第232話 女の子の秘密(後編)


 追加でもう一つケーキを注文した女の子は、それもあっという間に食べ終え、再び緑依風に声を掛けた。


「なぁ、オーナーの娘ってことは、今まだ中学生やろ?去年テレビで見たって人から聞いたわ」

「はい。今二年生ですよ」

「せやろ?うちとおんなじや!」

 女の子はニカッと歯を見せて笑った。


「まだ仕事するん?」

「今日は、そろそろ終わりですかね?」

 緑依風はそう言って、壁の上部に掛けられた時計を見る。


 今日の手伝いは十時から十三時までで、現在は十二時五十二分だ。


「せやったら、少し話せぇへん?」

「え……いいけど……」


 誘われた緑依風は、木の葉のユニフォームから私服に着替えた後、女の子の元へ戻った。


 女の子は会計を済ませると、町を案内して欲しいと言った。


「案内って言ったって……この町、家ばかりで遊ぶとこ無いよ?」

 緑依風の言う通り、夏城町は何もない山林だった場所を開発した住宅地。

 若者が好むような娯楽施設は殆ど無い。


「ええねん、ええねん。この町がどんなとこか知りたいだけやから!」

「そう……。ねぇ、あなたこの辺の子じゃ無いよね?どこから来たの?」

 緑依風は思い切って、ずっと気になっていたことを聞いてみる。


「大阪!生まれはちゃうとこやけどな。うち、鷲崎わしざきみもりって言うねん。そっちは?」

「え……ま、松山……ですけど……」

 緑依風が躊躇いがちに苗字のみ名乗ると、みもりは「そりゃもう知っとるわ。オーナーの娘やし。下の名前!」と、語気を強めて言った。


「……り、緑依風」

 緑依風が観念したように下の名前も教えると、みもりはポカンと口を半開きにして「変わった名前やなぁ……」と遠慮無く感想を述べた。


「う……だから言いたくなかったのに……」

 緑依風が表情を引きつらせ、ため息をつくと、みもりは「でもええやん、個性っていつの時代でも大事やで!」と言いながら、彼女の背中をバシンと叩く。


「別に名前なんてあんたが決めたんとちゃうし、そんな恥ずかしがらんと堂々としとき‼︎」

 みもりは、未だ苦い顔の緑依風にニッと歯を見せて笑うと、「ほな、行こか」と、道もわからないのに歩き始めた。


「(なんか、思ったよりいい人かも……?)」

 最初は言いたい放題、主張の強い彼女を苦手だと感じた緑依風だが、先程の言葉に救われた気分になる。


 みもりは、すでに数メートル先まで進んでおり、「ほら、はよぅ案内して!」と叫びながら緑依風を呼んだ。


 *


 てくてくと、強い日差しに照らされたアスファルトの道を歩く、緑依風とみもり。


 ただ歩くだけではつまらないので、緑依風は彼女のことをもっと知ろうと、色々聞いてみることにした。


「ねぇ、みもりちゃん……一人でここに来たの?」

「せやで!……っつーても、途中までは親も一緒やけどな。今頃観光でもしてるんちゃう?五時までには、うちもそっちに戻らな……」

 みもりはそう言って、スマホで時間確認をする。


「何で夏城に?それに、さっきお父さんのことも聞いてたけど……」

「もちろん、木の葉のケーキを食べにや。ちょっとある人のために、木の葉とオーナーのことを調べたかってん」

「……何で?」

「それは、言えへん!……けど、安心して、危ない事情とかではないから」

 危ない事情ではないと言われても、わざわざ大阪からやって来て、店と父親の調査に来るだなんて普通じゃない。


 業界では名の知れた人物である、父の北斗。

 木の葉を訪れる人の中には、ただスイーツを楽しむことを目的とした者だけでなく、スイーツ評論家や同業者でライバルとなる者などもいる。


 彼の人気に嫉妬するような者までも。


 もしや、父と顔見知りで店に来ることはできないような人物が、子供を使って調査に来たのでは……?


 緑依風はそんなことまで考え始めたが、疑っていてもキリが無いので、一旦それは頭の隅に避けておき、街中の案内をすることにした。


 *


 町内をぐるっと歩き回って約一時間半。


 緑依風達は駅前のアイスクリーム屋のイートインスペースに座り、冷たいアイスクリームを食べて一息ついていた。


「本当に家ばっかりやったな……。家と病院とちっさい畑と田んぼと、バカでっかい豪邸と……」

 みもりは、ソファー席の背もたれに両腕をかけながら、「つまらへん……」と言って、天井を見上げる。


「だから、最初に言ったでしょ……」

 自分から求めたくせに、面白くない気持ちを微塵も隠そうとしないみもりに、緑依風は「はぁ~っ」と深いため息をついて呆れた。


 緑依風が案内したのは、学校や幼稚園、神社。

 まだ土地開発が進む前の名残がある田畑、夏城総合病院前。


 緑依風が住む家と同じくらいの規模の家が連なる住宅地から、晶子や利久などが住むレベルの豪邸が並ぶエリアや商店街、末っ子の優菜を連れてよく遊びに行く公園などだ。


 みもりが「つまらへん」と口にするのもわからなくはないが、案内させておいてこうも白けた反応をされると、さすがにイラっとした気持ちになる。


 こっちも仕返し代わりに皮肉めいた言葉一つ投げてやりたい気分だが、とはいえ、彼女の方は悪気なんて全く無いのだろう。


 良くも悪くもストレート。ド直球な性格。

 緑依風も、初対面の子とケンカなんてしたくはない。


「……遊べる場所じゃないけど、よかったらうちの店の隣にあるイタリアンでも行く?ケーキとアイスで甘いもの続きだし、しょっぱい物も食べたくない?」

 緑依風が提案すると、「あぁ、お隣イタリアンやったんか」とみもりは言った。


「うん、うちの従姉妹のお父さんのお店。ピザと……あとアクアパッツァが特に美味しいよ!」

「イトコ……」

 ぼそりと、囁くようなみもりの声。


 はっきり聞き取れなかった緑依風が首を傾げると、「ん~……今はご飯の気分ちゃうからええわ」と、みもりは彼女の誘いを断った。


「……なぁ、緑依風」

「ん?」

「そのイトコってのは……どっちのイトコや?おとんの兄弟の子?おかんの方か?」

「えっ?……えっと、お母さんの。お母さんのお姉ちゃんの子で、一個上と同い年の女の子がいるよ。それがなにか……?」

 妙な問いかけに、緑依風が答え返すと、みもりは「そうか~……」と言いながら、どこか寂し気な笑顔を浮かべる。


「……おとんの方は?おらんの?」

 みもりの次の質問を聞いた途端、緑依風は短く息継ぎをし、「わからない」と言った。


 父にも『きょうだい』はいると聞いたことがあるが、それは遠い昔。


 兄なのか姉なのか、妹なのか弟なのかもわからない。

 松山家で、北斗の実家の話が禁句なのは、そう決めたわけではないけど、末っ子の優菜以外が感じている暗黙のルールのようなもので、緑依風が自分からもう一度聞いてみようと思ったことは無い。


 去年の夏休みもそうだった。

 北斗に彼の両親――緑依風にとって、父方の祖父母にあたる人達のことが話題になると、彼はとても悲しそうな顔になってしまったし、あのテレビ放映から一年経った今も、松山の祖父母からの連絡は一切来ないままだ。


「……うちはね、お父さんの親族とは絶縁状態なの。おじいちゃんとおばあちゃんも生きてはいるけど、会ったことないし……写真もあまり見たことないから、顔も覚えきれてない。お父さんの『きょうだい』のことも、知らないんだ……」

 緑依風が自分の家族について語り終えると、みもりは「そうか……」と言いながら、カップの中で柔らかくなったチョコミントアイスとバニラアイスをスプーンで練り混ぜた。


「うちも、似たようなもんや」

「え?」

「おかんのにーちゃんがな、夢を追ってじーさんとばーさんとケンカして、勘当されとる」

「そ……そう、なんだ……」

 緑依風が驚きながら言うと、みもりはそのまま話を続ける。


「――じーちゃんは、おっちゃんのことを聞けば、「あいつのことは二度と口にするな」って、めっちゃ怒ってた。ばーちゃんも……親を捨てた不幸者、絶対許さへんって……。でもな、おかんは言うとったわ。ただ親の言いなりに従うだけの機械みたいだったおっちゃんが、その夢を見つけた時、初めて人間になれたみたいな……生き生きとしてて、ええ顔しとったって。……なんでやろうなぁ、『家族』やったのに。他人よりも遠い存在になって……どっちも逆方向向いたままどんどん離れて……振り向いてお互いを確認しようともせぇへんくなるんやろう?」

「…………」

 みもりの話は、緑依風の心にもズシンと重く響くものだった。


 血を分けた『家族』だったはずの、北斗と彼の両親ときょうだい。

 でも、北斗が夢を追いかけた時から、それは、血縁関係の無いお隣の坂下家よりも……木の葉で働くスタッフや、訪れる客よりも、遠くて遠くて――夜空に浮かぶ星よりも遥か遠い『他人』となってしまった。


 祖父母が会いに来ようとしないのはもちろん、北斗も自分から故郷に送るのは年に一回、たった一枚の年賀状だけで、彼自身が実家に足を運んで関係を修復しようとしているわけじゃない。


 どちらも背中を向けたまま、振り向いて歩み寄ろうだなんてしていない。


「……なぁ、緑依風はもし……もしやで?会ったことのないじーさんとばーさんに会えたら、どうする?」

「え……」

 みもりの目は真剣で、じぃっと緑依風の心の奥底を射抜いてしまうような力強さを放っている。


「どうって……」

「………」

「……嬉しい、かも」

 緑依風が正直な気持ちを告げると、みもりの目がカッと大きく開かれた。


「いつか会いたいって気持ちは、おじいちゃんとおばあちゃんの存在を知ってからずっと思ってたし。……それにね、もしお父さん達が仲直りできたら、小さい頃のお父さんの話とか、おじいちゃん達の話もいっぱい聞きたい。私の話も聞いて欲しい……かな?」

 みもりは、緑依風が願いを語り終えると同時にアイスを食べ切り、スプーンの先を食んだままの唇でにっこりと弧を描く。


「……さて、ちょっと早いけど、そろそろ行くわ」

 みもりはスプーンをカップの中に入れると、鞄を持って立ち上がる。


「えっ、もう行くの?」

「うん。親んとこ戻る前に、他にも見たいもんあるし。関東なんて滅多に来れんからな」

 緑依風もみもりに続いて立ち、二人はアイスクリーム屋を出て駅へと向かった。


 *


 夏城駅の前に辿り着くと、みもりは最後の挨拶に「今日はおおきに」と緑依風に案内してもらったお礼を言った。


「ケーキめっちゃ美味しかったわ!今度は違うのも食べたいけど、次もし来る時があれば、もう夏は嫌やな……。いくら人気とはいえ、あんなに待たされるとは思わんかったし……」

 みもりはパタパタと手で顔を扇ぎ、もう勘弁という顔をする。


「連休中はどうしても混むからね……。でも、また来てくれるの待ってるから!」

「うん、今度はお土産も持って来るわ。うちらもう友達みたいなもんやし……!じゃ、お手伝い頑張りや~!」

 手を振りながら改札へ小走りするみもりに、緑依風も「うん、ありがとー!」と手を振って、彼女の背を見送った。


 謎だらけで、歯に衣着せぬ性格のみもりが、最初は苦手だと感じていた緑依風。

 だが、今はそんな彼女に緑依風自身も、友人としての感情がしっかりと芽生えており、再会の日が訪れることを楽しみに思うのだった。


 *


 駅のホームでは、電車を待つみもりが携帯を取り出し、ある場所へ電話を掛けようとしていた。


 プルルルルル――と、呼び出し音が三回程鳴ると、みもりの耳に「松山です」と、老人女性の声が響く。


「――あ、ばーちゃんか?うちうち!みもりや!木の葉行ってきたよ。……うん、ちゃんと一人で行けたで。綺麗な店やし、ええとこやったよ。んもう、ケーキめっちゃ美味しかった!!……ううん、おじさんには会えへんかった。でも、イトコに会えたわ!……ええ子やったよ。ははっ、ばーちゃんも会いに行ったらええやんか。きっと気に入っ――あ、ごめん!電車もう来るわ。おかんにもよろしく言っとくから、またな~」

 みもりが電話を切ると、ちょうどいいタイミングで電車がガタン、ゴトンと車輪を鳴らして、ホーム内に入って来る。


 ドアが開くと、みもりは電車に乗り込み、車窓から夏城町の景色を眺め、初めて会った従姉のことを考えていた。


「(次会えた時は、ちゃんと本当のこと話すからな……)」

 

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