第209話 カレーが食べたい(前編)
栄養ドリンクを全部飲み切った日の翌朝。
朝食を食べ終えた亜梨明の元に、高城先生が様子を見に来てくれた。
先生は、亜梨明から体調、食欲などを全て聞き終えると、ふむふむと頷き、「じゃあ、今日の晩御飯からは五分粥と刻み食にしようか」と言った。
「本当ですか!?」
食事に固形物が増えると知った亜梨明はパァッと笑顔になり、先生に詰め寄りながら明るい声で聞く。
「じゃあもう、あの栄養ドリンク飲まなくていいですか?」
亜梨明が期待を込めて、キラキラした眼差しを向けると、高城先生はその笑顔から逃げるように視線をずらし「うーん……」と困った顔で唸る。
「全部食べられそうなら、減らせるかな……」
「……全部食べても、まだ飲まなきゃダメなんですね」
求めていたものと違う返答をされた途端、大きな瞳を半目状態にした亜梨明はくるっと背を向け、ふて寝をするように寝転がった。
高城先生は、掛け布団を頭まですっぽり被って拗ねてしまった亜梨明に「あぁっ!」とショックを受けたような声を上げ、「でも、顔の
「まぁ……そうなんですけど~……」
むくりと起き上がった亜梨明は、確かにあのとてつもない味の栄養ドリンクで体調が良くなっていることを渋々認めつつ、片頬を膨らませながら高城先生のいる方へと向き直った。
「順調に行けば、来週末には普通のご飯に戻せるから。もう少し頑張って……」
「……はぁい」
先生に、優しく肩をポンポンと叩かれながら励まされる亜梨明は、深いため息交じりに返事をした。
*
高城先生についてそばにいた女性看護師に傷口の消毒をしてもらうと、今日も昨日と同じ――
まずはベッド上で軽く足を動かし、それから立ち上がるリハビリを開始すると、間宮先生は説明する。
近くの宿泊施設に滞在する明日香もちょうど到着した所で、亜梨明は立ち上がるべく、ベッドの淵に座り直した。
「――よし、じゃあゆっくりと……前かがみになりながらそーっと立ってみよう」
「はい……!」
両膝に手をついたまま、亜梨明はしっかり床を踏みしめ、ベッドから腰を浮かしていく――。
「……立てた!」
「おっ、立てましたね~!うん、じゃあ一回座って、もういっか……――」
「先生!このまま歩いてみていいですか!?」
まだ僅かに背を丸めてはいるものの、支え無しに立ち上がることができたことに興奮した亜梨明に問われ、間宮先生は「ええっ!?」と困ったように声を上げる。
「とりあえず、一旦座っ……」
「いけます!このまま歩かせてください!!」
亜梨明が強気な声と視線で訴えると、間宮先生は「……少しずつですよ?」と彼女の両手を支えるように掴み、半歩後ろに下がる。
亜梨明は、先生の手をしっかり握って、一歩、また一歩と床の上にある足を這わせるようにして前進し、ふーっ……と深い息を吐いた。
「……先生、手を離しますね」
「…………」
間宮先生も――斜め後ろから、ハラハラとした様子で娘を見つめる明日香も、亜梨明が手を離す姿を固唾を飲んで見守る。
一歩、二歩……三歩と、ベッドからどんどん離れていく亜梨明は、四歩目の足を前にした途端「歩けた……っ!」と八日ぶりにできた歩行に胸を熱くさせる。
「ねぇっ、お母さん見た!?」
亜梨明は長い髪を揺らし、はしゃぐような声を漏らしながら後ろを振り向いた。
「歩けたっ!歩けた~っ!!やったぁ~っ!!!!……っひゃ、わ、わ、わぁ~っ!!?」
「危ないっ!」
感激のあまり無意識に飛び跳ねようとした瞬間、亜梨明の体はぐらりと横向きに倒れ、間宮先生が慌てて亜梨明の体を支え、ベッドに座らせる。
「はぁ~っ……びっくりした。先生、ありがとうございます~……」
亜梨明が間宮先生に俺を言うと、明日香はすぐそばまでやって来て、「……もう、調子に乗るから」と、はしゃぎすぎた娘のおでこを、指でチョンッとつついた。
「えへっ、ごめんなさい。……でも、歩けたでしょう?」
まるで全く反省していないように、誇らし気な顔で母を見上げる亜梨明。
明日香と間宮先生は、そんな彼女の無邪気な笑顔につられるように、にっこりと笑い、亜梨明は再びリハビリを始めるのだった。
*
夕食時――。
食事が固形物の増えた物に変わることを楽しみにしていた亜梨明だったが、テーブルに乗せられたトレーの中の物を見た瞬間、その表情は急に曇ってしまう。
「……なにこれ」
亜梨明は、五分粥、豆腐の味噌汁が並ぶすぐ後ろにある皿を指差しながら、白い紙に書いてある献立を読んでいる明日香におかずの名前を聞いた。
「大根とニンジンとナスのとりそぼろあんかけだって。こっちはちくわの卵とじかぁ……。へぇ~、美味しそうね!」
ふんわりとした優しいお出汁の香りが辺りに漂い、いつも亜梨明の夕食を見届けてから自分の夕食を食べている明日香は、ちょっぴりお腹が空いてきたようだ。
だが、亜梨明はそんな明日香の言葉に苛立つような口調で「どこが?」と聞き返し、不機嫌そうに料理を睨みつける。
「……思ってたのと違う」
「えっ……?」
「……グチャグチャしてて……気持ち悪い」
亜梨明の言う通り、皮が剥かれて薄緑色の柔らかく煮込まれたナスは、もう固形とペーストの間のような状態。
そこに同じくクタクタになったニンジン、とろみのあるあんかけが、胃に負担が少ないようにと作られた物だとわかっていても、なんだか汚い物に見えてしまう。
「お粥も……もうやだ、食べ飽きたし、食べたくない。風邪引いたり、体調崩したり入院とかするといっつもこれ……水っぽくて、味が薄くて、いかにも病人の食べ物って感じで嫌いなの。元気になりたいから我慢して食べようって食べてたけど……こんなのばっかじゃ、元気出ない……」
そう言いつつも、渋々スプーンを手にして、お粥をひと匙すくう亜梨明。
しかし、やはり見た目の悪い料理で食欲が減退したのか、味噌汁以外は全て二口、三口程度で食べるのを止めてしまい、無言のままドリンクを飲み干すと、「もう帰っていいよ……」と明日香に言って、ベッドに寝転がった。
◇◇◇
こんばんは。
今日もリハビリは立ち上がる練習から始まりました。
私もリハビリの先生も、今日は自力で立てれたらいいなと思っていたのですが、亜梨明はなんと、立つことが出来ただけでなく、誰にも掴まらずに歩くことまでできました。
歩けたのはほんの少しでしたが、リハビリの先生も驚いており、明日からは、本格的に歩行訓練が始まります。
食事は今日から五分粥と、刻み食になりました。
栄養ドリンクも、完食出来たら朝だけでいいらしいのですが、元々お粥があまり好きではない亜梨明は食が進まず、たくさん残してしまったので、結局晩御飯の後、また栄養ドリンクのお世話になりました。
◇◇◇
宿泊施設に戻り、コンビニの弁当で夕食を済ませた明日香は、日記の文面を打ち込み、誤字などが無いか確認する。
亜梨明が落ち込んでいることはあえて書かず、そのまま送信すると、胃に優しく見た目もいい、味も美味しい介護食のレシピを探し、深いため息をついた。
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