第18章 騎士と狩人

第241話 モチをやく


 九月。

 緑依風達が中学生になってから、二度目の二学期が始まっている。


 亜梨明は宣言通り八月中に退院できたが、あと数日自宅療養してからの復学となり、二年三組の生徒はまだ全員揃っていない。


「――つーことで!文化祭、うちのクラスの出しもんは、希望通り『宇宙』になりました!」


 朝のホームルーム。

 緑依風と共に学級委員長を務める直希は、クラスメイト全員が絶対に聞き逃さない声量で言った。


 夏城中学校では、二学期が始まってすぐ文化祭の準備。

 それと同時に体育祭の練習も開始され、一年の中で最も忙しい時期になる。


 文化祭の出し物は例年、各学年で何をやるか決まっていて、一年生は合唱、二年生は教室内での展示、三年生は演劇だ。


 この『展示』は、人気のある出し物で、たくさんの風船を飾ってカラフルな空間を造り上げるクラス、暗幕カーテンを使って教室全体を暗くし、生徒達も妖怪になり切ってお化け屋敷にするクラスなど、毎年様々なテーマで見る人々を楽しませていた。


 ちなみに去年、緑依風の従姉である海生のクラスは『空飛ぶ水族館』というテーマで、壁や床に青い布を貼り、天井から吊るした魚の絵を飾っていた。


 絵を描くのが得意な海生は、クラスに展示された魚の半数以上を描いたらしく、文化祭終了後はいくつか持ち帰り、彼女の父親の店の看板に貼り付けていたらしい。


 ホームルームが終了すると、「宇宙って結局、どういう飾りつけすんの?」と、緑依風の元にやって来た奏音が聞いた。


「ん~……星とか、惑星とか……」

「宇宙人とか、UFOとか?」

「コミカルな方向にするのか、もう少し幻想的な雰囲気を目指すのか、その辺もまた放課後に決めないとだね~……」

 どちらも面白そうだが、自分としてはプラネタリウムみたいな綺麗でロマンチックなものにしたい――と、緑依風が考えている時だった。


「松山さん」

「ん?」

 緑依風が声のする方へ振り向くと、斜め後ろの席に座る眼鏡を掛けた男子生徒、大原おおはらが、「あのさ、消しゴム二つ持ってる?」と聞いた。


「うん、あるよ!」

「悪いんだけど、消しゴムなくしちゃったらしくてさ……放課後まで貸してくんない?」

「いいよ。はいどうぞ」

 緑依風から予備の消しゴムを渡された大原は、「助かる、ありがとう!」と、少し照れ笑いのような表情を浮かべて礼を言った。


「……まず、すぐ横の上田さんに聞けばいいのに、なんでわざわざ緑依風に聞くのか」

 奏音が大原の隣にいる上田に目配せしながら、緑依風の耳元でヒソヒソと話す。


「まぁ、私なら絶対持ってるって思ったんでしょ?シャーペンも赤ペンも必ず二本ずつ持ち歩くようにしてるし」

「だから緑依風のペンケースいつも重いんだよ……」

「だって、無くしたり壊れたりした時困るし。今みたいに誰かに貸してあげることもできるでしょ?」

「それ、貸す前提で持ってるんだ……」

 奏音は呆れたように苦笑いしているが、緑依風は自分のちょっとした行動で誰かの役に立てることが嬉しく、多少荷物が重くなろうが苦ではなかった。


 四時間目の授業が終了すると、今度はクラスのお調子者の男子生徒、矢井田が「松山~」と緑依風に声を掛ける。


「悪いけど、数学のノート貸してくれねぇ?黒板のやつ全部書き写せなかったとこがあってさ~!」

「え~っ、またぁ~?」

 矢井田は一学期にもしょっちゅうこういったことがあり、それは大体居眠りか、隠れてスマホを触っているからだと知っている緑依風は、大原の時とは違い、少々不満そうに返事をする。


「も~っ、真面目に授業受けなよ……。昼休み終わるまでに必ず返してよね」

 そう言いながらも、緑依風は一旦机にしまったノートを取り出し、矢井田に差し出す。


「へへっ、サンキュー松山!お前のノート綺麗で読みやすいから、自分で直書きするよりテスト前振り返りやすいんだよな!」

「もしかして、最初っからそれ目当て……?」

「いやいや、まさか!んじゃ、急いで書き写すから!」

 矢井田は席に戻ると、早速緑依風のノートを開き、自分のノートに写し始めた。


「はぁ~っ……」

「緑依風、二学期に入ってからますますモテますなぁ~!」

 昼食を持って三組に遊びに来ていた星華が、ニヤニヤしながら言った。


「モテるって……。ただ便利で頼みやすいだけでしょ……」

「そんなことないと思うよ。緑依風なんかまた綺麗になった気がするし、セーラー服の張り具合も一学期の頃より~……スキありっ!!」

「――ひぁっ!」

 星華に片胸を掴まれた緑依風は小さく悲鳴を上げると、羞恥と怒りに顔を真っ赤にさせ、彼女の脳天に拳を落とす。


「いだーっ!!!!」

 ゴンっと鈍い音共に、星華が低い声で叫ぶ。


「あ、ん、た……やめろって、何回言わせる気なのっ!?」

 同性だけの場でも嫌なのに、男子生徒も多数いる教室での星華の行為に、緑依風は肩を震わせながら叱るが、星華は痛みにジワリと滲む涙をウィンクで弾けさせ、「やだなぁ、スキンシップですよ……!」と茶化し、反省していない様子だった。


「空上凝りねぇなぁ~!」

 少し離れた所で、緑依風達のやり取りを見ていた直希は、ケラケラと笑いながら目の前の風麻に話を振る。


 風麻はやや顔を紅潮させながら深くため息をつき、「もう少し警戒して欲しい……」と零しながら弁当箱を開いた。


「ま~確かに。空上がそういうヤツってわかってるはずなのに、ちょっと隙があり過ぎだよな~松山って」

「そっちじゃなくて……イヤ、そっちもだけど……」

「?」

 頬杖をついた風麻は、女友達と昼食をとり始める緑依風と、緑依風に対して下心がある矢井田を交互に見る。


 以前彼らが緑依風のことを話題にして盛り上がっていた件で、彼女にそれを名差しで伝えたわけではないが、風麻はそれを知っている以上、あまり緑依風と矢井田に接点を作りたくない。


 矢井田以外にもだ。

 緑依風に興味を持つ男子生徒は、彼の他に何人かいて、軽い気持ちの者もいれば、本気で恋人同士になりたいと願う者もいる。


 *


 放課後。


 緑依風に消しゴムを返す大原を睨みつけるように眺めた風麻は、大原が去っていったタイミングで、「おい……」と言いながら緑依風に近寄る。


「お前、あんまり周りにいい顔すんなよ」

「は?」

 イラついた口調の風麻に、緑依風はポカンとしながら聞き返す。


「簡単に物貸したりとか、誰にでも優しくするなってこと。なんでも快く引き受けてると、勘違いされるぞ」

「別に物の貸し借りぐらい、他のみんなだってやるじゃない……」

「なになに~?坂下、もしかしてヤキモチ〜?」

 爽太と共に、三組の教室まで来ていた星華が、ニヤニヤと面白いものを見るように聞くと、風麻は「なっ!?」と短く唸り、一気に全身を赤く染め上げた。


「そっ、そんなんじゃねぇよ!……爽太、相楽部活行こうぜ!!」

「はいはい」

 ズンズンと前を歩く風麻に、爽太はニコニコとしながらついて行った。


「あれもう、完璧に緑依風のこと好きって感じじゃん」

 奏音が言うと、「さっさと認めればいいのにね〜」と、星華も緑依風の顔を見上げながら言う。


「うーん……でも、認められないってことは、風麻の中ではまだそうじゃないんだよ。多分、風麻に好きって思ってもらえる何かが……私に足りてないんだ」

 風麻が通った廊下を見つめ、肩を落とす緑依風。


 早く答えが欲しい。

 でも、焦らないで欲しいと思う感情が、胸の内で燻っていた。


 *


 その頃。

 階段を下りきって、体育館へと向かう風麻と爽太は、文化祭について話をしていた。


「三組は展示のテーマ何にしたの?」

 爽太が聞いた。


「宇宙。パネルに色塗って星描くんだってさ。そっちは?」

「バルーンとフラッグを使った、SNS映えのするアートだって!文化祭の日はスマホの使用オッケーだし、女子やカップル受けを狙おうって、空上さんが」

「空上、マジでそういうの大好きだよな~……」

「本当は、お化け屋敷がうちのクラスの第一候補だったんだけど、くじ引きで二組に取られちゃって……。まぁ、空上さん的には結果オーライって感じだったみたいで、ご機嫌だったよ」

 爽太は負けたのに大喜びで飛び跳ねていた星華を思い出し、クスッと笑う。


「カップル向けなら、爽太も相楽姉と一緒に楽しめるな!そういや、来週から復帰するんだろ?」

「うん、でもしばらくは体を慣らすために早退か午後からの登校になるし、クラスも違うから、学校ではあまり亜梨明と会えないかな……」

「放課後家に会いに行ってやればいいじゃん」

「そうしたいけど、部活が無い日はクラスのみんなで展示物作らなきゃだから……。会いに行くのは、休みの日だけになりそう……」

 爽太が眉を下げながら残念そうに言うと、風麻も「そっか……」と彼の気持ちを汲むように言った。


 体育館に辿り着き、練習着に着替えていると、「ところで……」と爽太が風麻に振り向く。


「さっきヤキモチ妬いてたみたいだけど、松山さんの気持ちへの答えは出たの?」

「だーかーらーヤキモチじゃねぇって!」

「じゃあ、モチヤキ?」

「言葉逆にしたって、認めねぇぞ!ってか、なんだモチヤキって!!」

 風麻がムキになると、爽太は「あはっ」と笑う。


「……うーん、好きなのかもしれない。けど……」

「けど?」

 腕を組みながら唸る風麻に、爽太は小首を傾げて続きを待つ。


「明確にそう断言できるような理由が無いんだよなぁ……。だから違うのか、それともやっぱり好きになったのか……今の気持ちじゃ、判別がつかねぇ……」

「理由なんて、別にいらないんじゃないかな?」

「いるだろ!「どこが好きなの?」「なんで好きになったの?」って聞かれたら答えなきゃいけないだろうし、自分が緑依風のどこが好きなのか俺自身も知りたいし……。爽太は?どうして相楽姉を好きって思った?」

 風麻が参考にしようと思いながら聞くと、爽太はしばしの間考えた後、「どうしてだったかなぁ~?」と言った。


「多分、きっかけとかは……無かったかも」

「え……?」

「亜梨明と仲が悪くなってしばらくしてから、いつの間にか亜梨明のことが好きになってたんだって、気付いたから」

 風麻が亜梨明を好きになった時は、桜吹雪の中にいる彼女の儚げな姿に惹かれたからだった。


 そう説明できる理由があっただけに、彼の返答は意外で、風麻は目を点にして爽太の横顔を見る。

 

「……でも、亜梨明が僕を見て嬉しそうな顔をしてくれたり、名前を呼んでくれる度に、亜梨明のことが大好きだなぁって思うんだよね!」

「そ、そんなもんでいいのか?」

「そんなもんだよきっと。風麻だって、松山さんにそうなんだろ?」

「…………」

 爽太は「先にネット張っておくね」と言うと、考える風麻を置いて更衣室から出て行った。


「(好きって、そんな簡単な表現でいいのか……?)」

 もちろん、爽太の亜梨明への気持ちが軽いとは思わない。


 彼が亜梨明のために必死になっていた姿や、亜梨明のために涙した姿を何度も目にしたし、遠距離恋愛になってからも連絡をこまめに取り続け、そのやり取りの報告をしてくれる時の爽太の表情は、亜梨明を心から愛していると信じられるものだ。


 爽太的には、『誰かを愛するのに難しい理由はいらない』と言いたかったのだろうが、風麻は彼と同じように考えられなかった。


 幼き日からずっと好いていてくれる彼女の真心に、それでは釣り合わない気がして。


「…………」

 早く答えてやりたい。

 待ち続けてくれる緑依風のために。


 でも言えない。


 長年、一途に想い続けてくれる彼女のために。


 

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