第242話 その、少年。
翌日の昼休み。
今日の緑依風の昼食は、ハムとチーズ、たまご、ツナときゅうりの三種類のサンドウィッチに、黒ゴマで目を付けたタコウィンナーだった。
ちなみにこのメニューになった理由は、幼稚園に通う妹、優菜のリクエストで、緑依風は毎朝自分と妹の分もお弁当を作るため、彼女の要望があれば必然的にそれは緑依風のお弁当も同じになるのだ。
パンに合う甘いミルク系の飲み物を売店で買おうとしていた緑依風は、先に食べててと奏音に伝えると、小銭の入った小さな財布を手にし、教室を出る。
「あ、俺も行く!」
背後から聞こえた風麻の声に緑依風が振り向くと、彼も何か買うものがあるようで、黒い財布をポケットに突っ込みながら、小走りで追いかけてきた。
「何買うの?」
「デザートの菓子パン」
「デザートって……」
それは主食ではないのかと思いながら緑依風が言うと、「弁当だけじゃ食い足らねぇんだよ」と、風麻が付け加えた。
「この間、新しいでっかいやつ買ってもらったんじゃなかったっけ?」
「それでも足んなかった……。もう最近、食べ物が胃の中に入った瞬間別次元に消えてんじゃないかってくらい、満腹感が遠い気がする……」
「ふふっ、風麻の胃の中、ブラックホールでもできちゃったんじゃないの?」
「かもしんねぇ……」
そう言って、自分の胃のあたりをさすさすと撫でる風麻。
緑依風がその手を見ると、彼の指の関節の骨っぽさが、また前より際立ってきた気がした。
半袖シャツから伸びる腕も、筋肉によって太さが増して逞しい。
以前、彼の母である伊織は、風麻の骨格は彼の父である和麻に似ていると言っていたし、和麻は上背もあり、肩幅ががっちりとした頼りがいのある体をしている。
きっと、呆れるほど食べているはずなのに太らないのは、全部彼の体を作る栄養素へと変換されているからなのだろうと思った緑依風は、また「ふふっ」と嬉しそうに声を漏らした。
*
昼休みのみ開く売店で、緑依風はカフェオレを。
風麻はりんごの入ったカスタードデニッシュを購入し、教室へと戻ろうとする。
階段を上り切ると、すでに昼食を済ませた男子生徒が三人、外に出るまで待ちきれないのか、廊下でバスケットボールをパスして遊び始めていた。
緑依風がそんな彼らを見て、「危ないなぁ」と感じていると、その向こう側で、別の男子生徒がふざけた集団に阻まれて通れず、困っているようだった。
少年は、身を縮こませるようにしながら、人目を気にせず遊び続ける集団の間をそっと通り抜け、通り抜けた後も大きな笑い声に怯えるような様子で、背中を丸めて歩いていた。
「(あれ……?こんな子うちの学年にいたっけ?でも、見たことあるような、ないような……)」
去年のクラスメイトの顔は全員覚えているため、きっと別のクラスにいた子かもしれない。
しかし、顔と名前が一致しないとはいえど、同学年の顔や姿は大体わかっていた緑依風は、長くて重たげな前髪に隠れた少年の顔を把握するため、怪しまれない程度に観察しようとする――が。
「ヘイ!こっちパスパス!!」
「っぐッ――!!」
「…………!!」
少年の顔面に、勢いよく投げられたバスケットボールが直撃する。
ボールが床に落ちると同時に、少年はその場に顔を押さえながら床に座り込んでしまうが、ふざけていた連中は、そんな彼を気遣うフリどころか見向きもせずボールを拾い上げ、「どこ投げてんだよヘタクソ!」と、仲間内だけで会話して通過しようとする。
「大丈夫……!?」
緑依風が顔を押さえたまま動かない少年に駆け寄ると、彼の鼻からは大量の血が流れ出ていた。
「ちょっと!人にボールぶつけておいて、謝りもしないのっ!?」
緑依風はそう言って、廊下でボール遊びをしていた集団に怒るが、男子生徒達は「あーごめん!」と、言葉だけの謝罪で振り向くこと無く、グラウンドへ遊びに行ってしまった。
「今のは酷いな……」
一緒に現場を目撃した風麻も、彼らの行動に不快感を露わにする。
「これ使って……」
「…………」
緑依風はポケットから、二枚あるうちの未使用のハンカチを取り出し、少年の前に差し出す。
少年は「いいです……このくらい」と言って拒否するが、緑依風は「ダメ!結構鼻血酷そうだし、保健室行こう?」と自分のハンカチが汚れるのも厭わず、指の隙間から鼻血が漏れる出る彼の手に添えた。
「…………」
少年は、やや躊躇うようにもう片方の手でハンカチを受け取ると、会釈なのか頷きなのかわからない加減で首をゆっくり縦に動かし、それで鼻を押さえた。
「立てる……?頭ふらついたりとかしてない?」
緑依風が聞くと、少年はコクっと無言のまま頷き、よろめきながら立ち上がる。
「風麻、私この人を保健室まで連れて行くから、悪いけどこれ教室に持ってって」
「えっ?俺も一緒に行くよ」
風麻が言うと、緑依風は「付き添うだけなんだし、一人で平気だよ。奏音にも遅くなるって伝えて欲しいし」と言って、カフェオレを預ける。
「じゃ、行こうか。あ、鼻押さえながらじゃ歩きづらいだろうし、階段とか気を付けてね」
緑依風は少年が転倒しないよう注意しながら、彼の歩調に合わせてゆっくりと歩く。
「風麻、お願いね!」
「あ、あぁ……」
風麻は、緑依風が少年と階段を下りて行く姿を見送ると、ムッと口先を尖らせながら三組の教室へと戻った。
*
保健室に辿り着くと、養護教諭の柿原先生はすぐに少年の手当てをしてくれた。
「触っても痛くないなら、骨は折れて無さそうね」
「よかった……」
柿原先生の言葉を聞き、緑依風はホッと胸を撫で下ろす。
「詰め物するから、ちょっとだけ上を向いて」
少年が言われた通りに上を向くと、前髪に遮られてよくわからなかった顔が、少しだけ明らかになる。
細い目と細い眉、薄い唇――いわゆる蛇顔という表現が似合うが、決して悪い意味ではなく、ミステリアスな雰囲気が漂う顔立ちだ。
ちなみに背丈は緑依風より高いが、風麻ほどではない。
体格は華奢だが骨は太そうで、シャツから覗く鎖骨や、薄い首元の皮膚から突出した喉仏が、そこはかとない色っぽさを醸し出し、もしここに星華がいたなら高評価されていただろうなと、緑依風は思った。
「はい、もういいよ。あとは完全に血が止まるまでここに座って、安静にしててね」
「……はい」
少年の手も綺麗に拭いた柿原先生は、「それから……書けそうなら、ここに学年とクラスと名前を書いてくれるかな?」と、今月保健室に来た生徒の名前を記録をするための紙を渡した。
少年は、細い白枠の中に【二年二組
「松山さんは、もう教室に帰って大丈夫よ」
「はい。須藤くん、お大事にね」
緑依風が帰り際に労わる声を掛けても、須藤は小さく会釈をするのみでお礼の言葉は言わなかったが、緑依風はそれを特に気にすることも無く、保健室を出て行った。
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