第255話 大蛇は嗤う(後編)


 昼休みから五時間目の授業が終わるまで身を潜めていた須藤は、休み時間になるとひっそりと教室に戻り、帰り支度を始める。


 このクラスには、須藤が早退する素振りを見せても、気に掛けてくれる者などいない。


 これまでは若干の虚しさを感じていたが、今となっては好都合だ。

 誰にも興味を持たれないからこそ、こうして緑依風の靴箱に向かえるのだから。


 須藤が校舎の一番端の階段を使って靴箱を目指すと、六時間目の授業が開始される合図のチャイムが鳴る。


 遠回りだが、このルートなら各教室へ移動する教師達と鉢合わせることなく辿り着ける。


 しんとした、玄関口。


 二年三組の緑依風の靴箱前にやって来た須藤は、小さな戸を開き、鞄から昨日用意した写真を取り出そうとする――が。


「……無い」

 そう呟いた瞬間、背後に静かな足音――そして。


「探しているのはこれか?」

 ――と、男性の声が聞こえる。


「…………」

 須藤が振り返ると、そこには二年二組の担任、竹田先生が封筒を持って立っていた。


 *


 場所は変わって、須藤は竹田先生に連れられ生徒指導室にいた。


「帰る前に、先生と二人で話をしようか……」

 そう言った竹田先生の声や表情は穏やかだったが、「このまま家に帰れると思うな」という、有無を言わせない威圧感があった。


 生ぬるい廊下からエアコンの効いた生徒指導室に入ると、竹田先生は先程と変わらぬ、穏やかな顔のまま須藤に椅子に座るよう促し、自身も机を挟んで向かい合わせになるよう座る。


「さて須藤……どうしてここに連れてこられたかわかるかな?」

「はい……」

「ある生徒からこの封筒を渡されてね……。勝手に人の鞄の中を漁るのはよくないと、一応注意はさせてもらったけど、これはもっと良くないな……」

 竹田先生は封筒の中身に入っていた写真を取り出し、机の上に並べると、「これは、須藤が撮ったもので間違いないか?」と、静かだが重みのある声で質問した。


「…………」

 須藤はコク……と、首の動きのみでそれを認める。


「どうして、こんなことをした……?」

「――可愛い子だなって思って……撮りました」

「なるほどな……。それで、坂下の写真は……?」

 竹田先生は、風麻の顔部分につけられた赤い印を指差し、厳しい視線を向ける。


「……羨ましかったんです。松山さんと、仲良しみたいだったので……ちょっと意地悪な気分になって……。でも、もうしません……」

「うん、盗み撮りは良くない。人が不快に思うこともしちゃダメだよな?」

「はい……どちらももうしません」

 須藤は頭を下げ、反省した様子で竹田先生に宣言した。


「松山には、梅原先生を通して伝えておく。今日はもう帰ってもいい……ただし、明日からは、勝手に早退するのもしないようにな」

「……はい」

 須藤が立ち上がり、荷物を持って退室しようとすると、「そうだ、須藤……」と、竹田先生が何かを思い出したかのように呼び止める。


「ご両親は相変わらず忙しいか?」

「…………」

「お母さんとは一学期の三者面談も、結局電話でしか話ができなかったし……。不急の連絡は控えて欲しいと言われてるんだが、一度直接会って話したいこともあってな……」

「…………」

 須藤は、竹田先生に無言のまま会釈をして戸を開くと、「失礼しました」と短い挨拶だけをして、生徒指導室を後にした。


 *


 六時間目の授業が終わると、風麻は緑依風と奏音、爽太や星華を廊下に呼び出し、緑依風への嫌がらせの犯人は、二組の須藤でほぼ間違いないと話した。


「竹田先生には、須藤本人から話を聞くまでは黙ってるように言われたけど……証拠もあったんだ。それに、スマホの待ち受けもしっかり見た……」

「…………」

 緑依風は、自分が助けた人にストーカー行為をされていたことにショックを受け、犯人が見つかっても喜べず、悲しそうに肩を落とした。


「みんなごめんね……。私が余計なことしたせいで……」

 緑依風が泣きそうな顔になって、友人達に謝ると、「そんな……松山さんは、良いことしかしてないじゃないか」と、爽太がすかさず否定する。


「そうだよ!……まぁ、まさか好かれてストーカーになるのは予想外だったけど……」

 星華が言うと、奏音はぺシッと星華のお尻を叩き、「余計なことを……」と言いたげな目線を彼女に向けた。


「緑依風を好きになったとしても、こんなやり方で気を引けるわけないのに……。でも……ひとまず犯人がわかってよかったね」

 奏音が元気付けるような表情で言うと、緑依風は「うん……」と小さく頷く。


「(私、どうしたらよかったんだろう……)」


 もしあの時、須藤を助けなければ――ストーカー被害にあうことも、風麻や友達に迷惑を掛けることも無かったかもしれない。


 だが、咄嗟に体が動かなかったとしても、怪我をして蹲っている人を放っておくなど、やっぱりできない……。


 緑依風は、須藤がもうこんなことをしないように願いつつ、果たしてどちらが正しい判断だったのか、思い悩むのだった。


 *


 その頃――。


 須藤は誰もいない家の鍵を開け、自室に向かうと、大量の緑依風の写真の海と化したベッドの上へ、ぼすっと倒れ込むようにして横たわる。


 室内は、部屋の壁紙が完全に見えなくなる程、彼女の写真で埋め尽くされており、上を見ても下を見ても、右を見ても左を見ても、須藤の目に愛しい緑依風の姿が映るよう造り変えられていた。


「ふっ、ふふっ……ははははっ……!」

 写真に身を埋めたまま、須藤は湿っぽい吐息を交えて笑い出す。


「可愛い子だと思った……?そんな言葉じゃ表現しきれないよ……」

 須藤は、先程自分の口から出た言葉を思い出しながら自嘲し、その前に起こった、昼休みの出来事も振り返る。


「ククッ……最初は坂下に見つかったのは失敗だったと思ったけど、おかげでもっといい方法が浮かんだよ……」

 須藤は上体を起こすと、少し折れ曲がってしまった写真を掻き集め、まるで彼女に抱擁を交わす気分で恍惚とした笑みを浮かべた。


 こんなことくらいで諦めるものか。

 しばらくは身を潜め、全て終わったように見せかける。


 そして、皆が完全に油断しきった頃――その時がチャンスだ……!


「ああっ!もうすぐだよ松山さん…っ!もうすぐ、僕だけの君にしてあげる……!」

 須藤が両腕を開くと、ベッドの上にはパラパラと音を立てて写真が落ち、彼はその中の――風麻を見上げて、柔らかく微笑む緑依風の写真を両手で拾い上げた。


「どんな声でくかなぁ……?僕に暴かれる痛みで歪む顔も、きっと素敵だろうなぁ……屈辱に叫びを上げ続ける松山さんなんて、僕以外に見れないよ……あぁ、最高だよ……!」


 泣き叫んで助けを求めても、許しを請われても絶対やめてやるものか。

 僕の心を弄んだことへの後悔を、その身をもって一生味わうがいい……。


 坂下に二度と顔向けできないくらい、たっぷりと時間をかけて、須藤白也という存在を心の奥底まで植え付けてやる……!


「………ッ!」

 高まった興奮に身震いした須藤は、はぁはぁと、肩を上下させながら荒い呼吸を繰り返し、ギラギラとした目つきで緑依風の写真を睨み付ける。


「……その日が楽しみだよ……っ、ふふっ、ふはははははっ……!」

 その瞳は、まるで獲物を狙う狩人のようだった。


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