第249話 写真


 一日の授業が終了し、放課後になると、夏城中学校の生徒たちは来たる文化祭に向けて準備を進めていた。


 一年生の教室からは歌声が。

 三年生の教室からは演劇の練習の声が聞こえてくる。


 二年生は、展示に向けた活動を行っており、どんなものを作るかイメージ案が決まったクラスは、布にビーズを縫い付けたり、段ボールや画用紙に絵の具を使って絵を描いたりして、飾り付けるオブジェの制作を始めていた。


「はぁ……木星って、こんなに複雑な模様してるんだね……」

 緑依風と共に木星の製作担当となった奏音は、梅原先生が用意してくれた本を見ながら、面倒くさそうに言った。


「絵の具で制服汚さないようにしなきゃ……。これアクリル絵の具だから簡単に落ちないよ……」

 緑依風は絵筆から滴が落ちないよう気を付けながら、丸く切った段ボールに色を塗っていく。


「私、この地道な作業苦手だ~……。おまけにこの後は部活だし……」

「文化祭の準備に部活もあるって大変だね……。しかも奏音、女子バレー部のキャプテンになったんでしょ?」

「まぁね……。技術だけで言うなら立花とか他の子の方が適してたと思うけど、任されちゃったからにはやるしかないか!……って。だからごめん、一年だけで自主練なんてまだまだできそうにないから、四時半になったら部活に行くね」

 奏音が両手を合わせて謝ると、二人の後ろからやって来た風麻が、「これやる」と言いながら床に座り、緑依風の手に小さなチョコレートを渡した。


「え、どうしたのこれ?」

「こっそり持ってきたやつ。相楽もほら……」

 風麻は他のクラスメイトの視線を気にしながら、奏音にもそっとチョコレートを渡す。


「部活行く前に何かつまんでおかねぇと、腹減りで動けなくなりそうだからな……」

 風麻はそう言って包みを開けると、サッと口の中にチョコを放り込んで、ゴミをポケットに入れた。


「成長期だからじゃない?坂下ホントにデカくなったよね……。去年私とそんなに背変わんなかったのに……」

 奏音の言う通り、入学時の二人の身長差は五センチ程だったが、今では十センチ以上も差が開き、体格の違いがよくわかる。


「デカくなるのは嬉しいけど、最近成長痛もヤバくてさぁ……関節痛くて夜寝づらいんだよなぁ……」

「去年までは伸びないって悩んでたのにね」

 緑依風がふふっと笑うと、風麻は「タイムマシンがあれば心配すんなって言いに行くな!」と言いながらニヤリと笑った。


「風麻~!天井から吊るすやつの糸の長さ一旦見てみたいから、こっち手伝ってくんねぇ?」

 他の男子と脚立に上る直希が呼び掛けると、風麻は「おっし、わかった!」と返事をし、「んじゃ、俺ももうちょいしたら部活に行くわ」と緑依風に言って、直希達の元へと向かった。


「ねぇ、坂下の背……三橋よりもデカくなった?」

「あ……」

 奏音に言われて二人を見比べてみると、ほんのごく僅かだが、風麻の方が高く見える。


「すごい成長期……。一学期までは坂下の方がもうちょっと小さかったのに。まぁ、三橋は髪が跳ねてるから、そこまで坂下との差が気にならないけど。……緑依風、よかったね~!」

「う、うん……!」

 夏休み期間中も、緑依風は風麻と家が隣同士なこともあり、ほぼ毎日のように顔を合わせしていたし、彼の成長スピードは実感できなかった。


 でも今、直希と並ぶ風麻を見ると、たったひと月半でも彼が伸びていることがよくわかる。


 *


 帰り道。

 一人で下校する緑依風は、最近の風麻のことを考えながら、去年、その前の風麻を思い出そうとしていた――が、彼の姿や自分にくれた嬉しい言葉は脳裏に蘇っても、もう声までははっきりと思い出せない。


 昔、人間は相手のことを忘れる時、一番最初に消える記憶は『声』なのだと何かで知った。


 一年前、風麻が変声期を迎え始めた頃は、絶対に忘れるものかと思っていたのに、頭の中に残るどの声が風麻の正しい声なのか、わからなくなってしまっていた。


「(タイムマシンがあれば……もう一回会いに行けるのになぁ……)」

 風麻の成長ぶりは嬉しいこともあれば寂しいこともある。


 そんなことをぼんやりと考えながら歩いていると、急に背後から何かの強い気配を感じた。


「…………!」

 緑依風が振り返ると、犬の散歩をしながら走っているおばさんがいたが、その人は緑依風に何か話しかけるわけでもなく、犬に引っ張られるようにして彼女の横を通過していった。


「……気のせいか」

 独り言を呟き、胸を撫で下ろした緑依風は、再び前を向いて歩き出す。


 だが、不気味な気配はその後も何度か続き、自宅付近に辿り着くまで感じることになるのだった。


 *


 翌日。

 緑依風は、昨日の謎の気配が、気のせいでは無かったと思い知ることになる。


 この日はバレー部が男女共に部活の無い日だったため、早退した亜梨明以外のメンバーで久しぶりに帰ろうとしていた。


 爽太と星華が所属する一組も、ようやく作業に取り掛かり始めたようで、星華は「とびっきり可愛くてえるやつ作るから!」と、普段はこういった製作を面倒くさがるくせに、自分の好きなものを作れることで、やる気がみなぎるようだ。


「ホントはさ~!もっとやりたい飾りとかあったんだけどぉ~、ぴょんに「予算オーバーだ!」って言われちゃってさ~……!それなら、ちょっとくらいポケットマネー出してくれたらいいのにね~!」

「波多野先生が得することなんて何にもないのに、さすがにそれは無理だよ」

 爽太が言うと、「え~っ!生徒のハッピーな笑顔はプライスレスでしょーっ!」と、星華が反論する。


 緑依風は、一組の二人の会話を聞いて笑いながら三組の靴箱前に向かい、自分の通学靴が収納された小さな戸に手を掛ける――が、開けた瞬間、その中に広がる光景を目にし、ゾッと背筋を凍らせた。


「な……なに、これ……」

 靴箱の中に、緑依風の姿が写った写真が数枚、乱雑に入れられている。


 しかも、どれも違う写真で、校内で友達と話す緑依風の横顔や、帰宅中の後ろ姿など、いろんな角度や距離から撮られていた。


「緑依風、どうかし――っ!?」

 彼女の声を聞いて中を覗き込んだ風麻も、その後ろからやってきた奏音や爽太達も、靴箱の中の物を見て言葉を失う。


「誰だ、こんなことしたやつ……!」

 風麻は写真を手に取りながら、怒りのこもった声で言う。


「緑依風、大丈夫……?」

 星華は小さく震える緑依風の背に触れ、彼女の心を労わる言葉を掛けた。


 緑依風は、「うん、だいじょうぶ……っ」と返事をするが、本音は大丈夫ではない。


 怖い、どうして私の写真が……?


 込み上げて止まない恐怖心をなんとか耐えようと、緑依風が鞄の肩紐を持つ手にギュッと力を込めると、「とりあえず、先生に報告しに行こう」と爽太が提案し、五人は職員室にいる梅原先生の元へ向かうことにした。


 *


 その頃、須藤家では美味しそうな夕食の香りが漂い、エプロンを外して帰り支度をした家政婦の志野が、依頼主の息子の部屋のドアをノックしていた。


「坊ちゃん。お夕飯はテーブルに置いてますから、適当に食べてください。私は帰りますね」

 用件を伝えた志野は、須藤の返事を待つことなく部屋を離れ、荷物を持ってさっさと家を後にした。


 カーテンを閉め切ったままの薄暗い部屋の中では、カタカタというプリンターの音が響き、パソコン画面の青白い光に当てられた須藤の顔が、怪しく照らされている。


「ふふっ……そろそろ気付いたかなぁ~?」

 室内のデジタル時計を見ながら、須藤が独り言を呟く。


 パソコンには、写真編集用のソフトが起動されており、須藤は左親指の爪をカリカリとかじりながら、画面に映し出された緑依風の写真を拡大して余分な部分を切り取り、それをプリントアウトしていく。


「僕からの最初のプレゼントだよ、松山さん……」

 印刷された写真を恍惚の表情で見つめる須藤の部屋には、彼が盗み撮りした緑依風の写真がたくさん貼り付けられていた。


 特にベッド横の壁や、真上の天井には、隙間なくびっしりと写真が貼られており、須藤がベッドに寝転がれば、友達と会話をして笑う緑依風の顔、背後を気にしながら不安そうにする緑依風の顔がいつでも彼の目に映るようになっていた。


「僕の与えたもので不安になっている間の松山さんは、僕の支配下にあるのと同じさ……ククッ」

 須藤は、写真に写る緑依風を指で撫でながら語りかけると、それも壁の空いてる場所に貼りつけてニタ……と嗤い、昼過ぎに自分宛てに届いた荷物を箱から取り出す。


 箱の中には厳重な梱包をされたボールペンが入っているが、このペンはただ字を書くためだけのものではない。


「これなら、誰にも気付かれずにたくさん写すことができる……」

 ボールペンらしき細長い物の上部には、本来ならあり得ないはずの電子機器を接続できる箇所があり、箱には撮影機能についての説明が簡潔に表記されていた。


「少しずつ少しずつ、松山さんを僕でいっぱいにしてあげなきゃ……。他のことなんか考えられなくなるくらいに……。そして最後は君の全部を……僕の物にしてあげるからね……」

 この先に計画していることを想像した須藤は、高ぶる感情に全身を打ち震わせ、湿っぽい息を吐いた。


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