第211話 カレーが食べたい(後編)
午後六時過ぎ――。
あの後、包まって泣いたまま夕方近くまで眠ってしまった亜梨明は、起きて母の姿が見えないこと、テーブルに置いてあった口に合わない料理も撤去されていたのを見て、ちょっぴり焦っていた。
怒らせた。そりゃそうだ。
でもどうしたって、見ても味わっても食欲が湧かないご飯ばかりでは、やる気も元気も枯れてしまうと、寝返りを打ちながら思っていた時だった――。
「あーりあ!」
背後で母がご機嫌な様子で自分の名を呼ぶ声が聞こえ、亜梨明はむくっと体を起こして振り返る。
「お母さん……どこ行ってたの?」
「亜梨明の晩御飯を作ってたのよ。……はい、これ」
明日香はそう言って、紙袋の中から取り出した、二つのタッパーをテーブルに置いた。
「え……これって……!」
透けて見える中身の色で、亜梨明はもしやと母の顔を見上げる。
「高城先生が許可してくれたの。カレー、作ってきたわよ!」
「ほ、本当っ……!?やったぁ~っ!!」
あまりの嬉しさに、両腕を天井に向けて突き出し、ガッツポーズをして叫ぶ亜梨明は、そのままタッパーの蓋を外し、スプーンを取り出す。
「――あっ、まだよ!先生からの注意も聞いてちょうだい!」
明日香は慌てて亜梨明を止めた後、食べる時の注意事項を伝えたが、亜梨明は聞いてるのか聞いていないのかわからないような表情で、うんうんと小刻みに頷いた。
説明を聞き終えると、亜梨明はすぐさま「いただきます!」とスプーンをカレーの入ったタッパーに伸ばし、それをすくって、柔らかいご飯の上にかけてから、口の中へと運ぶ。
もぐもぐもぐと、口や頬を動かす亜梨明を、明日香はじっと心配そうに見つめる……。
「……おいしい」
久しぶりのカレーの味に、感動で体を震わせながら伝える亜梨明。
「美味しい……?気持ち悪くなったりしてない?」と明日香が聞くと、亜梨明は「うん、全然平気!」と元気よく返事をして、そのまま間を開けずに二口目のカレーをぱくっと頬張る。
「……あ、コラ、少しずつって言ったでしょ!」
明日香が注意しても、亜梨明は気にせずもぐもぐを繰り返し、三口目の準備のため、すくったカレーをご飯の上に乗せていた――が。
「……はぁ」
亜梨明は急にスプーンを置き、枕元のタオルを手に取って、ニコニコしていたはずの顔を覆い隠し、ため息をつく。
「ほら、もう……だからいっぺんに食べちゃダメって……」
亜梨明の胃袋がいきなり与えられた刺激に驚き、拒絶しようとしているのかと思った明日香は、彼女の背中を擦って吐き出させようとした。
だが、どうやらそうではないらしく、亜梨明は「違うの……」と首を振り、吐きたいわけではないことを告げる。
「ご飯が……カレーが、すっごくすっごく、美味しくて……!美味しすぎて、涙が出てきちゃって……っ!」
亜梨明はそう言って顔を上げ、ずびっと鼻をすすりながら笑った。
「これならいっぱい元気出ちゃう!!お母さん、ありがとう〜!!」
涙を拭き、再びカレーを幸せそうな顔で口いっぱいに頬張る亜梨明。
明日香は、そんな娘の姿に心から作ってよかったと思い、微笑みながら優しく見つめていた。
◇◇◇
こんにちは。
せっかく再開した食事が口に合わず、最近ちょっと元気の無かった亜梨明でしたが、昨日は高城先生に特別許可をもらい、夕食はカレーを食べました。
余程嬉しかったのか、おいしい、おいしいを繰り返し、見事完食しました!
あれだけ食欲の無かった亜梨明が、カレーもご飯も全部食べ切ったことに私はとても驚きましたが、高城先生は、これだけ食べても胃に不調が全く現れないくらい回復している、亜梨明の体に驚いていました。
食事は今日の夜から通常食に戻してもらい、栄養ドリンクも無くなったので、亜梨明は朝からとてもご機嫌!
今日は元気をアピールするために『えいえいおー!』と、腕を伸ばすポーズでの撮影をご所望されましたのでご覧ください(笑)
更にもう一つお知らせですが、明日から一般病棟に戻れることになりました!
日に日に元気になっていく娘に嬉しい気持ちがいっぱいです!
◇◇◇
数日後――土曜日。
期末テストを来週に控えた五人は、いつもの如く、勉強会のために木の葉のミーティングルームに集まっていた。
明日香から送られてくる『亜梨明日記』によると、一般病棟に戻ってからも亜梨明の体調は良好で、先日は術後初の検査も受けたが、今のところ不具合や補助器具として埋めてあるものへの拒絶反応も無し――順調だと高城先生に言われたそうだ。
全員集合した直後、新たに送られてきた日記では、亜梨明が自転車漕ぎの運動をする様子の動画もついていて、彼女はチラリと明日香の方を振り向くと、バイク乗りのような真似をしてふざけていた。
「すごいなぁ〜!もしかしたら、僕の時より回復スピード早いかも!」
亜梨明の元気な姿を見た爽太は、「ははっ」と笑いながらそう言って、何度も動画を再生している。
「相楽姉って、いっつも面白く映ろうとするよな」
「真顔で撮られるの逆に恥ずかしいんだって、この間メッセージで言ってたよ」
緑依風が先日亜梨明とやり取りした内容を伝え、風麻は「なるほど」と頷いた。
「一般病棟に移ってから、ピアノ代わりのキーボードもまた弾くようになったって!今朝お父さんからは、演奏してる動画が送られてきたよ」
「えっ、パパだけ向こうに行ったの?」
星華が聞くと、奏音は「うん、昨日の夜から」と、ペンケースを取り出しながら言う。
「じゃあ、奏音……明日の夜まで一人ってこと?」
「そ、私はテスト前だからお留守番……あ、坂下こっち座れば?」
心配する緑依風にそう答えた奏音は、爽太の横に座ろうとした風麻に自分が座る椅子を譲り、彼と緑依風が隣り合うよう気遣う。
「え、いいよ奏音!みんな好きなとこ座りなよ!」
慌てふためく緑依風だが、もうこの場にいる全員、緑依風が風麻を好きなことを知っているため、フォローも堂々としている。
「…………」
風麻も、そんな奏音の申し出の意図を充分理解しており、鞄ごと緑依風の隣へと移動し、ドカッと椅子に座った。
「あ、あのっ……」
「数学と社会がヤバイ……」
風麻が顔を赤くしている緑依風に、教科書を見せながらそう言うと、彼女は「うん、わかった……」と返事をし、自分のノートを開いた。
*
十二時を過ぎ、一旦お昼休憩をしようと、コンビニに昼食や飲み物を買いに来た五人。
ペットボトル飲料が並ぶ棚の前で迷う風麻の元に、たまごサンドとえびカツサンドを手にした爽太が近付いてくる。
「なんか、風麻変わったね」
爽太が、風麻の目の前にあるカフェオレを取りながら言った。
「緑依風に対してか?」
風麻はフルーツオレを選び、冷蔵庫のガラス戸を閉めて爽太に振り向く。
「うん。なんか最近、前よりもっと松山さんに優しい気がする」
「へっ!俺はいつだって優しい男だ!」
風麻がふんぞり返りながら堂々と言うと、爽太は「あははっ」と声を上げ、そんな彼の反応に風麻は、「笑うと思ったよ……」ときまり悪そうに言った。
「もしかして風麻……松山さんのこと好きになった?」
「うーん……今、二十八パーセント」
「何それ?」
「俺が、緑依風を幼馴染じゃない方で好きな気持ちの数値」
「気持ちが揺れてるってこと?」
爽太に顔を覗き込まれると、風麻は「ん~……」と言いながら、アイス売り場にいる緑依風に視線を移す。
彼女は奏音や星華と期間限定のカップアイスを眺めており、星華がおすすめするフレーバーを買おうとしているようだ。
「揺れてるっていうか、変わってきているって感じだなぁ〜。……まだ親友としての思いが強いけど、少しずつあいつに対して、違う気持ちが出てきてるよ……」
風麻が照れながら頭を掻くと、爽太はまた「ふふっ」と口元を隠すようにして声を漏らし、風麻は「俺が何か言うたび、いちいち笑うなよ」と、彼の横腹を軽く小突いた。
「やっぱり、風麻に松山さんのこと言って正解だったなぁ〜!」
「ホント……言われなきゃこうなってなかったろうな〜」
風麻は、爽太の思惑通りになっていることに若干悔しさを覚えつつも、自力では気付けなかった緑依風の想いを教えてくれたことに、ひっそりと感謝するのだった。
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