第231話 女の子の秘密(前編)
お盆が明けて、八月十七日――。
久しぶりに開店した木の葉には、店を開けると同時に次々と客が来店し、一時間半後にはもう行列が出来ていた。
この日は休業日開けの初日ということもあり、開店前から木の葉のケーキを求める人が立ち並んでいて、まだまだ夏休み期間なことも相まってか、他県からの来客も大勢いる。
「こりゃあ、今年も閉店ギリギリまで席が埋め尽くされてんだろうなぁ~……」
木の葉でのアルバイト歴二年目の男子学生従業員、ヨシヒコが、店内のガラス窓から行列を覗き込み、うんざりした顔で言った。
「SNSでも
ヨシヒコと同期の女子大生従業員、アミも、ひえ~っと表現できそうな顔つきで、列の最後尾を見つめる。
「でも、忙しい方が時間があっという間に経つから、私は結構好きだよ?」
客席に水を運び終えた緑依風が言うと、「中学生で忙しい方が好きって言うのは、ワーカーホリック予備軍だぞ」と、ヨシヒコが注意する。
「店長も、こんなに注文バンバン来ても、ゲームに夢中になった子供みたいな目して作ってるし、仕事熱心通り越してもはや中毒だね!」
「…………」
中毒か、と……緑依風は厨房で働く父を見て、肩をすくめる。
そして、ホールで営業スマイルの合間に疲れた顔を覗かせる母を見ると、なんだか複雑な気分になって目を逸らした。
「……私、列の整備してくる!アミさんあっちのお客さんそろそろ水少ないし、継ぎ足ししてきて!ヨシくんは、あそこのお客さんそろそろ出そうだし、レジやって!」
緑依風に指示されると、二人は「はーい」と返事をして、仕事に戻っていった。
*
カランカラン――と、ベルの付いたドアを開けると、焼けるような強さの太陽の光に、緑依風は一瞬顔をしかめる。
今日の予想最高気温は三十五度とニュースで見たが、体感温度はそれ以上に感じる。
緑依風が、店の脇から歩道側へ大きくはみ出てしまってる人に声掛けをしながら、何名で来店か、イートインかテイクアウトか聞いた後、再び店内に戻ろうとした時だった。
列の真ん中辺りで立ち並んでいる、ショートボブカットで、前髪を横に流した同い年くらいの少女が、ぐったりとした表情で汗を拭き、座り込んでしまった。
「大丈夫ですか?」
緑依風が声を掛けると、少女は顔を上げぬまま「あつい~……暑いわぁ~……耐えられへん~っ……」と、関西訛りの言葉で茹だるように言った。
「あ、ちょっと待っててください……!」
待っている間に熱中症で倒れてしまったら大変だと思った緑依風は、一旦店に戻ると、冷たい氷水を入れたグラスを持って、少女の下へと向かう。
「良かったら、これ飲んでください」
緑依風がグラスを渡すと、少女はそれを受け取り、ゴクッゴクッと喉を鳴らして一気に飲み干した。
「はーっ!!めっちゃ冷たい!!お姉さんありがとう〜っ!」
元気を取り戻した女の子は、愛嬌のある笑顔を見せて、緑依風にお礼を言った。
「まさか、こんなに人気やとは思わんかった……。なぁなぁ~、これあとどのくらい待たされるん?全然順番来ぉへんやん……テーマパークのアトラクションくらい待ってるで?」
「申し訳ありません……。一応、混雑時の滞在時間は注文した商品をお席にお届けしてから、一時間程で声掛けさせてもらってますが、こういった夏休み期間中などは、それでもお待たせしてしまうことが多くて……」
緑依風が謝ると、女の子は「はぁ~っ」と深くため息をついて項垂れたが、「しゃーない、今入ってる人らも順番待ってたんやしな……待つしかないわな」と言って、納得してくれた。
*
それから三十分程経って、ようやく女の子が店内に入ることができた。
女の子は、「はぁ~!めっちゃ涼しい~!生き返るわぁ~!」と言いながら、ヨシヒコに案内されて席に座った。
「ねぇ、緑依風ちゃん……あの子まだ子供みたいだけど、一人だね?言葉も聞いてる限り、この辺の子じゃ無さそう……」
アミが少女の方を向きながら、小声で緑依風に耳打ちする。
「うん、親っぽい人も近くにいなかったし……」
中学生でも、行動力のある者なら、県外へ旅行など容易いことだと思う。
もしくは、最近この辺に引越ししてきた人なのかもしれない。
緑依風がそんなことを思いながら、空席となったテーブルの食器を片付けようとしていると、「すみませーん!!」と、注文が決まった女の子が、とびっきり大きな声でスタッフを呼んだ。
女の子は、ひまわりの砂糖菓子が飾られたマンゴーのケーキと、それにアイスクリームをトッピングしたもの。
飲み物にアイスロイヤルミルクティーを注文すると、鞄から取り出したノートを熱心に見ている。
緑依風がそのテーブル前を横切ると、「ちょっと聞きたいんやけど~」と、女の子が手招きしながら声を掛けた。
「ここのオーナーシェフの松山北斗さんって、どんな人?」
「えっ……?」
よく見ると、女の子のノートは雑誌やネットに載っていた木の葉のお店の記事や、緑依風の父である北斗の記事がコラージュされている物だった。
「優しい……ですよ。洋菓子にすごく真剣に向き合ってる人だとも思うし……」
緑依風が説明すると、女の子は「ふーん……」と言いながら、短い髪の毛を指にくるくると巻いた。
「お姉さんバイト?オーナーとはよく話す?」
「私は、オーナーの娘で……バイトっていうか、父に頼んで手伝わせてもらってますけど……」
「オーナーの娘っ!?」
女の子はそう叫ぶと、ガタッと席を立って緑依風を見た。
「ほぉぉ……」
女の子は緑依風をじっくり観察すると、コラージュされた北斗の写真と見比べ、「オーナーに似てへんな……」と言った。
女の子は椅子に座り直すと、再びノートを読みながら、グラスに入った水をクイッと飲む。
「(なんなのこの子……)」
女の子の変わった質問や目線に、緑依風の中で警戒心が生まれる。
*
「お待たせしました~」
緑依風が女の子のテーブルにケーキの乗ったお皿と、ロイヤルミルクティーを置くと、「ふっは!めっちゃ可愛い~っ!」と、女の子は小さく拍手をして、スマホを取り出し、写真を撮る。
ケーキ自体はテイクアウト用の物と同じなのだが、せっかくわざわざ店に食べに来てくれたのに、全く同じでは面白くないからと、北斗はソースや細かく刻んだフルーツ、チョコレート、生クリームなどでお皿にデコレーションを施したものを提供している。
ちなみに女の子が頼んだケーキの上には、ホワイトチョコレートで作られた、蝶の飾りがちょこんと乗せられていて、お皿のキャンバスもマンゴーソースで模様が描かれ、とても華やかだ。
「どんくらい美味しい?」
写真を撮り終えた女の子が、テーブルを去ろうとする緑依風を呼び止める。
「え……?そりゃもう、すっごく美味しいですよ!!他のケーキ屋さんと比べても、父のケーキは最高だと思ってますから!」
緑依風がやや興奮気味に伝えると、「身内びいきちゃうん~?」と女の子が疑いの目を向ける。
「食べたらわかりますよ」
自信たっぷりな表情で緑依風が言うと、女の子はフォークを手に持ち、パクっとケーキを頬張る。
「んぅ〜〜っ!!?」
口に入れた瞬間、女の子は目をカッ開いて叫び出す。
「なにこれ、うまっ!!めっちゃ美味いやん~っ!!」
女の子はケーキを飲み込むと、開いた目をキラキラと輝かせながら緑依風に感想を述べた。
「タルトの食感もやし、このムースのとこ?なんやろ……よくわからんけど、甘酸っぱいのにさっぱりしてるだけやなく、後を引いて手が止まらんくなるっ!うまっ!ヤバすぎ~っ!!」
女の子のあまりに大きな声の感想に、ホールスタッフ、他の客の視線が一気に彼女に集中し、「ははは」と笑いが溢れる。
緑依風も、父のケーキに感動する女の子を見て思わず笑顔になった。
初めて父親のケーキを食べた者は皆、同じく驚いたようにその美味しさに感動し、とびっきりの笑みを見せてくれる。
手伝ううちに、それも見慣れた光景になっていたが、少女の感動の仕方を目にして、緑依風は『天才パティシエ』と呼ばれる北斗のすごさを改めて実感し、早く自分も父のような洋菓子職人になりたいと、想いを膨らませた。
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