第236話 医者の娘(前編)
星華が走り去っていった後。
緑依風と奏音は、初めて見た彼女の動揺ぶりに驚き、唖然としていたが、ゆっくりと振り返ると、先程からこちらをじっと見ていた少女と目が合った。
「…………」
髪を後ろで一つに結び、真っ黒に日焼けした肌の少女は、バツの悪そうな顔で小さく会釈をし、斜め下を向く。
「あら、星華は?」
「あ、おばさん」
いつの間にか緑依風の斜め後ろに、眼鏡を掛け、青いスクラブの上に白衣を纏った星華の母、すみれが立っていた。
「患者さんをドアの外まで見送ったら、ちょうどみんなの姿が見えたから、てっきり私に用かと思ったんだけど……」
「星華なら、これおばさんに渡して欲しいって言って、あっちに走っていきましたけど……」
奏音が、差し入れの入った袋をすみれに渡しながら説明すると、「空上先生……」と、少女がすみれを呼んだ。
「えっと……ごめんなさい、どちら様かしら?」
「…………」
少女のことがわからず、すみれが尋ねると、少女は「あ、あの……」と、緊張したように声を震わせて、俯きがちになりながら名乗った。
「……私。昔、空上先生に診て頂いてた、
「――――!」
伊田清介。
その名を聞いた瞬間、すみれは「はっ」と短く息を呑み、表情を曇らせる。
「先生……。あの時は何も知らなかったとはいえ、本当に失礼なことを言いました……ごめんなさい!」
少女はすみれに深く頭を下げ、『あの時』のことを謝罪した。
すみれはしばらく沈黙していたが、悲しそうな顔のまま首を横に振ると「頭を上げてちょうだい……」と静かな声で言った。
「…………」
「あなたが言ったことはその通りだった……。私がお兄さんを助けられなかったことは、事実だから……」
少女は唇を噛み締めたまま顔を上げると、「いえ……」とすみれの言葉を返した。
「あの後、父に聞きました。兄はもう、この病院に辿り着く前に手遅れだった。それでも空上先生が受け入れてくれて、蘇生措置をしてくれたって。お兄ちゃんのために、泣いてくれたって……」
「…………」
「お兄ちゃんもきっと、先生が助けようと一生懸命になってくれたこと、感謝してると思います。生きていた時も、優しくていい先生だったって、私や父に話してました。――あの、それより星華ちゃんが……」
「星華……」
少女が星華が走っていった方向に顔を向けると、すみれも同じく振り返る。
「なんか、星華すごく焦ってたっていうか、急に様子がおかしくなって……」
奏音がすみれに先程の星華の状態を伝えると、少女は肩をすくめ、責任を感じるように小さくなった。
「困ったわ……。星華を探しに行きたいけれど、私すぐに病棟に戻らなきゃいけないの……」
「大丈夫です。星華のことは、私と奏音が探しますから!」
緑依風が星華の捜索を申し出ると、すみれの仕事用スマホから呼び出し音が鳴る。
すみれは、「ごめんなさい、お願いするわね……」と、申し訳なさそうに言うと、電話の応答をしながら病棟へと向かった。
「とりあえず、星華が走ってったあっち探してみようか」
緑依風が言うと、「私も一緒にいいですか?」と少女が言った。
「いいけど、星華の知り合い……なの?」
奏音が聞くと、少女は「私、伊田
「私、星華ちゃんに謝らなければならないことがあるんです……」
幸乃はそう言って、緑依風達に星華に謝りたい出来事について語り始めた。
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