
「今日くらい、別に大丈夫だろ」
風麻がそう言っていると、「風麻、部活行こう?」と、一組の教室から爽太がやって来た。
「ほら、日下が迎えにきたよ」
「…………」
緑依風が風麻の背中を押すと、彼はチラリと振り返り、人の少なくなった教室と緑依風を見て、心配そうに顔をしかめる。
亜梨明と奏音は用事で、つい先程帰ったばかり。
教室に今いるのは、緑依風と風麻、迎えに来た爽太のみで、自分達がいなくなった後、緑依風はここに一人になってしまう。
「急いで日誌書いて、すぐ体育館に行くよ。先に帰らないって約束したし、ちゃんと待つ!ねっ?」
緑依風が安心させるように言うと、風麻は観念したように肩をすくめ、「ま、学校の中なら安全か……」と言い、スポーツバッグを肩に掛けた。
「十五分経っても来なかったら、迎えに行くからな……」
「はいはい、それまでに終わらせまーす!」
緑依風が軽く手を振ると、「じゃあ、後でね!」と爽太が振り返し、風麻は唇を尖らせるような顔で手を軽く上げてから、階段を下りて行く。
二人の背を見送った緑依風は、「さっ、急がなきゃ!」と独り言を呟くと、シャーペンを握って、日誌を書き始めた。
*
「松山さんにまだ返事しないの?」
階段を下りている途中、爽太が振り向きながら風麻に聞いた。
「僕から見たら、風麻の例のパーセンテージは、とっくに百パーセントになってると思うけど……?」
親友の質問に、風麻は「うーん……」と唸った後、「九十九パーセントだな」と答えた。
「……その一パーセントはなんなの?」
「緑依風を“好き”だって、胸張って言える理由が欲しい」
「それ、まだこだわってるんだね……」
ここまで来ると、もはや『真面目』ではなく『意地っ張り』だと思った爽太は、眉を下げて呆れたように言う。
「あんまり、人の恋愛事情に口出ししたくは無いけど……そろそろ松山さんが本気で可哀想になってきたよ……」
あと一歩のところまで辿り着いているのに、風麻と『親友』から『恋人同士』にはなれない緑依風。
緑依風の恋路を応援していたのは、女の子の友人だけではない。
春に緑依風の風麻に対する恋心を知り、お互いの悩みを打ち明けあった爽太も、彼女の願いがいつか叶うように、陰ながら見守り続けていたのだ。
これでは、まだ当分先に進みそうにないなと、爽太が思っていると「ちゃんと、答えてやりたいんだ」と、風麻が言った。
「緑依風も爽太も、周りにいる友達がみんなヤキモキしてるのは、俺もわかってるよ。爽太が前に言ったように、人を好きになるのに細かい理由なんて必要ないって考えも、確かに一理ある。……でも俺は、緑依風の想いに釣り合う言葉で伝えたいんだ」
「松山さんの想い……?」
「……緑依風は、俺が緑依風の気持ちを知る前から、ずっと俺だけを好きでいてくれた。俺が無神経な言葉で傷付けても、他の人を好きになっても……諦めれないくらい、めちゃくちゃでっかい気持ちで、俺を好きでいてくれる。大きすぎて、正直抱えきれるかわからないって思うこともあったけど、少しずつ自信も付いてきた。あとは、それをどうやって言葉で伝えようか……ってところだ」
風麻がそう語ると、爽太はぱちくりと瞬きをして、「ふふっ」と息を漏らすように笑った。
「そっか……それが、風麻の“恋”なんだ?」
爽太にはっきり『恋』と言われて、一瞬返答に悩んだ風麻だが、彼は照れくさそうに破顔した後、「そうだな……」と答えた。
「これが、俺の“恋の仕方”……だな」
今の緑依風に対する気持ちを『恋』と認めるまで随分かかった。
認めてしまえば、やっぱり違うかもしれないと思った時に、もう後戻りはできない。
風麻はそう思い、この文字を緑依風への感情に使うことを避けてきた。
それなのに今、爽太に“恋”と言われて、“恋”だと口にしてみれば、すぅ……と溶け込むように風麻の心に馴染んで、とても楽になれた気がした。
緑依風を好きな理由は、未だにはっきりとわからない。
でも、緑依風の隣に立って寄り添う人間は俺がいい。
緑依風を守る役目も、誰にも譲りたくない。
小さい頃からいつも一緒の緑依風がいる日常は、風麻にとって何に変えても守り通したい、大切な宝物だ。
部活が終われば、風麻は今日もすぐに着替えて、緑依風の元へ駆け付けるつもりだが、それは彼女を“待たせてしまっているから”というだけではない。
風麻自身が、早く緑依風に会いたくてたまらなかった。
この愛しい想いを、一粒も残さず緑依風に告げるには、どんな言葉を紡げばいいのか……。
風麻は、そんなことを考えながら、爽太と共に体育館の中へと入っていった。
*
風麻と爽太が体育館内へ足を踏み入れると、そのすぐ付近にあるツツジの生垣の一部が、カサっと風も無いのに不自然に揺れ動いた。
「…………」
植木の陰で、彼らの様子を注意深く観察する者がいる。
指で枝葉を僅かに動かし、その隙間から二人が靴を脱いでフロアに上がるのをじっ……と息を潜めて見つめる人物は、風麻の近くにいつもいるはずの少女がいないことを確認すると、ゆっくりと立ち上がり、姿を現す。
「うっわぁっ……!」
ツツジの横を通りがかった、男子バレー部の一年部員二人組は、突然現れた、ゆらりと動く長い前髪の男子生徒に驚き、思わず悲鳴を上げる……が、その男子生徒――須藤はそんな彼らの反応には目もくれず、ニタッとした笑みを浮かべ、校舎へと歩き出した。
「まだ、学校にいるんだね……」
緑依風の靴箱の扉を開けた須藤は、彼女の通学靴が収納されたままなのを確認すると、静かに静かに、足音が立たぬように階段を上り、二年生の教室がある三階を目指す。
気配を殺し、音を極限まで立てず、獲物を狙う蛇のように――彼は標的がいる場所へと接近する。
そして――。
「(みつけた……)」
壁角に身を隠し、二年三組の教室の中を見据えた須藤は、抑えきれない興奮に表情をニイィィッと不敵に歪ませ、ポケットの中の刃物を握った。
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