第217話 プレゼント選びの下見


 昼食を食べ終え、風麻と家の前で待ち合わせた緑依風は、彼と共にセミの鳴き声が響く住宅街を歩いて駅に向かい、電車に乗って、二駅離れた冬丘街にやってきた。


 駅からすぐの所にある大型ショッピングモールは、夏休みということもあり、平日でもたくさんの人が訪れている。


「ところで風麻……。下見って言ってたけど、私がプレゼントに欲しいと思ったものを言えばいいの?」

 白いドレープシャツと黒のミニスカートを纏った緑依風が、入り口のすぐ横にあるお店の小さなサボテンを見ながら聞いた。


「あ~、何でもは買えないからな。俺、万年金欠だし……。欲しい物っていうか、お前の好みを知りたい」

 黒いシャツにカーキーのハーフパンツ姿の風麻は、頭に被っていたキャップ帽を外して、額の汗を手で拭いながら言う。


「私の好み?」

「……去年、思い知ったんだよ。俺、お前と十年も一緒にいるのに、お前の好きなもんぜーんぜん知らねぇんだなって。聞いたことも無いし、知ろうともしなかったどころじゃなくて、知ってるつもりだった」

「……私、風麻が一生懸命選んでプレゼントしてくれたら、何でもいいよ?」

「ホラ、そういうとこだよ!!」

「えっ……?」

 風麻がビシッと人差し指を向けると、緑依風はキョトンと目を丸くして、呆れ顔の彼を見る。


「何でもいいって、本当に“何でも”いいわけじゃないだろ?例えば、俺が絶対お前がいらなさそうなもん……おっさんが使うような靴下とか、脚がいっぱいついた虫のおもちゃとかプレゼントしても、喜んでくれるわけ?」

「うっ……それはいらない……」

 緑依風が顔を歪ませて答えると、「だろ~?」と風麻は腕を組む。


「だから、今日はあちこちの店巡りながら、「こういうのは好き」「こういうのは嫌」って教えてくれ。そんでまた別の日に、俺一人で来て選ぶ」

「わかった……」

「よしっ、じゃあまずはこの店からな!」

 風麻はそう言って、先程緑依風が見ていたサボテンの置いてある店に足を進めた。


 *


「ん~……こういうのはどうだ?料理に使えそう」

『よく育つ!手のひらサイズの栽培キット・バジル』と書かれた箱を手にした風麻が、緑依風に見せながら聞く。


「うーん……私はガーデニングしないし。バジルなら千草がもう育ててるよ」

 緑依風が首を横に振ると、「んじゃ、これは?」と、風麻はそのすぐそばにある葉っぱの絵が描かれたマグカップを見せる。


「うん、デザインは好きだよ。……でも、マグカップはもううちにたくさんある。海生が前に集めすぎていらないやつ、いーっぱい持ってきちゃって」

「そういえば、そうだったな……。でも、こういう感じのは好きなんだな?」

「あと、こういうのも」

「木でできたトレーか……」

 緑依風が手に取ったのは、木製のサイドテーブルなどの僅かなスペースにも置いて使えそうな、小さなトレーだった。


「でも、誕生日プレゼントにトレーって、ビミョーじゃね?」

「そうだね……これは、いつか自分で買うよ」

 風麻の言う通りだと思った緑依風は、トレーを元の場所に戻して、別の物が陳列された棚を見る。


 次に向かったのは、ここよりもインテリアに使えそうな小物が置いてある店。


「あ、この写真立て好きかも。今私の部屋に置いてあるやつ、小さすぎて写真がよくわかりづらいし、これなら大きいからカットせずにそのまま写真入れられそう」

 緑依風が白くて艶のある加工のされた枠に、銀色の淵が施されている写真立てを指さすと、その斜め後ろに置いてある小さな人形に目がいった風麻は、「コレはどうだ?」と、人形を手に取り、緑依風の目の前に持って行く。


 人形は、木の顔と木の体に、紐で作られた腕や脚が付いていて、顔はびっくりしたような表情をしており、歯も剥き出しになっている。


「や~だ~、可愛くないし絶対いらない!」

 緑依風が眉を曲げて嫌がると、風麻はニシシと笑いながら「冗談だよ」と言って、こういうものは苦手だと知った。


 その次は、カジュアル系雑貨を取り扱う店へ向かう二人。


 キラキラとしたピンクゴールドのハート型のミラー、レースをたっぷり使った淡いパープルのルームシューズや、ヘアバンドなどは、可愛いと思えど自分の好みではないと、緑依風は言った。


 オシャレで可愛い、いかにも『女の子の好きな店』といった雰囲気、どこもかしこも甘ったるい香りの漂う店内は、風麻もあんまり居心地がいいとは思えなくて、緑依風が早々に「次行こう」と言ってくれたことに、ホッと安心して別の店を目指す。


 質素だが無駄がないデザインの生活雑貨を取り扱う店では、緑依風が「この香り、お気に入りなの」と、アロマオイルのサンプルを手に取り、風麻はそれをプレゼントの候補に入れる――が、「ちょうど、うちで使ってるやつ無くなりかけてたんだ」と、緑依風は売り物のアロマオイルを持ってレジに向かってしまい、敢え無くプレゼント候補から外れてしまった。


 *


「ふぅ~、疲れたぁ~……」

「ショッピングモールって、あちこち見ると結構な距離歩いてるよね~……」

 一時間程、様々な店を歩き回った二人は、二階フロアの中間地点に設置されているベンチに座って、休憩していた。


「……どう?まだ全部見れてないけど、私の好みってわかった?」

 緑依風が聞くと、「ん~……まぁ、大体はな」と、風麻はベンチの背もたれに両腕をぶらりと引っ掛け、ぼんやり顔で言った。


 緑依風が好きな物は、シンプルであまり装飾品が多くない、ナチュラル系と呼ばれるもの。


 花はひまわりが好きで、色は黄色や緑が好き。

 紫やピンク系のものは、嫌いではなくともあまり欲しいとは思わないこと。


 風麻は最初、緑依風本人に好みを聞いても、正直に答えてくれるか不安だった。


 しかし、常日頃「なんでもいいよ」と、相手のことばかり汲んで自分の本音を言わなかった彼女が、きちんと向き合って接すれば話してくれたことに安心したし、それを引き出すことができたのが自分だということに、ちょっぴり優越感を感じる。


 再びお店巡りをする前に、風麻が「トイレに行くから、もう少しここで待っててくれ」と言い、緑依風は「うん、いってらっしゃい」と返事をして、彼の背を見送る。


 スマホを触って暇つぶしをしていた緑依風だが、五分経過しても、風麻は戻ってこない。


 歩き回った疲れの影響か、なんだかウトウトとしてきた緑依風は、スマホをバッグにしまい、目を閉じたまま彼の帰りを待ち続ける――。


「あのぉ~……」

「…………!」

 緑依風が目を開けると、彼女の前に見知らぬ男の人が立っていた。


 男の見た目はやや小太り。

 眼鏡を掛け、白髪交じりの短い髪は汗ばんで湿っており、杖をついている。


「すみません~……トイレってどこかな?」

 ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべた男は、のっぺりとした声で緑依風に聞いた。


「あ、そこの角曲がったとこですよ」

 緑依風が指で位置を示しながら教えると、「そっかぁ~ありがとう」と男は礼を言いながら下げた頭を、緑依風の足元から顔をゆっくりと観察するように持ち上げ、じっと彼女の目を見る。


「あのぉ……。おじさん、この通り足が不自由で歩きづらいんだ。手も動かしづらくて、困っていてねぇ……。悪いけど、そこまで支えてもらってもいいかなぁ?」

 男は右手に持つ杖、フルフルと震える左手を緑依風に見せつけながら、弱々しい笑顔で緑依風に介助を求める。


 いかにも困った様子のおじさん。


 その姿に、緑依風は「いいですよ」と快く頷き、立ち上がると、おじさんが肩に掛けていた黒いショルダーバッグを預かり、震える左手と揺れる体を支えるために、腰元に手を伸ばす。


「これで大丈夫ですか?逆に歩きづらくなってないですか?」

「いやいや、助かるよ。悪いねぇ……」

 おじさんはありがたそうに小さな会釈をし、緑依風と体が密着するように距離を詰め、ぎこちない動きの足で歩き始める。


「(もしかしたら、トイレの前に行った方が風麻と早く合流できるかも……)」

 そう思った緑依風は、おじさんの歩幅に合わせてゆっくりと前に進み、角から出てくるはずの彼と入れ違いにならぬよう、出入りをする人の姿に集中した。


 おじさんは、そんな少女の横顔を見て、ニタリとした怪しげな笑みを俯き様に隠し、わざと足を地に這わせるような動きで、トイレを目指した。


 *


「はぁ……ありがとう、助かったよお嬢ちゃん。優しいねぇ……」

「いえ、そんな……!あ、鞄返しますね!」

 広い多機能トイレの前までおじさんを支えて連れて来た緑依風は、持ってあげていたショルダーバッグを返して、辺りを見回した。


 最奥にある男性用トイレの方角から風麻の姿は見えないが、手前の女性用トイレの通路側まで短い列ができている。


 この様子だとまだもうしばらく時間がかかりそうだと判断した緑依風は、おじさんに「それでは、私はこれで……」と短く挨拶をし、先程までいたベンチに戻ろうとした――が。


「あのぉ~……」

 去ろうとした途端、おじさんの脂っぽい声が緑依風の耳に纏わりつく。


「はい……?」

 緑依風が振り返ると、おじさんはさっきまでとは違う、何かを堪えるような不気味な笑顔を浮かべていた。


「あのね……おじさん、手足が不自由だから……一人でトイレできなくて……。お嬢ちゃん、おじさんのトイレを手伝ってくれるかい?」

「え……?」

 緑依風は困惑した。

 いくら手足に支障がある人とはいえ、トイレを手伝うということは、ズボンを下げたおじさんとこの密室で二人きりになるということ――。


 目を伏せたとしても、さすがにそれは遠慮願いたい。


「ご、ごめんなさい……それはちょっと……」

 緑依風が少し怯えた声で言うと、「手伝ってよ……」とおじさんはトイレのドアを開けて、緑依風に中に入るよう促した。


「おじさん、もう我慢できないんだよ……!」

 急に語気が強くなったおじさんの口調に、緑依風は怖くなって逃げようとするが、おじさんは先程まで震えていたはずの左手で緑依風の手首を掴むと、「ほら、早く!」と声を荒げ、彼女をトイレの中に引きずり込もうとした。


「――――っ!!」

 緑依風が片手で入り口の壁にしがみ付き、恐怖で声にならない叫びを喉奥で鳴らした時だった。


「あれ、迎えに来たのか……?」

 ――と、男性用トイレから出てきた風麻が、壁の角から見える緑依風の姿に気付き、急ぎ足でやって来る。


「トイレ一個故障しててさぁ~……なかなか順番来なくって」

 風麻の存在が視界に入った途端、男は「チッ」と舌打ちをして緑依風の手を離すと、トイレの引き戸をバンッと乱暴に閉め、鍵を掛けた。


「どうした……?」

 男の姿をしっかり確認できなかった風麻は、青ざめた顔で今にも泣きそうな緑依風の姿を訝し気に見る。


「…………っ」

 緑依風はへなへなと体から力を抜き、崩れるようにその場に座り込んだ。


「おいっ……!?」

 緑依風の表情から、ただならぬ事態だと察した風麻は、ひとまず彼女を立ち上がらせ、場所を移動させた。


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