第219話 恋人のフリ(後編)


 次にやって来たのは、女性向けのアクセサリー雑貨を取り扱う店。


 ネックレスや指輪などを販売するお店はもう一つあるが、ここは特に種類が豊富で、値段もお手頃な物から中学生のお小遣いではちょっとお高いものまであり、大人の女性客も多い。


 緑依風もたまに女友達と見に来ることがあり、去年は伸ばしていた髪を結ぶ髪留めを購入した。


「はぁ……女だらけの店ってやっぱり息が詰まる……」

「風麻って、女の子苦手だもんね」

「女が苦手と言うか、キラキラした女向けの店にいる『俺』ってのが、想像すると浮くんだろうなって思って居心地が悪い……」

「別に、全然変じゃないけど?男の人がプレゼントのために女の子向けの店に来るって考えれば、珍しくないでしょ」

「…………!た、たしかに……」

 一瞬、彼との会話に間ができたことを不思議に思う緑依風。


 そんな彼女の目の前を、この店の手提げ袋を手にした客が通過していく。


「(この袋、見たことある……)」

 当然か、自分もここで何度か買い物をしたから……?


 違う。

 もっと、大きく心に引っかかる記憶――。


「なぁ、このブローチとか好き?」

 風麻に呼ばれて彼を見た瞬間、緑依風のモヤモヤと一致する景色が、頭の中に蘇った。


「(そうだ……クリスマス……)」


 去年の冬――相楽家のクリスマスパーティーの日。


 忘れ物をしたと言って、亜梨明達の家に戻った風麻を追いかけた際、彼が亜梨明に渡していたプレゼントの袋と同じ物――。


「(苦手なのに、亜梨明ちゃんのために……風麻はここで……)」

 きっと一生懸命、選んだんだろう。


 初めて恋をした彼女のために……いっぱいいっぱい悩んで、どんな風に渡すのか、亜梨明の喜ぶ笑顔を想像しながら……。


 そう思った途端、緑依風の胸の奥は暗くて重い感情に支配される。


「…………」

「どうした?こういうのは苦手?」

「――風麻、ここで亜梨明ちゃんにプレゼント買ったんだね……」

「プレゼント……?」

「亜梨明ちゃんにだけの、クリスマスプレゼント……」

「…………!」

 顔を硬直させ、気まずそうに口を横に結ぶ風麻。

 それだけで、緑依風の問いかけの答えになった。


「そ、そうだけど……あの頃は……!」

「わかってる……。あの頃風麻が好きだったのは亜梨明ちゃんだからね……」

「…………」

 風麻は苦虫を嚙み潰したような表情で、緑依風から視線を逸らす。


 そんな彼の反応に、緑依風はハッと我に返り、「ごっ、ごめん……っ!」と、風麻に慌てて謝った。


「ごめんね風麻……。今の私は、嫌なヤツだった……」

「……いや」

「あ、えっと……!私、こういうの好き!あと、こっちの同じバレッタも!」

 緑依風は、風麻が見せてくれた宇宙をモチーフにしたようなブローチ、お揃いのデザインのバレッタを指差し、「……でも、こういうのは嫌かな」と、反対側のディスプレイに置かれた、ゴロゴロと水色の石がたくさんついたデザインの腕輪を持ち上げた。


 それでも、風麻の表情は晴れず、緑依風はだんだんいたたまれない気持ちになる。


「わ……たしっ、あっちのアクセサリーも見て来るね!」

 緑依風はそう言って、風麻から別のアクセサリーを並べている棚へと移動する。


 ついさっき、そばにいてと言ったばかりなのに、今は風麻から離れたい――。

 離れなくてはいけない状況を、自分で作った……。


 チラっと、風麻に気付かれないように彼のいる場所を見ると、風麻は真剣な顔をして、ネックレスを眺めている。


「(思うだけなら、平和に済んだのに……)」

 亜梨明を羨ましいと思う気持ち、風麻の『特別』でいたいという気持ちが心の泉から溢れ出て、口にしてしまった。


 亜梨明は今、爽太と想いを通じ合っているのに。

 風麻もすでに、亜梨明のことは吹っ切れたと言っていたのに、今更掘り返してヤキモチを妬いてしまうなんて、すごくみっともなくて恥ずかしいと、緑依風は後悔の念に苛まれる――。


 *


 三日後――。


 夏休みの宿題を片付け終えた緑依風は、ジーワジーワと窓の外で鳴くセミの声を聴きながら、机に伏せてぼんやりとしていた。


 あの後、もう一件のアクセサリーショップを見て、自販機の紙カップの飲み物で喉を潤し、風麻と共に帰路に就いたのだが、ぎこちない状態を修復できぬまま、家の前まで辿り着き、「じゃ……」「またね」と短い挨拶をして別れた。


 もう一回謝らなければと思っていたのに、いざメッセージで文章を打とうとすると、不安で手が震えてしまい、会って直接言うのも怖くて、何もせぬまま時間だけが過ぎる。


「きっと、すごく呆れただろうなぁ……」

 緑依風の力無い独り言が、空しく部屋に落ちる。


「ううん、呆れたどころじゃない……。嫌われたよね……」

 せっかく、徐々に友情以上の気持ちを持ってくれたのに。

 やっと素直になれたと思ったのに。


 自分の些細な一言が、全て無に帰してしまった。


「あ~~もう~~~~っ!!!!」と、緑依風が自己嫌悪に頭を抱えながら声を上げた時だった。


 ピーンポーン――と、インターホンの音がして、「お姉ちゃ~ん!風麻くん来たよ~!!」と、下の階から千草の声が響き、緑依風に緊張が走る。


 トン、トンと、階段を風麻が上って来る足音が、緑依風の鼓動を加速させていき、頭の中には様々な最悪の光景が浮かび上がっていた。


「やっぱり、お前を友達以上に思えない」

「お前みたいに嫉妬深い女、彼女になんてしたくねぇ……」

「相楽姉は、あんな風に嫌味言ったりしないのにな」


 彼の表情、声色で鮮明に映し出されるイメージに、緑依風は怖くなってキュッと胸元で手を握るが、足音はもう部屋の前まで迫っていて、逃げることもできない。


 コンコンとドアがノックされたと同時に「緑依風、入るぞ」と、風麻の声がする。


 緑依風は、観念したような気持ちになりながら、緊張に掠れた声で「どうぞ……」と、返事をした。


「よっ!何してたんだ?」

 開かれた扉から現れたのは、がっかりした風麻の顔――ではなく、いつもより少し上機嫌な表情。


 悪い展開しか予想していなかった緑依風は、「えと……宿題……して、たけど……」と、固い口調で途切れ途切れに言った。


「真面目だなぁ~……。まだ俺、一個も片付いてないぞ」

 風麻は呑気な様子でそう言いながら緑依風のベッドに座ると、「ちょいちょい」と緑依風を自分の横に来るよう手招きした。


「なに……?」

 緑依風が恐々おずおずとしながら彼の隣に座ると、風麻はズボンのポケットをゴソゴソとして、「ほい、今年の誕プレ」と、緑依風に小さな四角い包み紙を差し出す。


「えっ……!?誕生日、まだ先だよ?」

 今日は八月一日。

 緑依風の誕生日は八月八日で、一週間後だ。


「知ってるよ。……でも、渡すの待ちきれなくてな。フライング」

「…………」

 受け取った小さな包み紙は、この辺のお店では見たことのない、シンプルなもの。


「開けて見てくれ」と言う彼の言葉のままに、緑依風が封を切って中身を取り出すと、透明なビニール製の袋の中に、ネックレスが入っていた。


「これ……」

 金色のチェーンに、半透明の緑色のパーツが付いたネックレス。


 緑依風がビニールの中身も取り出していると、「俺の手作り!」と、風麻が自信満々な顔で言った。


「えっ――!?」

「……と言っても、今回も母さんの手助けアリだけどな」

 風麻はちょっぴりバツが悪そうに言って、緑依風の手の中のネックレスを見つめる。


「……あん時、クリスマスの日。俺、相楽姉にもネックレスをあげたんだ」

「…………!」

「――だから、緑依風にも緑依風に似合うネックレスをあげようって思ったんだけど。売り物で緑依風っぽいやつって、なかなか無くてさ……そんで、母さんに頼んで作ることにしたんだ」


 風麻が思う、緑依風らしいもの。

 緑色の小さなパーツ部分は、雫にも葉っぱにも見えるような形をしていて、多分後者の方なのだろう。


「その葉っぱもレジンってやつで作ったんだ」と、彼は少しいびつなパーツを指で差し、緑依風に説明した。


「まっ、売り物に比べるとショボいかもしれないけど……使わなくてもいいから、受け取ってくれよ……」

 風麻はそう言って、照れるように緑依風から目線を逸らす。


「…………」

 緑依風は、手のひらの上のネックレスを見つめながら、様々な想いを巡らせていた。


「……いいの?」

 しばらく無言だった彼女が声を発すると、緑依風の反応が気になっていた風麻は「何が?」と不思議そうに聞き返す。


「私、ここまでしてもらうようなヤツじゃないよ?」

「なんで?」

「……嫉妬深くて、終わったことを蒸し返したりするようなヤツだよ……?」

 似合う物がなければ、諦めて適当な物を選べばいいのに。


 風麻は母の手を借りてでも、自分に似合う物をプレゼントするために、奮闘してくれた――。


 嫌な思いをさせて困らせたのに。

 あそこで嫌われたって、おかしくないはずだったのに……。


 緑依風がまだ罪悪感を引きずるように聞くと、風麻は「ふっ……」と口から吐息を漏らし、「いいんだよ」と言った。


「嬉しいから」

「へっ?」

「確かに最初は困ったけど……でも、嫉妬してくれるくらい俺のこと好いてくれてるって思ったら、嬉しいからさ」

「…………!」

 ついさっきまで、重苦しい塊で胸が詰まったような気分だったのに、風麻の「嬉しいから」というその言葉が、緑依風の不安や恐怖を一気に消し去っていく。


 安心した途端、緑依風の胸の奥に温かいものが広がり、目にも熱いものがジワリと滲むと、風麻は眉を下げて微笑み、改まったように姿勢を正した。


「……今はもう、相楽姉にあん時みたいな気持ちは、全く無い。爽太や空上達とおんなじ大切な友達だ。――でも、緑依風はみんなと少し違う。今の俺が緑依風に対して思う気持ちに、きちんとした言葉は見つからないけど、でも……“一番大事”って思う。『好き』って単語にはまだ満たなくても、『大事』なんだ」

 風麻は、言葉一つ一つを慎重に選ぶように、ゆっくりとした口調で亜梨明への気持ち、緑依風への想いを説明すると、「だからぁ~、その~っ……だなぁ~」と言いながら、顔のパーツをクシャリとさせた。


「ちょっとやそっと妬いても、そんな深く気にすんな!それより……俺のことで元気無くされる方が困る!……以上!!」

「…………」

 風麻が半ば強制的に、この話題について終了させると、緑依風は数秒の間を置いて、「あはっ」と声を出して笑った。


「ありがと、風麻。プレゼント、ちゃんと大事に使う!」

 この日一番の、緑依風のとびっきりの笑顔。


 そんな彼女にときめいた風麻は、グッと呼吸を止めて俯き、「六十七パーセント……」と呟いたが、当の緑依風は「早速これつけてみてい~い?」と、ベッドから離れて鏡の前に移動しており、彼のパーセンテージは耳に届いていなかった。


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