第258話 文化祭(後編)


 本格的に作られたお化け屋敷から、ようやく脱出することができた緑依風と風麻は、お互いげっそりとした顔になっていた。


「さ、最後の怖っ……グロ……っ!」

「口が……歯がいっぱいで……あぁ~っ、忘れたいのに夢に出てきそう……」

 緑依風が両手で頭を押さえ、なんとか記憶からあの口裂け女の姿を消そうとしていると、「ふっふっふ~」と、背後から女の子の声が聞こえる。


『…………!!』

 二人が振り返ると、先程の口裂け女が、完全に顔を晒した状態で可笑しそうに笑っている。


「二人とも、清々しいくらい驚いてくれましたね~!」

 よく見れば、その口裂け女の正体は晶子で、彼女は自分を見た途端、また顔を引きつらせる二人の反応に大満足しているようだ。


「しょうこぉ~っ!そのメイク怖いよ〜……!」

「笑うと余計にな……」

 普段は、素朴だが品のある顔立ちをしている晶子の口裂けメイクは、明るい場所だと更に恐ろしさがよくわかり、お化け屋敷が平気な風麻も、流石に恐怖を感じている。


「ちょうど二人がゴールしたところで交代の時間になったので、これからメイクを落としに行くんですよ」

「そっか、お疲れさん……」

 風麻が労いの言葉を掛けると、晶子は黒くて長い髪のウィッグを外し、「そういえば……須藤くんのことなのですが」と、口裂けメイクのまま神妙な顔になる。


「……あれ以来、学校に来ていないんです」

「え、そうなのか?」

 風麻も緑依風も、須藤がまた不審な行動をしていたのかと警戒していたが、まさか学校にすら来ていないとは思わなかった。


「多分、嫌がらせ行為が発覚して、竹田先生に注意されたことで、学校に来づらくなったのかと……」

 晶子がそう推測すると、緑依風の脳裏に、ボールがぶつかる直前までの須藤の姿が蘇る。


 人の目を気にしながら、遊びふざける集団の声に怯えるように廊下を歩いていた須藤は、周囲の評価や気持ちにも敏感な子なのかもしれない。


 風麻や晶子達に盗撮していたことを知られ、それを担任の竹田先生に叱られたという流れは、自業自得とはいえど、彼が学校に行きたくない理由になる可能性として充分だ。


「……なので、緑依風ちゃんにもう危害を加えることは無いと思いますよ。まぁ、学生なので学校には来ていただいた方がいいのですが……」

「うん、そうだね……」

 緑依風が須藤の心境を思い、少しばかり同情していると、「風麻くんは、たんこぶもう大丈夫ですか?」と、晶子が聞いた。


「え、たんこぶ……?」

「……っちょっ、晶子っ――!!」

 晶子の言葉に、突然慌てふためく風麻。


 二人の反応を見た晶子は、風麻があの日起こったことを緑依風に詳しく話していなかったのだと察し、ハッと口を噤む。


「ねぇ、どういうこと……?何かあったの……?」

「…………」

「…………」

 緑依風が問うと、風麻と晶子はますます気まずそうになり、黙り込んでしまう。


「……晶子、そろそろメイク落してこいよ。緑依風には俺が説明する」

「……すみません。知ってたとばかり……」

 詫びる晶子に風麻が「大丈夫だから」と言うと、彼女は一礼して去っていった。


「風麻、何があったの……?」

 晶子が離れていったところで、緑依風がもう一度問い質す。


「……須藤が盗撮の犯人だってわかった時に、突き飛ばされて壁で頭打った。それだけだ」

「それだけって……!」

「もうたんこぶは消えたし、血も出てないし、大したことじゃない……心配させるだけになるから言わなかった」

 風麻は淡々と説明し、「はい、この話は終わり」と一方的に終わらせると、「どっかで昼飯食おうぜ、PTAの出し物んとこでたこ焼きでも買うか!」と明るく言い、湿った空気を切り替えようとする――が。


「…………っ」

 緑依風の目から、ぽたっ……と、涙が落ちる。


「お、おい……っ」

「ごめっ……ごめん風麻……っ」

 緑依風がそう言って泣き出すと、そばを通り歩く生徒や保護者達が、何事かと思いながら視線を浴びせてくる。


 たくさんの人の覗き込む姿に居たたまれなくなった風麻は、「あ~もうっ……!」と頭を抱えた後、「ちょっと来い……!」と緑依風の手を引き、なるべく人目の付かない場所へと移動した。


 *


 校舎の端の方へと緑依風を連れてやって来た風麻は、しゅんと俯く緑依風に振り向く。


「……少しは落ち着いたか?」

 風麻が緑依風の顔を覗き込むと、涙は止まったようだが、彼女は再び「ごめん……」と謝り、今度は迷惑を掛けてしまったことを申し訳なく思っているようだ。


「いいよ、黙ってた俺も悪かったし……」

 どのみち泣かせてしまうなら、最初から全て話せばよかった。


 風麻がそう考えていると、緑依風はギュッと拳を握り締めながら、「……私、今初めて須藤くんのこと……許せないって思った」と言って、怒りを口にする。


「風麻に手を出したこと……っ、たんこぶで済んだからまだよかったけど……もし、突き飛ばした場所が階段だったら……打ち所が悪かったら……大怪我させるようなことになったら……っ!」

 風麻の命や将来に関わるような危害を加えていたら、その時は『許せない』なんて言葉どころではない。


「……俺の気持ちも、これでちょっとはわかってくれたか?だから、一人で家に帰したくないんだ」

「うん……」

「晶子は、もう危害を加えることは無いと思うって言い切ってたけど、学校に来てない分、道で待ち伏せしてる可能性はある。一人になったお前を須藤が狙いに来るかもしれない。そん時に、何かあったらなんてことは避けたい……」

「…………」

 緑依風は最初、風麻に余計な心配を掛けさせてしまうこと、部活終わりに急がしてしまうことばかりに負い目を感じ、なんとかしようと考えていた。


 自分のことよりも、大切な人に負担を掛ける方がしんどくて、苦しかったから。


 しかし、自分のいない場所で風麻の身に起こった出来事を知り、彼に今の気持ちを味わせたくないと感じた。


「(もし、私に何かあったら……きっと風麻が今度は同じ思いをするんだ……)」


 自分の身を守ることが、風麻の心を守ることに繋がる。


「――わかった。まだ当分、一人で帰らない……それで風麻が安心してくれるなら……」

 緑依風が乾いた涙に貼り付く目元を擦りながら言うと、風麻は「おぅ!」と返事をし、強気な笑顔を見せる。


「須藤からも犬猫からも守ってやるぜ!なんたって俺は……ナイトだからな!」

「……は?」

 重くなった場を和ませようと、以前爽太に言われた例えを口にしてみた風麻だが、ポカンとした緑依風の反応を見た途端、急に恥ずかしくなり「あ……いや、なんでもねぇ……」と、小さくなった。


 *


 その後、二人はもう一度文化祭を楽しむために、PTAの保護者と学校職員の人達が開く小さな屋台で昼食を済ませ、海生がヒロインを演じる三年の演劇を鑑賞した。


 演劇の後も、美術部やパソコン部などの展示を見て回り、そろそろ文化祭が終わるという時間帯になると、風麻がもう一度、一組の展示を見に行きたいと言い出した。


「……一枚くらい、一緒に写った思い出写真があった方がいいよな」

 そう言って、波多野先生にスマホを渡した風麻は、風船の前に緑依風を手招きする。


「はい、笑って~!」

 風船の紐を二人で持ち、ポーズを決める緑依風と風麻。


 なんだか二人とも照れの混ざった、ややぎこちない笑顔だったが、この四角い画面に映る自分達は、今までで一番恋人同士に見えたのだった。


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