第238話 ママみたいに(前編)


 星華が幸乃と出会った夜から約二週間後。


 この日は、すみれの仕事が休みだったので、星華は母と共に冬丘のショッピングモールにお出かけする予定だったのだが、すみれが職場に忘れ物をしていたらしく、急遽病院に寄ってから向かうこととなった。


 星華は、ロビーのソファーに座らされると、「すぐに戻るから」とすみれに言われ、ポケットに入れてたラムネを食べながら、母が戻って来るのを待っていた。


「ママ、まだかなぁ~」

 星華が独り言を呟き、足をプラプラ揺らして人通りを眺めていると、そんな彼女の前をむくれた表情で通過する女の子の姿が。


「幸乃ちゃん!」

 星華が声を掛けると、幸乃はその声に気付いて振り返る。


「あ、さいかちゃん」

「さいかじゃなくて、せ、い、か!だよ!」

 星華が訂正すると、幸乃は小声で星華の名前を何度も繰り返し、今度こそ覚えたようだ。


「お兄ちゃんのお見舞いにきたの?」

「ううん、お見舞いはきのうでおしまい。きょうは、お兄ちゃん退院するから、お父さんたちとおむかえにきたの……」

「ふーん、よかったじゃん!おめでとう!」

 星華がそう言うと、幸乃は何故だかますます不機嫌な顔になり、着ている花柄のワンピースの裾をギュッと握る。


「どしたの?うれしくない?」

「…………」

 幸乃は、星華の質問に無言で頷くと、溜まりに溜まった不満をゆっくりと零し始めた。


「せっかく……おじいちゃんちにきたのに。どこにもあそびにつれてってもらえなかった……。プールもダメ、水族館もダメ、くるくるのおすしもダメ。いくって約束したのに、お兄ちゃんだけいけないのはかわいそうだからがまんしなさいって……」

「…………」

「いつもそう。お父さんもお母さんも……おじいちゃん達も、みんなみんなお兄ちゃんばっかりしんぱいで、お兄ちゃんががまんしてるんだから、幸乃もがまんしなさいっていうの……。こんなのばっかり……!お兄ちゃんなんて、いらないっ……!」

 幸乃は裾を握ったまま、地面をドンっと強く踏み鳴らし、下を向いて黙り込んでしまった。


「……お兄ちゃんのこと、きらいなの?」

「…………」

 星華が尋ねても、幸乃は何も言わない。


「保育園のゆーくんは、お兄ちゃんがいるとあそんでもらってたのしいっていってたよ?」

「…………」

「きょうこちゃんはこのあいだ、お兄ちゃんとカステラ半分こするとき、おおきいほうをくれたってじまんしてた。あたし、ひとりっこだから、そういうお兄ちゃんだったらほしいな。幸乃ちゃんがいらないなら、あたしがお兄ちゃんもらおっか?」

 星華がそう聞くと、幸乃は突然その場にしゃがみ込み、腕で顔を隠しながらふるふると首を横に振った。


「ダメ、あげない……」

「?」

 星華も幸乃と同じようにしゃがむと、幸乃は腕にくっつけていた顔をそっと上げた。


「うちのお兄ちゃんも、げんきな日はわたしとあそんでくれる……。半分こしたおやつは、いつもおおきいほうをくれる……。わたしがころんで泣いちゃったら、おうちまでおんぶしてくれる……」

 幸乃は、じわじわと滲み出る涙を、腕で擦り拭きながら兄のことを語ると、ズッと鼻を鳴らし「だから、星華ちゃんにあげない」と言い、立ち上がった。


「お兄ちゃんに、ずっとげんきでいてほしい……!」

 幸乃の本心を聞くと、星華もすくっと立ち上がり、「だいじょうぶだよ!」と言った。


「幸乃ちゃんのお兄ちゃんが何回くるしいのがきても、ママが何度でもなおしてくれるよ!」

「ほんと?」

「ほんとだよ!ママは、ぜんそくはなおせるっていってたもん!」

 星華が断言すると、幸乃は「うん!」と頷き、星華のママを――その娘である星華のことも強く信じ切った気分になっていた。


「お待たせ、幸乃!」

 後ろから声が聞こえて振り向くと、幸乃の父と母。

 そして、父に抱っこされた幸乃の兄、清介の姿があった。


「あ、空上先生の娘さん……」

「星華ちゃんだって!」

 幸乃が父に星華の名を紹介する。


「星華ちゃん、ママにお世話になりました。今日はお休みで会えなかったんだけど、幸乃のパパが『ありがとう』って言ってたよって、伝えてもらえるかい?」

「うん!」

 星華が承諾すると、母に手を引かれた幸乃が「ちょっとまって!」とその手を引っ込め、星華と正面になるよう向き合う。


「……ねぇ、星華ちゃん。わたしの本当のおうちは、ここからちょっととおいけど、わたしとともだちになってくれる?」

 幸乃は少し恥ずかしそうにモジモジしながら、上目遣いで星華の返事を待つ。


「うん、いいよ!またあえたら、こんどはいっしょにあそぼうね!」

「うん!……じゃあ、バイバイ!」

「バイバイ!」

 星華が手を振ると、幸乃は今度こそ家族と共に帰っていった。


 出入口の扉近くまで来たところで、抱っこされていた清介が、父に降ろして欲しそうに訴え、地に足を付けると、彼は幸乃の手を繋ぎ、そのままおんぶもしようとして、両親にやんわりと止められていた。


 星華は、そんな兄妹の仲睦まじい様子をちょっと羨ましく感じつつも、元気になった清介の姿を見て、やっぱりママはすごい!と、母への尊敬の念をますます大きく膨らませたが、後に起こる悲しい出来事が、小さな少女の夢を粉々に砕くことになるのだった。


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