第224話 初デート(前編)
翌日。
午前中は小さな検査があったため、家族と面会できるのは昼前だと聞かされていた亜梨明。
十一時になると、一足先に母の明日香だけが病室に訪れた。
「お父さん達は?」
「あともう少しで来るわよ」
何も知らない亜梨明は、久しぶりに家族四人が揃うことを楽しみにしていたようで、ニコニコしながら先日買ってもらった新しいパジャマに着替え始める。
「ねぇねぇ!今日はレストランだけで、お出かけは明日だっけ?」
「うん。明日お父さんの車に乗って、そっちでも美味しいもの食べたりお買い物したりしようね。あ、髪も梳いてあげるから、着替え終わったら座って」
「はーい!」
柔らかで可愛らしい柄がプリントされた、ワンピースタイプのパジャマを着た亜梨明は、椅子に座るとご機嫌な様子で足を左右に揺らし、「ん~ふふふ~ん♪」とハミングを始める。
「こら、動いたらブラシしづらいでしょ」
「えへへっ、は~い!おとなしくしまーす!」
ここに来てからは、家で使っていた愛用のシャンプーではなく、病院の浴室に用意されたものを使っていたため、ちょっぴりパサパサしてしまった自慢の髪の毛。
だが、ほんのりと甘い香りのするヘアオイルをつけてもらい、丁寧にブラッシングをしてもらうと、以前のようにしっとりと艶やかな髪に戻った。
そんな自分の姿を鏡で見ると、亜梨明はまた嬉しそうに体を揺らし始め、明日香もそんな娘に「んも~……」と呆れながらも、微笑みながらブラシをかけていた。
「はい、終わったよ」
「ありがと~!」
亜梨明は母に礼を言うと、いつも奏音とお揃いでつけているピンを着け、鏡を見ながら位置を調整する。
「ねぇ、お父さん達まだ~?」
準備もできた所で、早く出発したくてたまらないと訴える亜梨明。
だが、明日香は「ちょっと待っててね」とだけ言い残し、病室の外へと出ていってしまった。
*
その頃。
爽太は、亜梨明に悟られぬようにサプライズの用意を進めている明日香を、奏音や真琴と共に待っていた。
待っている最中、相楽夫婦の企画を聞いて合流した高城先生とも会うことができ、四人でおしゃべりをしていると、「お待たせしました」と明日香が準備が完了したことを伝えに来たため、揃って亜梨明の病室に移動する。
今朝、爽太が再度確認として真琴に説明されたのはこんな内容だった。
亜梨明の検査が終わった後、明日香が亜梨明の身支度をする。
呼ばれた後、最初に入室するのは相楽家の人達と、亜梨明の調子を診る高城先生のみで、爽太は気付かれぬよう、病室の前で待機中もなるべく音を出さないこと。
亜梨明の体調が良好と先生が判断したのち、一番の目的である『計画』を実行する。
爽太が入り口付近で立ち止まり、合図が出るまで一人待っていると、部屋の中から奏音や父との再会を喜ぶ亜梨明の声が聞こえてくる。
久しぶりに生で耳にする亜梨明の声。
妹の奏音よりも高くて甘やかな彼女の声が、爽太の心臓を高揚によって強く打ち鳴らせた。
早く会いたい、会いたいと一歩前に出てしまいそうな足を必死な気持ちで抑え込み、呼ばれるその時をじっと待ち続けた。
「――うん、問題なさそうだね」
診察を終えた高城先生の声が聞こえると、「やったー!早く行こう!!」と、何も知らない亜梨明の元気な声も届いてくる。
「まだだよ」
「……まだ、全員揃ってないからね」
奏音の次に聞こえた真琴の言葉に、亜梨明は「えっ、どういうこと?」と返す。
いよいよだ――と、爽太が前を見据えると、高城先生がひょっこりと半身だけ入り口から覗かせて、爽太を手招きした。
爽太が静かに頷き、病室に入った時に目にしたのは、ポカンと口を半分程開けて目を丸くした亜梨明の姿。
「……嘘」
呆然としたまま、言葉のみ発した亜梨明。
「亜梨明、久しぶりだね」
そんな彼女に爽太が笑顔を向けて挨拶をすると、途端に彼女は止まっていた時が急に動き出したかのように「ええぇぇぇぇ~~っ!!!?」と、甲高く叫び出し、「どうしてっ!?なんでここにいるの~~っ!!?」と、何度も家族と爽太を交互に見ながら、取り乱していた。
「おじさん達に連れて来てもらったんだ!」
爽太が未だに信じられない様子の亜梨明に説明すると、明日香も横から「亜梨明がずっと頑張ってたからね。日下くんにお願いして来てもらったのよ」とそっと付け足した。
「だから、今日の亜梨明の本当の予定は『家族でご飯』じゃないのよ」
「え……?」
亜梨明が母の言葉にまたもや驚く。
「高城先生が許可をくれたから、少しの時間二人でデートしておいで。……と言っても、病院の敷地内限定だけどね」
真琴が爽太と高城先生に振り向きながら説明すると、彼らはにっこりと頷き、ようやく驚きから喜びに心が切り替わった亜梨明の目には、いつのまにかたくさんの涙が溜まって、溢れ出していた。
「あ~あ……せっかく可愛くおめかししてもらったのに、なんで泣くの?顔ぐしゃぐしゃになるよ!」
奏音はそう言って、笑いながらハンドタオルで亜梨明の顔を拭き始める。
「だ……だってっ、すっごくびっくりしたし、すっごく嬉しくて……っ!」
亜梨明は奏音から受け取ったタオルに顔を押し付け、次々と込み上げてくる涙を早く止めようとしているが、なかなか治まらない。
「ごめんね日下、泣き止むまでちょっと待っててくれる?」
「うん、もちろんいいけど……あの、本当に僕ら二人で行動していいんですか?せめて、ご飯だけでも一緒に食べませんか?」
爽太が食事だけでも共にすることを提案するが、明日香は「いいのよ」と首を振り、「明日もあるんだから」と言って、二人だけの時間を優先させた。
「まだあまり長時間無理はできないから、歩き回るにしても適度に休憩は挟んで、三時になったら病室に戻って来てね」
高城先生がデートの際の注意を告げると、爽太は「はい」と返事をして、亜梨明へと振り向く。
どうやらちょうど涙も止まったようで、彼女は少し腫れてしまった目元をパタパタと手で扇ぎながら乾かしていた。
「じゃあ……亜梨明、行こうか!」
「……うん!」
亜梨明が爽太に駆け寄ると、奏音と相楽夫妻、高城先生は手を振りながら「いってらっしゃい!」と、優しく送り出してくれた。
爽太と亜梨明も、ちょっぴり大げさな見送りを恥ずかしがりながら、「いってきまーす!」と手を振り返し、恋人同士になって初めてのデートへと出発するのだった。
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