第230話 竹林の家(後編)
天まで届きそうな竹が群生する道を歩く、緑依風と海生。
海生の背には、先程二人に助けられたおばあさんが、ニコニコと嬉しそうな顔をしながら彼女の肩に掴まっている。
「このまままっすぐ道なりに進めば、竹林を抜ける直前に古い家が見えてくるわ」
緑依風も海生も、おばあさんの案内に従い、踏み慣らされた道をひたすらまっすぐ進む。
竹林の中は、時々良治が入林して手入れをしていることもあってか、竹藪のように余計な雑草や枝木などは少なく歩きやすい。
春になると、ここでは良治や周辺に住む者達でタケノコ掘りを行うようで、緑依風達も収穫された物を送ってもらい、旬の味覚を楽しんでいる。
このおばあさんも恐らく、その住人の一人なのだろうと緑依風が思っていると、おばあさんはクスッと声を漏らし、「二人とも、とっても美人さんねぇ~」と言った。
「特にあなた。なんだか、私の若い頃に似ているかもしれないわね~!」
「あらあら~、おばあさんもとっても若くて綺麗ですよ。本当に百歳超えてるんですか~?」
海生が振り向きながら言うと、「ほんとよ~~!」と、おばあさんは可愛らしい笑みを浮かべて言う。
おばあさんの若かりし頃は知らないが、少し特徴のある伸びやかな喋り方は、確かに海生に似ているかもしれない。
緑依風がそう思っていると、竹林の出口が遠くに見え、その手前に古い木造の門と、平屋の家が存在している。
「あ、この家よ~」
おばあさんが指差す門を通り抜けると、吹かれる風に揺られた笹の葉がサヤサヤと音を鳴らし、緑依風も海生もその心地よさに思わず目を細めた。
「もう大丈夫よ。ありがとう、助かったわ~」
おばあさんはそう言って海生に降ろしてもらうと、引き戸となっている扉をカラカラと開ける。
「少し上がっていってちょうだいな。誰もいないから、遠慮はしなくて大丈夫よ~」
「えっ、誰もいないって……一人で暮らしてるんですか?」
緑依風が聞くと、おばあさんは「いいえ、ここには私も年に一回……この時期しか来ないのよ~」と言って、履物を脱いで玄関を上がった。
「普段はもっと遠い、別の場所で旦那と暮らしているの。たまに息子が近くに来るけども、ここはもう……あって無いようなものなのよ~」
おばあさんの言葉の意味がわからず、緑依風と海生は首を傾げるが、おばあさんはそんな二人にニコニコとしながら手招きをし、居間へと案内した。
*
居間へと上がらせてもらうと、そこは何故か、電気もつけていないのに暗い竹林の中にいるとは思えないくらい明るい。
こじんまりとした五畳程の小部屋だが、畳のい草の匂いがとてもいい香りで、初めてなのに懐かしさも感じる不思議な空間だ。
「お饅頭があるのよ〜!さっき、孫がたくさんくれたの。一緒に食べましょう〜!」
おばあさんはそう言って、箱から饅頭を取り出し、お茶の用意を始める。
緑依風と海生も、まだ痛む足を引きずるおばあさんの負担を減らすべく、お手伝いを名乗り出る。
おばあさんは歳のせいなのか、元々そういう性格なのか、急須にお茶っ葉を入れようとして床にぶちまけてしまったり、湯飲み茶碗を棚から取り出そうとして落としそうになったり、どこか危なっかしい。
それでも、常に笑顔を絶やさぬおばあさんはとても可愛らしく、緑依風も海生も初めて会ったのに、このおばあさんのことが好きになった。
*
アクシデントはあったものの、ようやく饅頭と緑茶を居間のテーブルに運び終え、座布団に座ることができた三人。
饅頭を手に取ったおばあさんは「そういえば二人とも、お名前は?」と尋ねる。
「えっと……緑依風っていいます」
「私は海生です。海に生きるって書いて「みお」って読むんです~」
やや小声で自分の名を名乗る緑依風に対し、海生は漢字の説明も交えて自己紹介すると、「おばあさんは?」と質問を返した。
「私はユリ。カタカナなのよ~」
ユリも名前の書き方を説明すると、小さく千切った饅頭を口に入れた。
「――海生ちゃんは、今……悩みがあるわね?」
二口目の饅頭を飲み込んだユリは、少し真面目な声色になって海生の顔を見る。
「え……?」
海生が驚きながらユリを見つめ返すと、「それも、恋と……人生に関わる悩み事」と、彼女は更に付け加えていった。
「なんでわかるんですか……?」
海生が聞くと、ユリは「ほっほっほ」と、シワだらけの口元を小さく手で隠して笑い、「生まれて百年以上も経つとね……なんとなく、その人の心の声や、先に起こることがわかるようになるのよねぇ〜」と言った。
ズズッと、まだ少し熱いお茶をすするユリ。
海生は、今日出会ったばかりのこのおばあさんに、今の心境を語り始める。
「私……お勉強が苦手で。……でも、今付き合っている男の子のおかげで、前より少し勉強の仕方がわかるようになったんですが……受験生になって、彼の実力にふさわしい学校は、私の学力じゃ難しくて……。彼は、私に合わせた学校に自分が合わせると言ってくれたけど、それは申し訳なくて……」
緑依風がこれまで見たこと無いくらいに、暗く落ち込んだ表情を見せる海生。
ユリは、目を閉じたまま「うん、うん」と小刻みに首を縦に動かし、海生の話を聞き入っている。
「そんなことさせるくらいなら、早く私が彼のレベルに合うように追いつかなきゃって思いました。自分なりに、勉強……今までで一番頑張ってるつもりでした。でも……そう思えば思うほど、何もわからなくなって……どんどん、成績も下がって……」
言い終えて、小さなため息をつく海生。
ユリは、四つに分けた饅頭を全て食べ終えると、「そんなの、彼に委ねてしまえばいいのよ~」と言って、俯いたままの海生に優しく微笑んだ。
「勉強のできる彼、勉強が苦手なあなた……違う二人のただ一つ同じ願いは、『そばに居合うこと』……なんだから」
ユリのアドバイスに、海生は「で、でも……」と、納得できない様子だが、ユリは「まぁ、聞いてちょうだい」と、そのまま自分の意見を続ける。
「彼の将来を考えて、自分の方が努力しようとする海生ちゃんの頑張りは素晴らしいと思うわ。でもね、現実は想像よりずっと厳しいもの……。どうしても無理なことを続けてたって、悪い方向にしか行かないわ~。彼に合わせた学校を受験して、もしダメだった時……きっと、あなた以上に後悔することになるのは、他でもない“恋人くん”の方よ」
「…………!」
海斗のために、別の学校でもいいと考え、海斗のために、自分が頑張らなきゃと思っていた海生は、ユリの言葉でそれは結局、ただの独りよがりで彼の気持ちを大切にしていなかったことに気付く。
「ただし、全部甘えるのは間違ってるわ。彼が海生ちゃんに全て合わせることも違う。二人の、ちょうど真ん中……。あなたも彼も、お互いが無理も妥協もし過ぎないところまでの部分を目指すのよ。いい?『努力』と『無理』は似てるようで違うの。それを忘れないでね~」
海生は、ユリの言葉を胸に刻むように頷くと、「はい」と笑顔で返事をした。
緑依風が海生の心が晴れていくことを感じ、安心していると、彼女ににっこり顔を向けていたユリが、「それから、緑依風ちゃんにも……」と言って、首を緑依風側に動かし、少し心配そうな眼差しで見つめる。
「?」
「――緑依風ちゃんには、この先ちょっと辛いことが続くかもしれない。……でもね、その度に、あなたのことを守ってくれる人がいるわ……。あなたの願いが叶うまであと少し……もう少しなのよ……」
「もう少し?」
「…………」
緑依風が聞いても、ユリはそれ以上何も語らず、ぬるくなった緑茶を飲み干す。
「――さてと、そろそろ終わりかしらねぇ~……」
ユリが湯飲み茶碗をテーブルに置いた途端、辺りいっぱいに、笹の葉色を吸い取ったような緑の光が溢れ出し、ユリの体がだんだんその光と混ざって透けていく――。
「可愛い、かわいい……私のひ孫達。お話できて……嬉しかったわ……ありが……とう……」
愛おしそうに目を細めながら、どんどん透明になっていくユリ。
緑依風と海生が消えていくユリに駆け寄ろうとした時には、すでに彼女も部屋も無く、気が付けば竹林の入り口に戻っていた。
「あら……?」
「おばあさんは……?っていうか……今の、なに……?」
さっきまでいたはずのユリと名乗るおばあさんは?竹林の家は?と、二人は顔を見合わせては、頭上にハテナマークを浮かべるような顔つきで首を傾げる。
とりあえず、ここに立ち続けていても暑いので祖父母の家へと戻ると、「おおっ!二人ともどこ行ってたんだ?」と、忽然といなくなった孫娘達を探していた良治が、縁台の上から声を掛ける。
「トウモロコシ、もうみんなで全部食べちゃったぞ?」
良治の手には見覚えのある竹籠と、その中にナスとキュウリとりんごが入っている。
「じぃちゃん……それ……」
海生が指を指すと、良治は「これか?ひいばぁちゃん達へのお供えもんだよ」と言って、自分の両親の盆棚へと向かう。
「え……?」と、緑依風と海生が祖父の足取りを目で追うと、「もう、何も言わずに遊びに行かないでよ」「心配するでしょ~?」と、葉子と花が口々に言った。
「まぁまぁ、息抜きさせてやりたいって言ってたんだから、あんまり叱らないでやんな」
美枝子はそう言って、葉子と花の間を通り抜けると、「……ほらっ、母さん達がお土産に買ってくれたお饅頭!あんた達も食べな!」と、縁側から家の中に上がった緑依風と海生に箱ごと差し出した。
その饅頭は、ついさっき食べた物――ユリが孫がくれたと言って用意してくれた、あの饅頭だった。
「待って、ユリって……?」
緑依風がとある人物と同じ名前だったことを思い出すと、海生もそれに気付き、「あ……!」と声を上げる。
二人は慌てて盆棚の前まで駆け出し、曾祖母の遺影を見る。
「あっ!」
「やっぱり……!!」
緑依風と海生が手に取った写真立てには、先程出会ったあのおばあさんが写っていたのだった。
*
夕食を終えた後。
緑依風と海生は、盆棚の前に並んで座りながら、昼間の出来事を語り合う。
「まさか、自分がこんな不思議体験するなんて思わなかったよ~。信じてもらえないだろうから、じぃちゃん達には内緒にするけど」
緑依風がやれやれとした風に言うと、海生も「そうね~」と言って、クスッと笑う。
思い返せば、去年良治が話してくれたユリの特徴は、あの老女とよく一致していた。
転びやすかったり、お茶の葉をバラまいてしまったり、海生以上のおっとりとした性格。
海生が生まれる一年前に亡くなったこと――つまり、生きていれば百四歳だったことなど。
「ひいおばあちゃん、海生のことがずっと心配だったんだね。だからきっと、会いに来てくれたんじゃないかな?」
「そうね……。こんなこと、もしかしたらもう二度と無いかもしれないけど、もし次があるなら、今度はひいおじいちゃんにも会ってみたいわね~!」
「そうだね!じぃちゃんは厳しい人って言ってたけど、きっと悪い人じゃないと思うし!」
緑依風が二人の写真を見て言うと、海生は正座に座り直し、ろうそくに火を灯す。
緑依風も海生に続いて線香を立てると、お鈴を鳴らして、彼女と一緒に手を合わせた。
「(受験生なのにって思ってたけど、ここに来て良かった。ありがとうひいおばあちゃん……。ひいおじいちゃんと一緒に、応援してね……)」
そう心の中で語りかける海生の隣で、緑依風も自分を気にかける言葉をくれた曾祖母に感謝の気持ちを伝える。
「(……にしても、辛いことって何なんだろう?それに、他にも何か教えてくれたけど……)」
緑依風はこの時、まだユリの言葉について半信半疑だったが、その予言は良くも悪くも、本当に当たることになるのだった。
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