第254話 大蛇は嗤う(前編)


 二日後の朝――。


 この日、緑依風の靴箱に入れられていた写真は、これまでとは異なる物だった。


「これ……っ」

 写真は全部で八枚。


 その内の五枚は相変わらず緑依風の隠し撮り写真――残る三枚は、一昨日の下校時に撮られたと思われる、風麻の写真だった。


「どうした……?」

 言葉を失い、写真を持つ手を震わせる緑依風の横から風麻が覗き見ると、風麻の写真にのみ、赤いペンでバツ印を付けられていたのだ。


 風麻はその写真を緑依風の手から奪い取ると、何も言わずにビリビリと破って、そばにあったゴミ箱に捨てた。


「……ねぇ、これってもしかして、風麻に何かするってことじゃないかな?だったら私っ――!」

「離れるってか?」

 風麻は振り返って緑依風に聞いた。


「だってっ……私と一緒にいて風麻が危ない目にあったら……!」

「それこそ犯人の思うツボだろ。――でも、これで確定したな……」

 先日の爽太の話を思い出しながら、風麻がやや青ざめた顔になる。


「今のバッテン……俺が緑依風の近くにいるのが気に食わないってサインなら、緑依風に恨みがある人物じゃない……。お前に強い執着心を持ってるやつだ……!」

「えっ……?」

「緑依風……お前絶対に一人になるなよ!爽太や相楽達にも知らせないと……!」


 風麻はすぐさま友人達を呼び出し、先程見た写真のことと、爽太の予感がほぼ当たっているかもしれないということを話した。


「みんな頼む……!犯人が見つかって解決するまで、引き続き協力してくれ……!」

 風麻が頭を下げながら爽太や亜梨明達に頼み込むと、四人は固唾を呑んで頷き、これまで以上に気を引き締める思いで承諾する。


「坂下も気をつけてね……。この犯人、坂下にはすごく恨みを持ってそうだし……」

 奏音が風麻の安全についても心配すると、「……ってことは、犯人は男子生徒ってこと?」と星華が尋ねる。


「そうとは限らないよ。女の子が好きな女子生徒かもしれないし、生徒じゃなくて教師の可能性もある……」

 爽太の言葉を聞いた途端、緑依風だけでなく亜梨明や奏音達も、ゾッと背筋を凍らせる。


「とにかく、犯人が見つかるまでは松山さんだけでなく、風麻も……亜梨明達も全員気を付けて……。それから、なるべく二人よりも三人、四人組になって行動するように心掛けて欲しい。もし相手が男子や先生だったとしたら……特に女の子達じゃ、力の差で圧倒的に不利だ……。犯人と遭遇して何かあっても、必ず誰かが助けを呼びに行けるようにするんだ」

 爽太がもしもの時の対策として皆に注意を促すと、全員承諾し、緑依風だけでなく自分達の身辺も警戒するよう意識を改めた。


 *


 昼休みになると、風麻は緑依風のことを爽太や亜梨明達に任せ、幼馴染で現在二組の生徒である晶子、四組の所属となった利久を廊下に呼び出した。


 二人のクラスに、最近カメラを持ち歩いていたり、不自然な行動をしている者がいないか聞き出そうとしたのだ。


「……そんなことが起こってたんですね」

 事情を聞いた晶子は、繊細な緑依風の心を心配しながら言った。


「でも、うちのクラスにそんな怪しいことしてそうな人間は、思い当たらないな……」

 利久は、自分のクラスメイトの様子を頭に浮かべながら、好意を持った女子生徒にストーカーをしそうな人物がいたかどうか思考を巡らせる。


 この学校には写真部も無いため、もしカメラを持っている人間がいるとすれば、かなり目立つはずだが、そんな生徒は見当たらない。


 登下校中の防犯のために、スマホなどの携帯電話の持ち込みを許可している学校なので、搭載されたカメラを使って盗撮しているとするならば、わかりやすく撮影時にシャッター音が鳴るはずだ。


 しかし、休み時間などの賑やかな時間帯は、スピーカー部分を塞げばほぼ気付かれずに撮影は可能だろうし、シャッター音を消すアプリなんてものもある。


 別売りの望遠レンズアクセサリーを使えば、遠くからの撮影もできてしまうし、なかなか犯人は見つからないだろう。


「……後は、盗撮に適してる物とすれば、小型カメラだな」

「小型カメラ?」

 機械関係に詳しい利久の口から語られたものに、風麻は腕組みながら首を横に傾ける。


「薄くて小さい形状の物や、ボールペンの形をした隠し撮りしやすいカメラ……まぁ、本来ならパワハラや浮気現場の証拠を押さえるために使用するものなんだけど、こういった盗撮やストーカー目的に使われることもある」

「…………」

 利久の説明を聞いた風麻は、目の前で廊下を行き交う生徒達を見渡すように眺める。


「ボールペンなんて、ポケットに簡単に入れられるよな……」

 女子はスカートに。

 男子はズボンだけでなく、人によっては、ワイシャツの胸元部分にポケットが付いたものを着用している。


「そう、だから隠し撮りに気付かれにくい。値段も安い物から高価なものまで幅広いけど、緑依風のその写真を見る限り、性能はかなりいい物だろうな。暗闇でもこれだけ綺麗に撮れてるなら、普通の中学生の小遣いじゃ手が出にくいと思う」

「お年玉貯金か、親の物を使ってるか、金持ちの子供か……」

 そう言って、風麻がすぐ目の前にいる財閥のお嬢様の晶子と、大きな家に住んでいる利久にジトっとした目を向けると、「なんで僕らが緑依風を隠し撮らなきゃいけないんだよ……」と、利久が眉間にシワを寄せながらツッコんだ。


「いや、金持ちの子供って、俺の中だとお前達しか浮かばなかったからつい……」

「風麻くんの言葉を否定するつもりはないですけど、この学校は結構、親御さんが大手企業勤めだったり、規模はどうあれ社長の子息や令嬢だって方も少なくはないと思いますよ?」

 晶子の言う通り、風麻の父親だって大手企業勤めのサラリーマンだし、爽太も、従業員がたった数人という小規模経営ではあるが、建築デザイン会社社長の息子である。


 大金持ちとは呼べなくても、どちらもそれなりに裕福な方だ。


「あ~クソっ!ますます誰が犯人なのか予測ができねぇ~っ!!」

 ――と、風麻が腰に両手を当てがい、後ろに仰け反るようになって叫ぶと、ドンっと背中が誰かとぶつかってしまった。


 同時に、ガシャッと床に何か硬いものが落ちた音がして、風麻が振り向くと、どうやらぶつかった相手の物と思われるスマートフォンだった。


「あっ、悪りぃ……っ!!」

 ぶつかったのは男子生徒で、風麻は慌てて謝ると、床に画面側を伏せるようにして落下したスマホの無事を確かめるべく、それを拾い上げる。


「……っ」

「ごめん!画面割れてなっ――!?」

 スマホの液晶を見た瞬間、風麻は驚愕に息を呑む。


 少し薄暗くなったその画面に映っていたのは、先日靴箱に入れられてた写真と同じ、緑依風の姿だったからだ。


「……お前が嫌がらせの犯人なのか?」

 風麻が、長い前髪の男子生徒に画面を向けながら問いただす。


「…………」

 男子生徒は肩を落とし、項垂れるように俯いたまま何も言わない。


「おい、答えろ……っ!緑依風の写真を撮って靴箱に入れたのはお前なのか!?」

 風麻が更に男子生徒に詰め寄り、尋問を繰り返すと、男子生徒は急にぶつぶつと聞き取れない程小さな声で呟き、肩を震わせる。


「……おま……さえ、いな……れば……!」

「…………?」

「おまえさえっ、いなければ……っ!!」

「――――!?」

 突然、前髪の隙間から、殺意にも似たような鋭い眼光を風麻に向けた男子生徒。


 男子生徒は、風麻が怯んだ隙を狙って、すぐ後ろの防火扉に彼を思いっきり突き飛ばす。


「――うわッ!!」


 ドンッ――と鈍い音と共に、体の背面を強打した衝撃で、風麻は男子生徒のスマホを手から落とし、そのままズルリと床へ座り込む。


「風麻っ……!!」

「風麻くん……っ!!」

 利久と晶子が、後頭部を押さえながら呻く風麻に駆け寄ると、男子生徒は落ちたスマホを拾って奪い返し、どこかへと逃げ去ってしまった。


「……っ」

「大丈夫か風麻……!?」

 利久が聞くと、風麻は「うぅ~っ、いってぇ~っ……!」と、一番強く打った場所を押さえながらも、何とか立ち上がる。


「くっそ~っ、あのやろぉ……!たんこぶできたじゃねぇか!!」

 風麻は、ポコッと腫れてしまった自分の後頭部をいたわるように撫で、悔しそうに男子生徒が走っていった方角を見つめた。


「――それより、あいつは……?なんか、顔は見たことある気がするけど、名前は知らん……」


 長い前髪、大人しそうな雰囲気――どこかで見覚えのある風貌だった。


 しかし、いつどこで見たのか。

 二年生の証である赤いネクタイを着けていたということは、同学年で間違いない。


「あれは……」

「須藤……須藤白也だな」

 晶子が答える前に、利久が男子生徒の名前を言う。


「知ってるのか?」

「去年、一年二組で同じクラスだった。僕らと同じ地区に住んでるやつで……まぁ、金持ちの子だよ」

「須藤……どっかで聞いた名だな……?」

 風麻はたんこぶを気にしながら、その名前をどこで聞いたのか記憶を辿る。


「うちの近所じゃ、あの家の夫婦はどちらも人の評価ばかり気にして、高慢で高飛車だって有名なんだ。だけど、息子の方は声すら殆ど聞いたことがないくらい、物静かで目立たないタイプ……というより、学校にもあまり来てなかった気がする……」

「――そうだ、あいつ確か……!!」

 利久から須藤の特徴を聞いた途端、風麻は彼とどこで出会ったのかを思い出した。


 先週、廊下を歩いている最中、顔に直撃したボールで鼻血を出し、緑依風に介抱してもらった男子生徒だ。


 名前も、後日緑依風がハンカチを返しに来た彼を呼んだことで、聞き覚えがあったのだった。


「そういえば、晶子は今も……」

「はい、同じクラスです」

 晶子が頷いて答えると、「それならちょうどいい」と利久は言い、須藤が教室に戻ってくる前に、彼の鞄や机の中身を調べて欲しいと頼んだ。


 他人の荷物を勝手に探るのは少々気が引けるが、そうも言ってられない状況だと割り切り、風麻は利久と共に二組の教室前で、晶子を待つことにする。


 しばらくすると、晶子は封筒のような何かを手にしながら二人の元に戻り、「ありました……」と言いながら、風麻にそれを差し出した。


「緑依風ちゃんの写真……それから、風麻くんのも……」

 風麻が封筒の中身を取り出すと、今朝と同じく風麻の写真にのみ赤いペンでバツ印がつけられており、これまでと同一犯だということがわかる。


「とうとう尻尾を掴んだぜ……!」

 風麻は、ニッと笑みを浮かべて証拠写真を見つめると、すぐに梅原先生と竹田先生に報告することにした。

 

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