第247話 久しぶりの学校(前編)


 週が明けて月曜日。

 まだ朝の七時前だというのに、窓の外ではすでに小鳥とセミが鳴いていて、カーテンの隙間からも眩しい光が入り込んでいる。


「う~っ、フィーネ~……重いよぉ~っ……」

 横向きになって眠る亜梨明の上にフィーネが飛び乗り、朝が来たことを知らせるように「ニャー」と鳴けば、亜梨明の頭もみるみる覚醒し、眠気が遠のいていく。


「あ、学校!」

 ガバッと薄い夏用の羽毛布団を跳ねのけると、驚いたフィーネはベットから降り、亜梨明はぐーんと背伸びをして「あはは、おはよ!フィーネ」と愛猫に挨拶をした。


 新学期が始まって一週間。

 病気治療のために長期欠席をしていた亜梨明は、今日からようやく復学することができるのだ。


 久しぶりに制服に身を包むと、「見てみて!」とフィーネにお披露目する亜梨明。


 亜梨明が最後に登校したのは四月で、その当時はまだ冬服だった。

 白いセーラーと、薄茶色のスカートの夏服を最後に着たのは去年の九月末で、実に一年ぶりとなる。


「あ~っ、朝から嬉しくなっちゃう!!」

 亜梨明がそう叫びながらフィーネを抱き上げ、くるくると部屋の中央で回っていると、「朝から何騒いでんの……」と、寝ぼけ眼の奏音が、ノックもせずドアを開け、やかましそうに睨んでいた。


「おはよう、奏音!」

「……はぁ、こうなる予感はしてたけど、もう少し静かにして。目覚まし鳴るまであと五分あったのに……」

 奏音がそう言って、あくびをしながら扉を閉めると、亜梨明は「えへっ、ごめんなさーい」とフィーネを抱いたまま謝り、部屋を出て洗面所へと向かった。


 顔を洗って歯を磨き、自慢の長い髪もブラシを掛け、ヘアピンで横髪を留めると、鏡の前に久しぶりの中学生らしい自分の姿が映り、亜梨明の顔から自然と笑顔がこぼれる。


「(……やっぱり嬉しいなぁ~!)」

 ついひと月前までは、病院の鏡でパジャマ姿の自分ばかり見る生活だった。


 自宅療養中も、パジャマから着替えこそするが、学校に通わないのに制服を着るなんて無いため、この制服姿というのは自分が元気になった証みたいで、去年も着た物なのに特別な気分になる。


「おっはよう~!」

 亜梨明がリビングの扉を開けると、ちょうど父の真琴が朝食を終えたところで、母の明日香は娘達のご飯の準備をしている最中だった。


「おはよう、亜梨明」

「おはよう。今日からお姉ちゃんも学校か……」

 明日香に続いて挨拶を返した真琴は、穏やかな微笑みを向けながら、亜梨明の頭を撫でる。


「うん!今週は半日だけだけどね!」

「楽しんでおいで。でも、まだ体を慣らす間は――」

「無茶はしない!でしょ?」

「ふふっ……なんだかこんな感じのやりとり、前にも見た気がするわね」

 カウンターキッチンから二人のやり取りを見た明日香が、娘二人分の朝食を運びながら言うと、亜梨明は真琴と一緒にちょっぴり照れるように笑い、「そうかも」と言って自分の席に着いた。


「真琴くん、今日はコーヒー?紅茶?」

「あぁ、自分で淹れるよ。子供達のご飯やってあげて」

 真琴が椅子から立ち上がり、食後用と職場に持っていく紅茶の用意をすると、明日香は「ケチャップ制服に落とさないでね」と言って、バターロールにウィンナーを挟んだホットドックを亜梨明の前に置いた。


「それからお薬も飲んでから行くのよ?あと今日も暑いから登下校中に気分が悪くなったら、すぐお母さんに電話し――」

「あ~もう、わかってるよ~!お母さんも前とおんなじようなこと言ってる~!」

 亜梨明が唇を尖らせ、拗ねながら言うと、今度は真琴が「あはは」と笑って、明日香が困り顔になって照れていた。


 *


『いってきまーす!』

 亜梨明と奏音が元気よく挨拶をして家を出ると、明日香は「いってらっしゃい」と玄関で嬉しそうな笑みを浮かべながら娘達を見送る。


 猫のフィーネだけは、大好きな亜梨明がどこかに出かけてしまうことが寂しそうだったのだが。


 家から数メートル程離れると、今日何度目かわからない、『学校に行ける喜び』に胸いっぱいになった亜梨明が、「んふふ~」とニコニコしながら声を漏らす。


「また一人で笑ってる」

 奏音が横から指摘すると、「だってだって、嬉しいんだもーん!」と、亜梨明が髪を揺らしながら言った。


「五か月ぶりの学校だよ!みんながお見舞いに来てくれるのを待たないで、自分の足で学校に行って会えるんだもん!勉強も一人で問題集を解くんじゃなくて、クラスの子と教室で受けられるんだよ!ずーっと笑ってられちゃうよ!」

 そう自分で言っておきながら、奏音ならきっと呆れたような言葉を返してくると思っていた亜梨明だが、隣にいる双子の妹は、ふっと表情を崩すと「そうだね」と言って頷いた。


「…………!」

 予想外の反応にびっくりした亜梨明が口と目を大きく開いて固まると、奏音は「な、なによその顔は……」訝しみながら聞く。


「だって、奏音が素直……」

 ――と言った途端、亜梨明の頭に奏音の手のひらがペシッと飛んでくる。


「あいたっ!!……んもぅ!何で叩くの〜!?」

「あんたが失礼なこと言うからじゃない……!」

 頭を押さえる亜梨明に、奏音はいつも通りの呆れた顔を見せた。


「私だって、今日が待ち遠しかったよ……。亜梨明が元気になれるの、ずっと願ってたんだから……」

「…………」

「………っ」

 らしくないことを言った恥ずかしさに負けた奏音は、プイッと亜梨明から顔を逸らし、逃げるようにスタスタと数歩先に進んだ――が、ちゃんと亜梨明がすぐ追いつけるところでピタリと止まると、「ほら、ガッコ行くよ!」と言って、振り返った。


「……うん!」


 亜梨明の病気が治るまで……奏音も、亜梨明とは違うたくさんのことを我慢して、苦労してきたはずだった。


 東京に発つ前、母のいない期間中は奏音が学業の傍ら、父と二人で慣れない家事もこなさなければならないことを申し訳なく思い、口にした亜梨明だったが、その時も彼女はそれを頑張ると言い、やり遂げてくれた。


「ありがとう、奏音……」


 私が元気になれる日を願ってくれて。

 帰って来るのを待っててくれて。

 その全ての意味を込めて、亜梨明は奏音に感謝の言葉を述べるのだった。


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