第216話 力(後編)
冬麻を部屋に一人残し、風麻と部屋を出た緑依風。
一階に下り立ち、玄関でサンダルを履いていると、「なんかさぁ~、チビども見てると俺らのガキの頃めっちゃ思い出すよな~」と、風麻が言った。
「うん、懐かしい。自分の子供の頃なんて、客観的に見ることはできないけど、優菜達を見てたら、きっと周りから見た私達って、こんな感じだったのかな?って思うもん」
緑依風がドアを開けると、風麻も家の外まで見送るつもりのようで、サッと履物を履いて、後ろをついてきた。
「特に優菜、昔のお前にそっくりだ。背も幼稚園時代の緑依風と同じくらいあるんじゃね?」
「うん、この間120センチ超えてた」
「ははっ、たけぇ~っ!それ、俺の小二の時の身長だよ!」
去年までは、身長の話になれば、すぐにムキになって悔しがっていた風麻だが、今は軽やかに笑って、そんな日々を懐かしめるくらい、気持ちに余裕ができている。
緑依風は、そのことを嬉しく思いながら、風麻と目線を合わせるために少しだけ彼を見上げ、「じゃあ、帰るね」と言って、小さな鉢植えが引っ掛けられている門扉を開けようとした。
「きゃっ――!!」
突然、緑依風の前に大きなスズメバチがやって来る。
「あぶねっ……!」
緑依風が小さく悲鳴を上げて身を固めると、風麻がぐんっと緑依風の片腕を引っ張り、自分の元へと寄せた。
「…………!」
予期していなかったとはいえ、自分の体を簡単に引き寄せられる程、風麻の力が強くなっていたことに、緑依風は驚いた。
肩に回された彼の手が、いつの間にか広く大きくなっていることも――。
「うわ、怖ぇ~っ……。うち、花が多いから蜂よく来るんだよな……」
「あっ……!」
耳元に降る風麻の声を聞き、緑依風はハッと我に返る。
そして、自分達の今の体勢が、どんな状態になっているかも理解した。
これではまるで、風麻に抱き締められているようではないかと……。
「あ……あのさ、ありがとう……」
緑依風は崩れた体勢を整えて、風麻から離れた。
「あっ、その……どういたしまして……」
風麻もどういう状況か察した途端、急に照れたような態度で、緑依風から手を離した。
お互いに顔を赤らめ、しばらく目を合わせることも気まずい気持ちになっていた時、ふと緑依風の頭にある案が浮かんだ。
「――ねっ!今、いいこと思いついたんだけど!」
*
翌朝。
緑依風は優菜を連れて、坂下家にやって来た。
冬麻はまだ自信を失っているようで、優菜を見て半歩後ろに下がり、風麻のズボンにしがみ付いて隠れている。
「ねぇ冬麻、これ見て?」
緑依風は一枚の写真を冬麻に渡し、自分と風麻の幼き日の姿を見せる。
「これ、幼稚園の時の私と風麻。優菜と冬麻と同じくらい、身長差があるでしょ?」
「うん……」
「でもね、今は……」
そう言って、緑依風は風麻の横に並び、風麻と背比べをする。
「どうだっ!」
風麻は自分の頭の上に手をかざし、弟と優菜に自分達の姿を注目させた。
「見ろ冬麻!兄ちゃんもちょっと前までは緑依風より小さかったけど、今じゃ緑依風より大きいだろ?」
「……ほんとうだ!お兄ちゃんのほうがおおきくなってる!!」
冬麻は両手を握り締めながら風麻と緑依風を見比べ、感動するように目を大きく開く。
「腕相撲も、前は私の方が強かったけど、多分今なら風麻が強いよ。これから勝負するから、見ててごらん?」
緑依風は風麻と迎え合わせになるように床に寝そべり、彼と手を組み合わせる。
互いにしっかりと手を握った瞬間、緑依風は改めて彼の手の形や感触が、去年と違うことを知って息を呑む。
「本気でやれよ」
風麻が自信たっぷりな声で言うと、緑依風も強気な顔つきになり、「そっちもね」と言って、握り合う手に力を込めた。
「レディー、ゴーッ!!」
優菜の合図で、二人の勝負はスタートした。
きっと今ではもう、力で風麻に敵わない――。
だがしかし、あっさりと負けるつもりもない。
右腕にありったけの力や体重を乗せ、風麻の腕をなるべく倒してやろうと踏ん張る緑依風。
――が、それはほんの一瞬。
一旦、緑依風の力を受けきった風麻は、そのまま一気に彼女を上回る力で押し返し、気が付けば緑依風は腕ごと反対方向にひっくり返っていた。
「…………」
僅か、三秒足らずの決着。
ポカン――と、緑依風が口を半開きにしながら風麻を見ると、彼はあの日の雪辱を晴らせたことを静かに喜び、ニッと口角を斜めに上げて笑っている。
「あ~っ……お姉ちゃんまけちゃった……」
緑依風が負けてしまったことを残念に思う優菜の隣で、冬麻は兄の勝利に表情を輝かせていた。
「……なっ、今じゃ兄ちゃんの方が力強いんだぞ!」
起き上がった風麻は、冬麻に得意気な顔で言った。
「まぁ……勉強は今も緑依風の方ができるけど……。でもっ、冬麻だってちゃんと強くなれるぞ!俺の弟だからな!」
「うん!これからぜったいつよくなる!!」
風麻にワシャワシャと頭を撫でられた冬麻は、元気良く頷くと、「優菜ちゃん、きのうはごめんね」と謝った。
「冬麻くん、もうおこってない?」
「おこってない!ねっ、したでトランプしよ?」
「うん!」
優菜と冬麻は小さな足をバタバタと鳴らしながら、扉を開けて一階に下りて行き、風麻は「解決してよかったよかった」と安心して、開けっ放しのドアを閉めた。
「……って、オイ。お前まだ転がってんのかよ」
決着がついた時の体勢のままの緑依風に、風麻は手を伸ばす。
「……びっくり」
風麻に引っ張り起こされながら、緑依風が言った。
「ここまで力の差が付いたなんて……」
「そりゃ、俺は運動部で鍛えてるし、男だからな。……お前とは違うだろ」
「そうだね……」
緑依風は、離した風麻の手の感触の名残を確かめるように、自身の手のひらを握り直す。
去年までは、まだもう少しだけ柔らかく、緑依風の手と大きさは然程変わらなかったはず。
それが今では、緑依風が自分の手を頼りないと感じてしまうくらいに、指の骨の太さや逞しさがはっきりとわかり、“少年”から“男性”の手に近付いていた。
嬉しいけど寂しい――。
時間が巻き戻らないのと同様に、風麻も明日には今日より大人へと成長して、変化していく。
風麻が変声期を迎え始めたばかりの頃のように、緑依風は切ない気持ちで彼の“今”を心の中に残そうとする。
「……さてと」
「帰るのか?」
立ち上がって背伸びをする緑依風に、風麻が聞いた。
「うん、宿題しないと。あんたはやってる?夏休みの宿題」
「ぼ……ぼちぼち?」
チラっと、斜め後ろの教科書が積み重なった机に視線を移す風麻を見て、緑依風は「あ、してないな?」と、冷ややかな目を向ける。
「あ~っ、えっとぉ~!そ……それより、昼飯食ったら一緒に出かけないか?」
「お出かけ?いいけど、何か買うの?」
「買うっていうか下見」
「下見?」
緑依風が首を傾げた。
「お前、もうすぐ誕生日だろ……」
「祝ってくれるの……?」
照れくさそうに言った風麻に、緑依風は驚きながら聞いた。
「毎年祝ってるだろ」
「だって、いつもおばさんと選んだやつだったし……去年はこれ直してくれたけど」
緑依風は耳元で揺れる、葉っぱのイヤリングを指差した。
「それに、なんで下見?」
「俺、プレゼント選び苦手なんだよ……。変なのもらったって、お前だって困るだろ」
「なるほどね……」
緑依風は、今までのプレゼント選びに苦戦していた風麻の姿を思い出して納得すると、昼食後に家の前で集合する約束をして、一旦自宅に戻った。
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